本はごはん。
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「披虐待児童」とか「障害者」問題など、難しいテーマを正面から取りあげて
いますね。
そこに当然存在する偽善や独善やエゴやどうしようもない現実や限界なんかも
きちんと描かれていると思います。
例えば、虐待されて養護施設に引き取られた不幸な子供たちは必ずしも
天使ではないし、
そこで働く先生たちも聖人ではなく、また高齢者だって他人の目をはばかる
趣味を持っていたりとか、
自分が保護するつもりで引き取った知的発達に問題のある子供に、
いつのまにか自分のほうが依存していたりとか。
つまり、養護施設の先生は慈悲深きマリアさまのような人(であって欲しい)とか、
老人は全てを達観して迷いもなく(であって欲しい)とか、
自分は保護する側の人間で、相手は保護される側の人間(であって欲しい)とか、
そういったこちらの一方的な思いこみというか「レッテル」というか、そういうものも見事に
剥がしてくれた上で、
ひとりよがりだったり、自己満足的、押しつけ的「優しさ」ではない、ほんとうの優しさとは
こういうものなのではないか、と、思わせてくれる良書です。
(あ、もちろん養護施設にはマリアさまのような先生もいると思うし、迷いのないお年寄りも
いると思いますよ。しかし必ずしも全てがそうではないし、何より、人間はお互いに支えたり
支えられたり、という関係であり、その相手が一般的に言われる社会的弱者だってまったく
関係ないのだ、ということです。)
「バケツ 」 北島 行徳 ★★★★
いますね。
そこに当然存在する偽善や独善やエゴやどうしようもない現実や限界なんかも
きちんと描かれていると思います。
例えば、虐待されて養護施設に引き取られた不幸な子供たちは必ずしも
天使ではないし、
そこで働く先生たちも聖人ではなく、また高齢者だって他人の目をはばかる
趣味を持っていたりとか、
自分が保護するつもりで引き取った知的発達に問題のある子供に、
いつのまにか自分のほうが依存していたりとか。
つまり、養護施設の先生は慈悲深きマリアさまのような人(であって欲しい)とか、
老人は全てを達観して迷いもなく(であって欲しい)とか、
自分は保護する側の人間で、相手は保護される側の人間(であって欲しい)とか、
そういったこちらの一方的な思いこみというか「レッテル」というか、そういうものも見事に
剥がしてくれた上で、
ひとりよがりだったり、自己満足的、押しつけ的「優しさ」ではない、ほんとうの優しさとは
こういうものなのではないか、と、思わせてくれる良書です。
(あ、もちろん養護施設にはマリアさまのような先生もいると思うし、迷いのないお年寄りも
いると思いますよ。しかし必ずしも全てがそうではないし、何より、人間はお互いに支えたり
支えられたり、という関係であり、その相手が一般的に言われる社会的弱者だってまったく
関係ないのだ、ということです。)
「バケツ 」 北島 行徳 ★★★★
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