本はごはん。
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ドキュメンタリーです。
犯人の男は自閉症という障害を持っていたようですが、メディアで報道される
こともなく、裁判は「自閉症」という障害を認めずに進行していく様を丹念に
追っています。
障害者だから減刑されるべき、という論調にあるのではなく、被害者遺族の
感情にも寄り添いながら、障害を持つ者が事件当事者となった場合の公平な
裁判のあり方、について考察しながら論を進めています。
愛されて育ちながら突然生命を奪われた女子大生と、この事件によって
見いだされ、福祉の手当てを受けながら短い生を終えた、末期ガンを抱えた
レッサーパンダ男の妹。この二人の女性の存在がなんとも運命的です。
総じて「渾身のドキュメンタリー」という感がありますが、残念なのは文中にちらちらとその
影を認めつつ、最後まではっきりとは書かれなかった、被告人が「ある人と知り合ってから
(自分は)変わった」「結婚したい」と言っている女性の存在です。
まあプライバシーの問題もあるでしょうし、弁護団や支援団体と意見が合わなかったのかどうか
判りませんが、この女性の存在はおそらく大きな影響を持っていたであろうと想像され、
そのあたりについて言及がないのは残念です(文庫版後書きには少し出てきます)。
しかしこの手のドキュメンタリーで共通してあぶり出されるのは、ひとつは「裁判」そのものの
ありかたで、つまり「裁判」とは真実を明らかにして罪の重さを「刑罰」にあてはめるもの
ではなく、より重い罪を追求する検察側とより軽い罪を目指す弁護側との闘いであって、
その闘いの前に「真実」は下手をすると作り替えられもする、ということです。
それからメディア。
この本でもメディアの報道についての批判が書かれていますが、最近のメディアに関わる人たち
は、このような批判を見ても何とも思わないんじゃないかしら。
ひと昔前のメディアに関わる人間であれば、激怒しそうなことでも、
「だって世間がそうなんだから仕方ない」とか平気で言いそうな気がする。
現在のメディアは、そのくらい末期的なんじゃないかと思ってしまうのです。
つまり、現代はコマーシャリズムはあっても、メディアは既に死んでいるのではないか、と。
「自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」」 佐藤 幹夫 ★★★★
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