本はごはん。
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ミステリになるんでしょうか。
弁護士の妻が惨殺され、犯人として逮捕された男は強姦は認めたものの、
殺害は否認。被害者の弁護士の知人であるのに、加害者の弁護に関わら
なければならなくなってしまった弁護士見習いが主人公です。
決して読みにくい文章というわけではないのだけれど、なんというか良く
言えば完結、悪く言うと含みのなさ過ぎる文章。業務文章を少し膨らませた
感じ。たぶん著者には、良くも悪くも「ロマン」という観念? 感覚? が
あまりないのかもしれない
(必ずしもそれが悪いということではないのだけれど)。
なので、つまりはロマン含有率が低いので、女性の描き方がものすごく
ストレート。とりあえず(女性の外見を)なぞるあたりとか。
この感じ、何かに似てると思ったら、「プラハの春」。そういえば「プラハの春」の著者も
元外交員だったっけ。「小説」じゃなくて「説明(文書)」に感じてしまう…。
だからなのか、愛憎を巡る部分での描き込みというか表現が充分ではないように感じる。
事件で心に傷を負った人の感情面が表層的というか。だからいろいろ考えさせられる「要素」は
たくさんあるのだけれど、心にずしんと響かない。勿体ない。
例えば被害者の弁護士、彼は妻が殺されてしまった事によって死刑廃止論者から死刑存置論者へと
変遷してしまいますが、彼の心情をもっと丁寧に描き込めば、死刑制度存続の是非について、
読者にもっと考え込ませる事が出来たのではないかと思うのです。
笛木があっさり証人に立つのも小説としてはちょっと安易すぎ。自分の将来を棒に振ってまでの
行動に至る心象が全く描かれていない(故人をそれだけ愛していたという一言で終わりって…)
タイトルの「死刑基準(死刑の基準は何か。殺した人数か?)」とか、死刑廃止 or 存続とか、
犯罪の加害者と被害者に対する国の支出額の大幅な乖離(被害者に対する支出は加害者に
対するそれの2%しかない)とか、
現状の様々な問題提起がされているのはとても良いともうのですが、どれも尻切れトンボで
終わってしまっているように感じるのは私だけでしょうか。特にタイトルにもなっている
「死刑基準」については、真犯人の可能性が浮上したと共に消えてしまったような。
法廷のシーンはとても面白く読みました。弁護士と検察の戦いというか駆け引きが(小説とはいえ)
解説付きで垣間見られたように思います。
あと、これ読むと裁判員制度が心配になります。弁護士は被告人に対し、必死に教育するわけ
です。心証を良くするように。反省しているように「見せる」ように。検察はそんな化けの皮を
引っぺがそうとしますが、必ずしも上手く行かない時もあるんじゃないか。
弁護士とか検察官とか裁判官とか所謂プロは、そういう小細工も少なくとも一般人よりは
見通せるかもしれないけれど、一般人が任命される裁判員は?
また、弁護士を初めとするプロは自分の感情と切り離して客観視する訓練が一般人よりは
出来ているかもしれないけれど、一般人が任命される裁判員は?
表面的な態度や言葉に左右されず、かつ、客観的な判断を、それも極刑が、人の命がかかった
場面で(自分も含め)裁判員はできるんだろうか?
それともそんな「ブレ」もひっくるめて「裁判員制度」なんだろうか?
「法の下における平等」に、その「ブレ」は抵触しないんだろうか?
「死刑基準」 加茂 隆康 ★★★
弁護士の妻が惨殺され、犯人として逮捕された男は強姦は認めたものの、
殺害は否認。被害者の弁護士の知人であるのに、加害者の弁護に関わら
なければならなくなってしまった弁護士見習いが主人公です。
決して読みにくい文章というわけではないのだけれど、なんというか良く
言えば完結、悪く言うと含みのなさ過ぎる文章。業務文章を少し膨らませた
感じ。たぶん著者には、良くも悪くも「ロマン」という観念? 感覚? が
あまりないのかもしれない
(必ずしもそれが悪いということではないのだけれど)。
なので、つまりはロマン含有率が低いので、女性の描き方がものすごく
ストレート。とりあえず(女性の外見を)なぞるあたりとか。
この感じ、何かに似てると思ったら、「プラハの春」。そういえば「プラハの春」の著者も
元外交員だったっけ。「小説」じゃなくて「説明(文書)」に感じてしまう…。
だからなのか、愛憎を巡る部分での描き込みというか表現が充分ではないように感じる。
事件で心に傷を負った人の感情面が表層的というか。だからいろいろ考えさせられる「要素」は
たくさんあるのだけれど、心にずしんと響かない。勿体ない。
例えば被害者の弁護士、彼は妻が殺されてしまった事によって死刑廃止論者から死刑存置論者へと
変遷してしまいますが、彼の心情をもっと丁寧に描き込めば、死刑制度存続の是非について、
読者にもっと考え込ませる事が出来たのではないかと思うのです。
笛木があっさり証人に立つのも小説としてはちょっと安易すぎ。自分の将来を棒に振ってまでの
行動に至る心象が全く描かれていない(故人をそれだけ愛していたという一言で終わりって…)
タイトルの「死刑基準(死刑の基準は何か。殺した人数か?)」とか、死刑廃止 or 存続とか、
犯罪の加害者と被害者に対する国の支出額の大幅な乖離(被害者に対する支出は加害者に
対するそれの2%しかない)とか、
現状の様々な問題提起がされているのはとても良いともうのですが、どれも尻切れトンボで
終わってしまっているように感じるのは私だけでしょうか。特にタイトルにもなっている
「死刑基準」については、真犯人の可能性が浮上したと共に消えてしまったような。
法廷のシーンはとても面白く読みました。弁護士と検察の戦いというか駆け引きが(小説とはいえ)
解説付きで垣間見られたように思います。
あと、これ読むと裁判員制度が心配になります。弁護士は被告人に対し、必死に教育するわけ
です。心証を良くするように。反省しているように「見せる」ように。検察はそんな化けの皮を
引っぺがそうとしますが、必ずしも上手く行かない時もあるんじゃないか。
弁護士とか検察官とか裁判官とか所謂プロは、そういう小細工も少なくとも一般人よりは
見通せるかもしれないけれど、一般人が任命される裁判員は?
また、弁護士を初めとするプロは自分の感情と切り離して客観視する訓練が一般人よりは
出来ているかもしれないけれど、一般人が任命される裁判員は?
表面的な態度や言葉に左右されず、かつ、客観的な判断を、それも極刑が、人の命がかかった
場面で(自分も含め)裁判員はできるんだろうか?
それともそんな「ブレ」もひっくるめて「裁判員制度」なんだろうか?
「法の下における平等」に、その「ブレ」は抵触しないんだろうか?
「死刑基準」 加茂 隆康 ★★★
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