本はごはん。
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「虐殺器官」と緩く繋がっているとも言える本作。
虐殺器官より更に未来。現在のAR(拡張現実)やウエアラブルコンピュータ、
または最先端医療などが更に発展していった先には、このような未来も
あり得るのかもしれないと思わせる見事な筆力。
その未来は、健康体を維持することが高い価値を占めている社会。
コンピューターで自分の健康状態もリアルタイムにチェックされ、
自分の「社会的評価を含めた個人情報」が見事に開示された社会。
そんな社会は息苦しいと、抵抗を示す少女たち。
私の肉体は私の物だと叫ぶ少女たち。
「虐殺器官」に私は、
> 言葉と肉。罪と赦し。生と死。遺伝子と魂。手応えのない生に、ありふれた死。
> 一人歩きをはじめるシステム。ぶつかり合う正義。
と書いたのですが、非常に似たテーマを扱っているように思います。
というか、同じテーマを反対側から表現しているのかもしれない。
「虐殺器官」は「(誰かを)守るために(誰かを)殺す」
「ハーモニー」は「(自分を)守るために(自分を)殺す」
向きは反対だけれども両者は基本的に同じなんじゃないだろうか。
そしてどちらの物語でも、大多数のひとたちは現在の自分の環境に甘んじて「幸せ」を享受する。
その幸せの裏にある「犠牲」は見なかった事にする。
そもそも「幸せ」とは何か。
「幸せじゃない状態」があるから「幸せ」もあるのかもしれない。
「不幸」もないかわりに「幸せ」もない世界。それを「幸せ」と定義する事だってできる。
つまり「絶対的な幸福」というものは存在せず、すべては主観の問題なのに、一人歩きを始めた
システムがそれを決めてしまう。それにすべてを委ねていつの間にか自分で考える事を放棄して
しまう人々。その究極のかたち。
「虐殺器官」で非常に印象的だったセリフ、
「肉体がDNAの支配から自由ではいられないのに、なぜ心はDNAから自由だなんて
信じられるんだ?(要約)」
長い年月をかけて肉体を環境に適応させ、そしてある程度の医療技術も進歩した現在、
DNA が本格的に心に介入する段階に入ったのかもしれないとすれば、このあと人間は
どのように変遷していくのであろうか。
更に。
池澤夏樹「キップをなくして」では「死」について、
「人の心は、たくさんのちいさな魂の素みたいなものが集まってできていて、
学級会のようなものを開いて、ひとの行動を決めている。死ぬとそのちいさな魂の素
みたいなものはばらばらになって、そのひとの人格(魂)は薄れていく(要約)」
浅倉卓弥「君の名残を」では武蔵の死の場面で、
「武蔵はすでに自分の形すらなくしていた。己の名さえ忘れたそれは輪郭を失い周囲に溶けて
いく。そして傍らの同じ何かと彼我の境なく交じり合い、仄白い川に同化した(要約)」
と描かれています。
仮に「死」というものを上記のようなものだと定義した場合、この「ハーモニー」の、
「自意識を失うこと(=魂を失う事)」によって完全に調和された世界に生きるひとたちは、
果たして生きていると言うことができるのでしょうか。
もしくは完全なるハーモニーは死によってしかもたらされない、ということなのでしょうか。
「ハーモニー」 伊藤 計劃 ★★★★★
虐殺器官より更に未来。現在のAR(拡張現実)やウエアラブルコンピュータ、
または最先端医療などが更に発展していった先には、このような未来も
あり得るのかもしれないと思わせる見事な筆力。
その未来は、健康体を維持することが高い価値を占めている社会。
コンピューターで自分の健康状態もリアルタイムにチェックされ、
自分の「社会的評価を含めた個人情報」が見事に開示された社会。
そんな社会は息苦しいと、抵抗を示す少女たち。
私の肉体は私の物だと叫ぶ少女たち。
「虐殺器官」に私は、
> 言葉と肉。罪と赦し。生と死。遺伝子と魂。手応えのない生に、ありふれた死。
> 一人歩きをはじめるシステム。ぶつかり合う正義。
と書いたのですが、非常に似たテーマを扱っているように思います。
というか、同じテーマを反対側から表現しているのかもしれない。
「虐殺器官」は「(誰かを)守るために(誰かを)殺す」
「ハーモニー」は「(自分を)守るために(自分を)殺す」
向きは反対だけれども両者は基本的に同じなんじゃないだろうか。
そしてどちらの物語でも、大多数のひとたちは現在の自分の環境に甘んじて「幸せ」を享受する。
その幸せの裏にある「犠牲」は見なかった事にする。
そもそも「幸せ」とは何か。
「幸せじゃない状態」があるから「幸せ」もあるのかもしれない。
「不幸」もないかわりに「幸せ」もない世界。それを「幸せ」と定義する事だってできる。
つまり「絶対的な幸福」というものは存在せず、すべては主観の問題なのに、一人歩きを始めた
システムがそれを決めてしまう。それにすべてを委ねていつの間にか自分で考える事を放棄して
しまう人々。その究極のかたち。
「虐殺器官」で非常に印象的だったセリフ、
「肉体がDNAの支配から自由ではいられないのに、なぜ心はDNAから自由だなんて
信じられるんだ?(要約)」
長い年月をかけて肉体を環境に適応させ、そしてある程度の医療技術も進歩した現在、
DNA が本格的に心に介入する段階に入ったのかもしれないとすれば、このあと人間は
どのように変遷していくのであろうか。
更に。
池澤夏樹「キップをなくして」では「死」について、
「人の心は、たくさんのちいさな魂の素みたいなものが集まってできていて、
学級会のようなものを開いて、ひとの行動を決めている。死ぬとそのちいさな魂の素
みたいなものはばらばらになって、そのひとの人格(魂)は薄れていく(要約)」
浅倉卓弥「君の名残を」では武蔵の死の場面で、
「武蔵はすでに自分の形すらなくしていた。己の名さえ忘れたそれは輪郭を失い周囲に溶けて
いく。そして傍らの同じ何かと彼我の境なく交じり合い、仄白い川に同化した(要約)」
と描かれています。
仮に「死」というものを上記のようなものだと定義した場合、この「ハーモニー」の、
「自意識を失うこと(=魂を失う事)」によって完全に調和された世界に生きるひとたちは、
果たして生きていると言うことができるのでしょうか。
もしくは完全なるハーモニーは死によってしかもたらされない、ということなのでしょうか。
「ハーモニー」 伊藤 計劃 ★★★★★
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