本はごはん。
×
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幕末から明治維新へと突入する動乱の時期、この頃のことについて
あたくしは「会津びいき」を自認しておりますが、それにしても…。
初めのうちは「ふんふん」と読んでいたのですが、だんだんと
「ん?」「え?」「あれ?」「……」。
著作の中において著者が主観を入れるべきではない、などとは全く
思っていません。しかしこの本は著者の主観というより思いこみ、
感情的な表現が多いような気がします。
例えば「…の日記には、薩長に対する恨みは一切書かれていなかった」
としながらも「しかし強い怨念を抱いていに違いない」という余計な一言
というか決めつけというか、そういう表現があちこちに出てきてちょっと食傷します。
挙げ句の果てには「原爆」(しかも他人の言)まで引っ張ってくるのはどうなんだろう。
参考文献の少なさにもちょっと唖然とします。
また、著者は「薩長憎しだけでなく、会津の戦略不足などの苦言も呈してきた」
と言っていますが、この本を読む限り、そうは思えません。
神保修理という会津藩の家老の長男が切腹させられた件に関して、「気の毒」とひと言
で終わりにしていますが、この神保修理の切腹は、会津藩内に於ける権力闘争であった
という「説」もあったりします。
あくまで「説」なので真偽の程は判りませんが、もしそうだとすると、鳥羽伏見の戦いが
勃発しているのにもかかわらず、藩内の権力闘争であたら優秀な人材を散らしてしまう。
しかしこの本は、こういった類のことには一切突っ込んでいきません。
正しい歴史を伝えると言うことは大切だと思います。しかし今はもう、会津を討てと
命じた宸翰も錦旗も捏造であったことや、会津の人たちがなめた辛酸、薩長の仕打ちなど
広く知られるようになってきていると思うのですが。
そんななかで被害者意識だけで突っ走ってしまうと、かえって逆効果ではないかと思います。
しかしこれだけだと何なので、会津関連で秀逸だと思われる本を
1冊あげておきます。
しばらく前に読んだ本ですが、おそらく膨大な資料を読み込んで著したと
思われる連作短編集です。当時の会津の悲劇、絶望、そして気質などが
とてもよく表現されています。
タイトルにもなっている最初の短編「修理さま 雪は」は、前述した
神保修理の妻、雪の話ですが、戊辰戦争が勃発し実家は全員自刃、
雪はひとりで、殺戮、強奪、暴力、陵辱のなかを死に場所を求めて
彷徨います。
彷徨いながら彼女は、切腹した夫に心の中でいろいろな思いを
語りかけます。
しかし最後の最後、彼女が夫に語りかけた血を吐くような心の叫びは、封建時代を
生きた女性の叫びであり、会津の悲劇だけにとどまらない作品にまで昇華されています。
週末、本棚ほじくり返してもう一度読んでみよう。
「偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実」 星 亮一 ★
「修理さま 雪は」 中村 彰彦 ★★★★★
あたくしは「会津びいき」を自認しておりますが、それにしても…。
初めのうちは「ふんふん」と読んでいたのですが、だんだんと
「ん?」「え?」「あれ?」「……」。
著作の中において著者が主観を入れるべきではない、などとは全く
思っていません。しかしこの本は著者の主観というより思いこみ、
感情的な表現が多いような気がします。
例えば「…の日記には、薩長に対する恨みは一切書かれていなかった」
としながらも「しかし強い怨念を抱いていに違いない」という余計な一言
というか決めつけというか、そういう表現があちこちに出てきてちょっと食傷します。
挙げ句の果てには「原爆」(しかも他人の言)まで引っ張ってくるのはどうなんだろう。
参考文献の少なさにもちょっと唖然とします。
また、著者は「薩長憎しだけでなく、会津の戦略不足などの苦言も呈してきた」
と言っていますが、この本を読む限り、そうは思えません。
神保修理という会津藩の家老の長男が切腹させられた件に関して、「気の毒」とひと言
で終わりにしていますが、この神保修理の切腹は、会津藩内に於ける権力闘争であった
という「説」もあったりします。
あくまで「説」なので真偽の程は判りませんが、もしそうだとすると、鳥羽伏見の戦いが
勃発しているのにもかかわらず、藩内の権力闘争であたら優秀な人材を散らしてしまう。
しかしこの本は、こういった類のことには一切突っ込んでいきません。
正しい歴史を伝えると言うことは大切だと思います。しかし今はもう、会津を討てと
命じた宸翰も錦旗も捏造であったことや、会津の人たちがなめた辛酸、薩長の仕打ちなど
広く知られるようになってきていると思うのですが。
そんななかで被害者意識だけで突っ走ってしまうと、かえって逆効果ではないかと思います。
しかしこれだけだと何なので、会津関連で秀逸だと思われる本を
1冊あげておきます。
しばらく前に読んだ本ですが、おそらく膨大な資料を読み込んで著したと
思われる連作短編集です。当時の会津の悲劇、絶望、そして気質などが
とてもよく表現されています。
タイトルにもなっている最初の短編「修理さま 雪は」は、前述した
神保修理の妻、雪の話ですが、戊辰戦争が勃発し実家は全員自刃、
雪はひとりで、殺戮、強奪、暴力、陵辱のなかを死に場所を求めて
彷徨います。
彷徨いながら彼女は、切腹した夫に心の中でいろいろな思いを
語りかけます。
しかし最後の最後、彼女が夫に語りかけた血を吐くような心の叫びは、封建時代を
生きた女性の叫びであり、会津の悲劇だけにとどまらない作品にまで昇華されています。
週末、本棚ほじくり返してもう一度読んでみよう。
「偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実」 星 亮一 ★
「修理さま 雪は」 中村 彰彦 ★★★★★
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残念ながら、前書き(「はじめに」)がいちばん面白かった…。
外国人から日本や日本人そのものがどんなふうに見られているか、
まあ日本もすてたもんじゃないということが言いたかったのかも
しれませんが、
外国人は日本人のことをこんな風に見ている、というイグザンプルに
特に真新しい発見はありませんでした。
で、「外国人からみて不思議に思う日本人の行動、精神構造」について
著者が日本人の歴史や根本的な部分を解説しているんですが、
これについてもまあ前から言われてることだよねぇ、という感じ。
しかも著者の解説の部分の方が割合が多いように感じます。
なんだけど著者の結論が良く判んない。
各論言いっ放しな気がして仕方ありません。
類書(と言っていいのか?)の、「「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート 」の
ほうが断然面白かったなぁ。
「ひらがなタイムズ」の元編集長ということで期待してたんだけど、残念。
「日本人の背中」 井形 慶子 ★★
外国人から日本や日本人そのものがどんなふうに見られているか、
まあ日本もすてたもんじゃないということが言いたかったのかも
しれませんが、
外国人は日本人のことをこんな風に見ている、というイグザンプルに
特に真新しい発見はありませんでした。
で、「外国人からみて不思議に思う日本人の行動、精神構造」について
著者が日本人の歴史や根本的な部分を解説しているんですが、
これについてもまあ前から言われてることだよねぇ、という感じ。
しかも著者の解説の部分の方が割合が多いように感じます。
なんだけど著者の結論が良く判んない。
各論言いっ放しな気がして仕方ありません。
類書(と言っていいのか?)の、「「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート 」の
ほうが断然面白かったなぁ。
「ひらがなタイムズ」の元編集長ということで期待してたんだけど、残念。
「日本人の背中」 井形 慶子 ★★
こんどはヤクザ屋さんです。現役の(しかもかなり偉い)方みたいです。
あの金嬉老との獄中エピソードなんかがあって、びっくりしました。
ただ思うに、主張し自分の権利を獲得していくことは大事だと思うのですが、
ゴネ得みたいのはどうなんだろう?
まあ線引きが難しいですけどね。
教育論については、いくつかちょっと異議があります。特に、
子供を身体を張って守るのは確かに大事だし、
「子供の言い分を信じて教師と対決」するのはいいんですが、それと同時に
家庭教育とか親子間の信頼関係とかがかなり重要なんじゃないかと思うんですが。
そうした家庭に於ける基本的なベースとなる教育なり躾なり親子間の信頼関係なりを
すっ飛ばして教師を殴りに行っちゃったりするのがいわゆる「モンスター・ペアレント」
というやつじゃないかと思うんですけどね。
義務を果たす前に、権利ばっかり振りかざすというか。
もちろんそういったベースの信頼関係や躾についてはあたりまえ、前提としているのかも
しれませんが、これだけだと短絡的に「教師を殴りに行って良いんだ」って思う親が出て
きそうな気がします。なにしろ給食費も払わないご時世らしいですから。
しかし最近、自分で判断できない(としか思えない)、または前述の給食費じゃないですけど、
どう考えても「ヘン」としか思えない行動基準で動いている人が多い(ように見える)なか、
さすがトップまで上り詰めた人だけあって、自分の価値判断がきっちりあるので読みやすいですね。
そうでないと、そもそも議論にもなんないしね。
この原稿はテープ起こしなのかなぁ。
以下、蛇足です。
昔、下記のような場面に遭遇したことがあります。
とあるレジャー施設の駐車場内で、駐車場内を走っていた車の前に、3〜4歳くらいの子供が
飛び出しました。駐車場内でしたので車の速度は人が歩くくらいの速さだったため、車が
急停車し大事には至りませんでした。子供が転んだだけ。
で、この子供の親が、ヤクザを職業としている方だったようで、ものすごい勢いで運転手に
怒鳴りはじめ、ヤクザ屋さんの言論で運転手を非難しました。ずーっと。かなりしつこく。
しかし、どう見ても非は子供(ひいては眼を話した親)にあります。
こういう場合、この本の著者である親分はどうするのでしょうか?
是非伺ってみたいところであります。
「ヤクザ者の屁理屈―貴方もヤクザになりませんか」 森田 健介 ★★
あの金嬉老との獄中エピソードなんかがあって、びっくりしました。
ただ思うに、主張し自分の権利を獲得していくことは大事だと思うのですが、
ゴネ得みたいのはどうなんだろう?
まあ線引きが難しいですけどね。
教育論については、いくつかちょっと異議があります。特に、
子供を身体を張って守るのは確かに大事だし、
「子供の言い分を信じて教師と対決」するのはいいんですが、それと同時に
家庭教育とか親子間の信頼関係とかがかなり重要なんじゃないかと思うんですが。
そうした家庭に於ける基本的なベースとなる教育なり躾なり親子間の信頼関係なりを
すっ飛ばして教師を殴りに行っちゃったりするのがいわゆる「モンスター・ペアレント」
というやつじゃないかと思うんですけどね。
義務を果たす前に、権利ばっかり振りかざすというか。
もちろんそういったベースの信頼関係や躾についてはあたりまえ、前提としているのかも
しれませんが、これだけだと短絡的に「教師を殴りに行って良いんだ」って思う親が出て
きそうな気がします。なにしろ給食費も払わないご時世らしいですから。
しかし最近、自分で判断できない(としか思えない)、または前述の給食費じゃないですけど、
どう考えても「ヘン」としか思えない行動基準で動いている人が多い(ように見える)なか、
さすがトップまで上り詰めた人だけあって、自分の価値判断がきっちりあるので読みやすいですね。
そうでないと、そもそも議論にもなんないしね。
この原稿はテープ起こしなのかなぁ。
以下、蛇足です。
昔、下記のような場面に遭遇したことがあります。
とあるレジャー施設の駐車場内で、駐車場内を走っていた車の前に、3〜4歳くらいの子供が
飛び出しました。駐車場内でしたので車の速度は人が歩くくらいの速さだったため、車が
急停車し大事には至りませんでした。子供が転んだだけ。
で、この子供の親が、ヤクザを職業としている方だったようで、ものすごい勢いで運転手に
怒鳴りはじめ、ヤクザ屋さんの言論で運転手を非難しました。ずーっと。かなりしつこく。
しかし、どう見ても非は子供(ひいては眼を話した親)にあります。
こういう場合、この本の著者である親分はどうするのでしょうか?
是非伺ってみたいところであります。
「ヤクザ者の屁理屈―貴方もヤクザになりませんか」 森田 健介 ★★
ペットの次はぱんつ…。我ながらこの乱脈さはどうなんだろう…。
しかも最近やたら文章長いし…。いかんいかん。エッセンスだけを抜き出して
簡潔にすぱんすぱんと書き殴って終わりにする信条だったのに。
ま、とりあえず「ぱんつ」です。
たかがパンツですが、ロシアでは(下着の)パンツを手作りしていた
(第2次対戦が終わるまで製品として売られてなかった)とか、
家庭科でいちばん初めに教わるのは「パンツの作り方」であるとか、
現在でも製品化された使い捨ての生理用品を使える女性の方が、世界的には
少数派であるとか、
かなりカルチャーショックをうける事実が多く紹介されています。
そういう意味では、文化人類学的側面ももっています。
アラビアン・ナイトとかにでてくるあの踝まであるゆったりしたパンツ(ズボン)
の起源とか、雑学ではありますが面白く紹介してくれます。
専門書という見地からすると、著者自ら告白しているようにまだ浅いのかも知れません。
それでも巻末の参考文献の山はまあものすごい。パンツふんどしだけでよくここまで…。
この著者の尽きない好奇心と飽くなき探求心には全く敬服します。
「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原 万里 ★★★
しかも最近やたら文章長いし…。いかんいかん。エッセンスだけを抜き出して
簡潔にすぱんすぱんと書き殴って終わりにする信条だったのに。
ま、とりあえず「ぱんつ」です。
たかがパンツですが、ロシアでは(下着の)パンツを手作りしていた
(第2次対戦が終わるまで製品として売られてなかった)とか、
家庭科でいちばん初めに教わるのは「パンツの作り方」であるとか、
現在でも製品化された使い捨ての生理用品を使える女性の方が、世界的には
少数派であるとか、
かなりカルチャーショックをうける事実が多く紹介されています。
そういう意味では、文化人類学的側面ももっています。
アラビアン・ナイトとかにでてくるあの踝まであるゆったりしたパンツ(ズボン)
の起源とか、雑学ではありますが面白く紹介してくれます。
専門書という見地からすると、著者自ら告白しているようにまだ浅いのかも知れません。
それでも巻末の参考文献の山はまあものすごい。パンツふんどしだけでよくここまで…。
この著者の尽きない好奇心と飽くなき探求心には全く敬服します。
「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原 万里 ★★★
この著者がメディアに出始めた頃数冊読みましたが久しぶりです。
久しぶりですが相変わらず…。
まあ著者は社会学者ではないので特に新たな論説なんかは期待していなかった
のですが、精神医学的見地から見た昨今のペットと人間の関わりかたなんかに
対する見解とかも一切ないし、ペットを巡るニュースなどは多数引用されて
いますが、データは殆ど提示されていません。
(一部の)過激な動物愛護団体や、夫よりペットの方が大事になってしまった例
なども載っていますが、それに対しても
「こういう人たちは自分が正しいと信じ切っている」で終わり。
江藤淳の解釈も、ちょっと違うんじゃないかなぁ…。
そもそも新書というのは専門書のとば口みたいな位置づけで、専門分野を判りやすくかつ
包括的に解説したものと思っていました。その昔、「哲学のすすめ 」とか
「正常と異常のはざま―境界線上の精神病理」とか「悪について」とか「犯罪心理学入門」とか
「アイデンティティの心理学」とか「自殺の心理学」とかとか読み漁ってた時期がありましたが、
内容は判りやすく、しかしぎっちり詰まった良書ばかりだったけどな。
それが「Web進化論」が当たってしまった頃からタイトルはやたら長くなるし
級数はでかくなるし中身は薄くなるし。…まあいいや。
で、ペットに話を戻すと、我が家にも「上のおじょうさん」という名前(あくまでWeb上での
通り名ですよ)の女王様ねこがおり、そして私はかなりの親ばかだと自認しておりますが、
それでも一応の線引きはあるんですよ。寝室は進入禁止(つまり寝るときは別々)とか
人間の食べ物は与えないとかそれなりに。
以前別の本で、ペットに人間の食べ物、それもポテトチップスとかを大量に与えていて当然
ペットはでぶでぶ。で、「人間の食べ物は与えない方がいいのでは?」と言ったらその飼い主は、
「なんで? かわいそうじゃない!?」と言ったそうですよ。
「かわいそう」!
日本語間違えてるというかなんというか。
こういう飼い主も(一部の行きすぎた)動物愛護運動も、結局は「かわいそう」のおしつけで、
その行為がほんとうに対象にとって良いことであるかどうかの検証は為されてないように思います。
そして最終的に悪い結果が出ても、「でも良かれと思ってやったのだから」免責されるべき
ことであると思っているように感じます。人間なんて所詮は自己満足を追求する生き物ですが、
それが結局は害をもたらしたり、他者の犠牲を強要するのであれば全く迷惑です。
ペットに限らずコミュニケーションの本質は、まず対象を「理解」し、なにが対象にとって
良いか、喜ばれるか、求められているかなどを「想像」し(「なにもしない」という行動も含め)
実行に移すことだと思うんですが、そういった段階を全てすっ飛ばして、「かわいそう」という
自分の情緒的衝動だけで行動に移してしまう人が増えてきてるんですかね。
まあ人間同士の間でも自分の情緒的衝動だけで動く人が多いですから(そういう場合は得てして
「余計なお世話」になるケースが多い)、言葉をしゃべらない動物に対しては更に
そうなってしまうのかも知れません。
そりゃああたくしも下のおじょうさんが死んでしまったときはペットロス的症状に陥りましたし、
上のおじょうさんが死んでしまったら相当落ち込むだろうと思いますが、それでも、
良くも悪くも猫は猫で、犬は犬でしかないと思うのですが。
「イヌネコにしか心を開けない人たち」 香山 リカ ★★
久しぶりですが相変わらず…。
まあ著者は社会学者ではないので特に新たな論説なんかは期待していなかった
のですが、精神医学的見地から見た昨今のペットと人間の関わりかたなんかに
対する見解とかも一切ないし、ペットを巡るニュースなどは多数引用されて
いますが、データは殆ど提示されていません。
(一部の)過激な動物愛護団体や、夫よりペットの方が大事になってしまった例
なども載っていますが、それに対しても
「こういう人たちは自分が正しいと信じ切っている」で終わり。
江藤淳の解釈も、ちょっと違うんじゃないかなぁ…。
そもそも新書というのは専門書のとば口みたいな位置づけで、専門分野を判りやすくかつ
包括的に解説したものと思っていました。その昔、「哲学のすすめ 」とか
「正常と異常のはざま―境界線上の精神病理」とか「悪について」とか「犯罪心理学入門」とか
「アイデンティティの心理学」とか「自殺の心理学」とかとか読み漁ってた時期がありましたが、
内容は判りやすく、しかしぎっちり詰まった良書ばかりだったけどな。
それが「Web進化論」が当たってしまった頃からタイトルはやたら長くなるし
級数はでかくなるし中身は薄くなるし。…まあいいや。
で、ペットに話を戻すと、我が家にも「上のおじょうさん」という名前(あくまでWeb上での
通り名ですよ)の女王様ねこがおり、そして私はかなりの親ばかだと自認しておりますが、
それでも一応の線引きはあるんですよ。寝室は進入禁止(つまり寝るときは別々)とか
人間の食べ物は与えないとかそれなりに。
以前別の本で、ペットに人間の食べ物、それもポテトチップスとかを大量に与えていて当然
ペットはでぶでぶ。で、「人間の食べ物は与えない方がいいのでは?」と言ったらその飼い主は、
「なんで? かわいそうじゃない!?」と言ったそうですよ。
「かわいそう」!
日本語間違えてるというかなんというか。
こういう飼い主も(一部の行きすぎた)動物愛護運動も、結局は「かわいそう」のおしつけで、
その行為がほんとうに対象にとって良いことであるかどうかの検証は為されてないように思います。
そして最終的に悪い結果が出ても、「でも良かれと思ってやったのだから」免責されるべき
ことであると思っているように感じます。人間なんて所詮は自己満足を追求する生き物ですが、
それが結局は害をもたらしたり、他者の犠牲を強要するのであれば全く迷惑です。
ペットに限らずコミュニケーションの本質は、まず対象を「理解」し、なにが対象にとって
良いか、喜ばれるか、求められているかなどを「想像」し(「なにもしない」という行動も含め)
実行に移すことだと思うんですが、そういった段階を全てすっ飛ばして、「かわいそう」という
自分の情緒的衝動だけで行動に移してしまう人が増えてきてるんですかね。
まあ人間同士の間でも自分の情緒的衝動だけで動く人が多いですから(そういう場合は得てして
「余計なお世話」になるケースが多い)、言葉をしゃべらない動物に対しては更に
そうなってしまうのかも知れません。
そりゃああたくしも下のおじょうさんが死んでしまったときはペットロス的症状に陥りましたし、
上のおじょうさんが死んでしまったら相当落ち込むだろうと思いますが、それでも、
良くも悪くも猫は猫で、犬は犬でしかないと思うのですが。
「イヌネコにしか心を開けない人たち」 香山 リカ ★★
「リピート」が結構面白かったので、2冊目いってみます。
「Side-A」と「Side-B」とに分かれていて、それぞれに6章ずつある
のですが、それぞれの章が曲のタイトルになっています。私でも
「おおっ。そういえばこういう歌があった気がする」と思うくらいかなり
懐かしい曲が多く、最近のひとは知らない曲が多いかも。
「Side-B」は悲しい曲ばかり揃ってますね。
そもそも「Side-A、Side-B」ってのもぴんと来ないかもしれませんね。
CDにはA面もB面もないし。
正直なところ、ストーリィ自体は「若者の恋」で、
「ああなんかこういう感覚はあったよなぁ懐かしいなぁ」と感じることは
あっても格別に面白いものじゃないです。むしろ淡々とした感じ。
ですがこのスキームというか構成、それと伏線の張り方(それもミスリードを狙った伏線も含め)
がもう秀逸ですね。
もしかしたらミステリ大好きで大概のミステリは読破している! という人には「ふーん」という
感じなんでしょうか。私は(ミステリあんまり読まないせいか)素直に驚いたし、
読み終わってから思わず年月をメモして時制の一致を確認しちゃいましたけどね。
欲を言えば、ストーリィ自体にももっと魅力があると…と思うんですが、そうすると更に
複雑になっちゃうかなぁ。うーん。
この解説はスタイルも含め、なかなか良いと思いました。
で、天童さんはやっぱりあの天童さんかしら?
「イニシエーション・ラブ」 乾 くるみ ★★★
「Side-A」と「Side-B」とに分かれていて、それぞれに6章ずつある
のですが、それぞれの章が曲のタイトルになっています。私でも
「おおっ。そういえばこういう歌があった気がする」と思うくらいかなり
懐かしい曲が多く、最近のひとは知らない曲が多いかも。
「Side-B」は悲しい曲ばかり揃ってますね。
そもそも「Side-A、Side-B」ってのもぴんと来ないかもしれませんね。
CDにはA面もB面もないし。
正直なところ、ストーリィ自体は「若者の恋」で、
「ああなんかこういう感覚はあったよなぁ懐かしいなぁ」と感じることは
あっても格別に面白いものじゃないです。むしろ淡々とした感じ。
ですがこのスキームというか構成、それと伏線の張り方(それもミスリードを狙った伏線も含め)
がもう秀逸ですね。
もしかしたらミステリ大好きで大概のミステリは読破している! という人には「ふーん」という
感じなんでしょうか。私は(ミステリあんまり読まないせいか)素直に驚いたし、
読み終わってから思わず年月をメモして時制の一致を確認しちゃいましたけどね。
欲を言えば、ストーリィ自体にももっと魅力があると…と思うんですが、そうすると更に
複雑になっちゃうかなぁ。うーん。
この解説はスタイルも含め、なかなか良いと思いました。
で、天童さんはやっぱりあの天童さんかしら?
「イニシエーション・ラブ」 乾 くるみ ★★★
ううむ。おもしろい作家ですね。
筒井康隆をちょっと思い出すような、長ーーーいセンテンス。
描かれているのは日常風景のようであって、でも日常的ではない人たち。
かなり筆力ある作家だと思うのですが、こういう文章は今時嫌われるのでは
ないかしら、読みにくいとか言って。
いえいえ、それは読む側の読書力がなさすぎってもんだと思うんですが
(言い過ぎですかすいません)。
最近「面白い」という定義がちょっと歪んできているように思うのは
あたしだけかしら。「判りやすく」て「単純」で「笑える」ものだけが
「面白いもの」であるかのような風潮を感じるんですけどね。
本も同じで「判りやすい面白さ」だけを追求するのならそれこそ「つまらない」
と思うんだけどなぁ。
しかし。
この本には解説がみっつついており、そのうちふたつが著者自身による「あとがき」という名の
解説ですが、文芸書に於ける著者自身による解説は、ごく一部の人を除き蛇足以外の何物でもない、
少なくともあたくしの経験上、90%を超える確率でそうであったと思っています。
だいたい著者自身が(その名前がたとえ「あとがき」であっても)解説を付そうとする心理は
「読者に伝え切れていないのではないか」という書き手側の不安、と同時にそれと裏腹な
「どうせ読み下せないに違いない」というようなある種の傲慢さ、みたいなものがあるのでは
ないかと想像してしまいます。
そうして付された「解説(あとがき)」という名の文章は、著者自身によるタネ明かしであったり
ちょっとした裏話の公開であったり、つまりは「蛇足」以外の何物にもならないのではないかと。
だいたいどんな解説をつけたところで、判る人には判るし、わかんない人には判んないもんだし、
その上ひとはそれぞれ「そのひと判りかた」で判るしかないんですけどね。
更に。
みっつめの「解説」が本来の解説だと思うんですが、これが…。
かなり衝撃的です。あまりにもひどくて。
「タマや」 金井 美恵子 ★★★
筒井康隆をちょっと思い出すような、長ーーーいセンテンス。
描かれているのは日常風景のようであって、でも日常的ではない人たち。
かなり筆力ある作家だと思うのですが、こういう文章は今時嫌われるのでは
ないかしら、読みにくいとか言って。
いえいえ、それは読む側の読書力がなさすぎってもんだと思うんですが
(言い過ぎですかすいません)。
最近「面白い」という定義がちょっと歪んできているように思うのは
あたしだけかしら。「判りやすく」て「単純」で「笑える」ものだけが
「面白いもの」であるかのような風潮を感じるんですけどね。
本も同じで「判りやすい面白さ」だけを追求するのならそれこそ「つまらない」
と思うんだけどなぁ。
しかし。
この本には解説がみっつついており、そのうちふたつが著者自身による「あとがき」という名の
解説ですが、文芸書に於ける著者自身による解説は、ごく一部の人を除き蛇足以外の何物でもない、
少なくともあたくしの経験上、90%を超える確率でそうであったと思っています。
だいたい著者自身が(その名前がたとえ「あとがき」であっても)解説を付そうとする心理は
「読者に伝え切れていないのではないか」という書き手側の不安、と同時にそれと裏腹な
「どうせ読み下せないに違いない」というようなある種の傲慢さ、みたいなものがあるのでは
ないかと想像してしまいます。
そうして付された「解説(あとがき)」という名の文章は、著者自身によるタネ明かしであったり
ちょっとした裏話の公開であったり、つまりは「蛇足」以外の何物にもならないのではないかと。
だいたいどんな解説をつけたところで、判る人には判るし、わかんない人には判んないもんだし、
その上ひとはそれぞれ「そのひと判りかた」で判るしかないんですけどね。
更に。
みっつめの「解説」が本来の解説だと思うんですが、これが…。
かなり衝撃的です。あまりにもひどくて。
「タマや」 金井 美恵子 ★★★
なんと。新井素子です。懐かしいですねぇ。
何故今頃新井素子なのか。いえ単に名作の誉れ高いこの作品は
読んでなかったなぁというだけなんですが。
それにしても懐かしい。
この文体。
相手のことを(それが恋人であっても)お互いに「お宅」と呼び合う
ビミョーな距離感。
そういったあやふやな、ある種の危うさが絶妙なバランスで
世界を構成していますね。
そのなかで「狂気」なんかがストレートに表現されていて、しかも
いろんなバリエーションの狂気が描きわけられているのが面白い。
こうして改めて新井素子を読んでみると、コバルト文庫をはじめとするジュニア小説の延長線上に
燦然と輝くのが「よしもとばなな」なのだなぁとはっきり判ります。
これは、1週間後に隕石が地球に衝突するので、つまりみんなの寿命もあと1週間という、
三浦しをんの 「むかしのはなし」と、テーマは違うけど設定は一緒です。
そして。
お約束の。
あと1週間後に隕石がぶつかって死ぬ。みんな死ぬ。
さてどうしましょうか?
しかし隕石がぶつかって地球が壊れて死ぬのって、そういう死に方ってこわいなぁ。
「ひとめあなたに…」 新井 素子 ★★★
何故今頃新井素子なのか。いえ単に名作の誉れ高いこの作品は
読んでなかったなぁというだけなんですが。
それにしても懐かしい。
この文体。
相手のことを(それが恋人であっても)お互いに「お宅」と呼び合う
ビミョーな距離感。
そういったあやふやな、ある種の危うさが絶妙なバランスで
世界を構成していますね。
そのなかで「狂気」なんかがストレートに表現されていて、しかも
いろんなバリエーションの狂気が描きわけられているのが面白い。
こうして改めて新井素子を読んでみると、コバルト文庫をはじめとするジュニア小説の延長線上に
燦然と輝くのが「よしもとばなな」なのだなぁとはっきり判ります。
これは、1週間後に隕石が地球に衝突するので、つまりみんなの寿命もあと1週間という、
三浦しをんの 「むかしのはなし」と、テーマは違うけど設定は一緒です。
そして。
お約束の。
あと1週間後に隕石がぶつかって死ぬ。みんな死ぬ。
さてどうしましょうか?
しかし隕石がぶつかって地球が壊れて死ぬのって、そういう死に方ってこわいなぁ。
「ひとめあなたに…」 新井 素子 ★★★
ホラーなのかな…。まあいいや。
タイトルの付け方とか切り口とかオチとか、そういうのは
なかなか面白いと思うんですが、文章とか描写がちょっと荒いなぁ。
スピード感もって読めるんだけど、内容が内容だけに、
もうちょっと描き込んでいただきたいところ。
それからちょっとネタばれで申し訳ないですが、二重人格(正しくは
多重人格ですが)の定義は違うと思います。
この辺りももっと丁寧に掘り下げて欲しかったなぁ。
★みっつはぎりぎり。
「セカンド・ワイフ」 吉村 達也★★★
タイトルの付け方とか切り口とかオチとか、そういうのは
なかなか面白いと思うんですが、文章とか描写がちょっと荒いなぁ。
スピード感もって読めるんだけど、内容が内容だけに、
もうちょっと描き込んでいただきたいところ。
それからちょっとネタばれで申し訳ないですが、二重人格(正しくは
多重人格ですが)の定義は違うと思います。
この辺りももっと丁寧に掘り下げて欲しかったなぁ。
★みっつはぎりぎり。
「セカンド・ワイフ」 吉村 達也
新撰組のサイドストーリー的短編集しかも連作。
これを読まずにいられようか。
土方もその刀を使ったと言われている11代兼定など、職人さんにも
スポットが当たっています。
当然と言えば当然ですが、職人も女性も市井のひとたちも、みんな
「時代」は翻弄していきます。
箱館時代の土方がこんなに穏やかだったのかどうか、もう知る術は
ないですが、確かにみんな「夢のかたちが違った」のかもしれません。
解説が刀鍛冶の職人さんなんですよ。なかなか面白い試みですね。
「会津斬鉄風」 森 雅裕 ★★★★
これを読まずにいられようか。
土方もその刀を使ったと言われている11代兼定など、職人さんにも
スポットが当たっています。
当然と言えば当然ですが、職人も女性も市井のひとたちも、みんな
「時代」は翻弄していきます。
箱館時代の土方がこんなに穏やかだったのかどうか、もう知る術は
ないですが、確かにみんな「夢のかたちが違った」のかもしれません。
解説が刀鍛冶の職人さんなんですよ。なかなか面白い試みですね。
「会津斬鉄風」 森 雅裕 ★★★★
北村薫と宮部みゆきのコンビが選者、というのが、もうなんとも
そそられます。
半村良とか黒井千次とか小松左京とか吉村昭とか松本清張とかとか、
個人的に懐かしい作家が、だーっと。昔よく読んだなぁ。
さすがにというべきか、どれも上手い。黒井千次の冷蔵庫の霜なんてもう
さすがプロだなぁという感じ。
それからやっぱり吉村昭の『少女架刑』。乙一が似たようなのを
書いていたと思いますが、こちらはなんとも透明感があって下品に落ちず、
至る所に音の描写もあるモノの、なんとなく無音のイメージの世界を
紡いでいて、それがラストをさらに際だたせる。
穴を掘ってたらドストエフスキーが通りかかって世間話をしていくという何とも
シュールなものや、宇宙人なんだけど長屋話みたいなものとかまであって、とにかく
バラエティに富んだ短編の名作が一度に読めます。
「名短篇、ここにあり」 北村 薫 宮部みゆき 編 ★★★
そそられます。
半村良とか黒井千次とか小松左京とか吉村昭とか松本清張とかとか、
個人的に懐かしい作家が、だーっと。昔よく読んだなぁ。
さすがにというべきか、どれも上手い。黒井千次の冷蔵庫の霜なんてもう
さすがプロだなぁという感じ。
それからやっぱり吉村昭の『少女架刑』。乙一が似たようなのを
書いていたと思いますが、こちらはなんとも透明感があって下品に落ちず、
至る所に音の描写もあるモノの、なんとなく無音のイメージの世界を
紡いでいて、それがラストをさらに際だたせる。
穴を掘ってたらドストエフスキーが通りかかって世間話をしていくという何とも
シュールなものや、宇宙人なんだけど長屋話みたいなものとかまであって、とにかく
バラエティに富んだ短編の名作が一度に読めます。
「名短篇、ここにあり」 北村 薫 宮部みゆき 編 ★★★
タイトルにもなっている「あんたのバラード」やチェッカーズの
「星屑のステージ」、「悲しい色やね」など、今や懐かしい、しかし名曲の
数々が短編のタイトルになっています(短編の扉には歌詞付き)。
そういう意味では企画モノですね。
島村洋子は決して嫌いな作家ではなく、いやむしろ好きな方なんですが、
この作品集はちょっとそれぞれの歌とストレートにつなげ過ぎかなぁ、
と言う気がしなくもない。もうちょっと捻るというか、読み終わってそれから
「ああ、そういうことか」と判るような歌の世界観の広げ方というか、
そんなのを期待していたのでちょっと残念。
短編のなかのひとつに、出奔してしまう主婦の話があるのですが、
これがまた「無敵荘夜話」の2編目の短編とだぶって見えます。
だぶってみえるのはどうでもいいんですがこの究極の逸脱とも言える「出奔」。
一応社会生活をそれなりに営んでいるものの実は根っこに強力な引きこもり指向をもっている
あたくし、この「出奔」というのにとても興味があります。
ある日突然、何の前触れもなく姿を消し、本人はそれまでの一切合切を捨てて、
着の身着のままで漂着した土地でまったく新しく生き直す。
のが「正しい出奔」だとすると、確かにそれを実行する人は少ないのでしょうが、しかし考えて
みればこの出奔願望は誰にでもあって、実際に人それぞれのやり方で出奔しているのではないか、
すこし前に流行った「海外短期留学」だの「自分探し(の旅)」だのはたまた今はもう本来の
意味を外れてきているのではないかと思える「エコ」だの「ロハス」だの、みーんな「出奔」の
一形態、もしくは「プチ出奔」なのではないか、そういう意味ではあたしも「プチ出奔」して
いるなぁと、そんな風におもいました。
出奔とはつまり「自分の居場所探し」であり、それは突き詰めれば「本当の自分」探しで、
しかし「本当の自分」なんてモノはどこにもなくて(と、「免疫の意味論」にも
「ヤクザの文化人類学」にも出てきましたね)、
「霧笛荘夜話」の言葉を借りれば
「青い鳥を探しているうちに迷子になっちゃった」のが出奔なのかもしれず、そういう意味では
「プチ出奔」を通して自分の居場所を「創る」ほうが穏当かもしれません。
「大坂で生まれた女」が16番まであるということ、つまりはあの歌には続きがあるということを
初めて知りました。
「あんたのバラード」島村 洋子 ★★
「星屑のステージ」、「悲しい色やね」など、今や懐かしい、しかし名曲の
数々が短編のタイトルになっています(短編の扉には歌詞付き)。
そういう意味では企画モノですね。
島村洋子は決して嫌いな作家ではなく、いやむしろ好きな方なんですが、
この作品集はちょっとそれぞれの歌とストレートにつなげ過ぎかなぁ、
と言う気がしなくもない。もうちょっと捻るというか、読み終わってそれから
「ああ、そういうことか」と判るような歌の世界観の広げ方というか、
そんなのを期待していたのでちょっと残念。
短編のなかのひとつに、出奔してしまう主婦の話があるのですが、
これがまた「無敵荘夜話」の2編目の短編とだぶって見えます。
だぶってみえるのはどうでもいいんですがこの究極の逸脱とも言える「出奔」。
一応社会生活をそれなりに営んでいるものの実は根っこに強力な引きこもり指向をもっている
あたくし、この「出奔」というのにとても興味があります。
ある日突然、何の前触れもなく姿を消し、本人はそれまでの一切合切を捨てて、
着の身着のままで漂着した土地でまったく新しく生き直す。
のが「正しい出奔」だとすると、確かにそれを実行する人は少ないのでしょうが、しかし考えて
みればこの出奔願望は誰にでもあって、実際に人それぞれのやり方で出奔しているのではないか、
すこし前に流行った「海外短期留学」だの「自分探し(の旅)」だのはたまた今はもう本来の
意味を外れてきているのではないかと思える「エコ」だの「ロハス」だの、みーんな「出奔」の
一形態、もしくは「プチ出奔」なのではないか、そういう意味ではあたしも「プチ出奔」して
いるなぁと、そんな風におもいました。
出奔とはつまり「自分の居場所探し」であり、それは突き詰めれば「本当の自分」探しで、
しかし「本当の自分」なんてモノはどこにもなくて(と、「免疫の意味論」にも
「ヤクザの文化人類学」にも出てきましたね)、
「霧笛荘夜話」の言葉を借りれば
「青い鳥を探しているうちに迷子になっちゃった」のが出奔なのかもしれず、そういう意味では
「プチ出奔」を通して自分の居場所を「創る」ほうが穏当かもしれません。
「大坂で生まれた女」が16番まであるということ、つまりはあの歌には続きがあるということを
初めて知りました。
「あんたのバラード」島村 洋子 ★★
「新撰組幕末の青嵐」の著者の作品ですが、こちらは新撰組を裏から
とういか、「御陵衛士」とか新撰組の中では監察担当の尾方に、
つまりは近藤、土方、沖田などのメジャー組ではなく、マイナー組に
スポットが当たっています。
「マイナー組」がメインといえど、というかそれなのにこの深みのある世界を
紡ぎ出すのは、もうすごいとしか言いようがない。
自分の正義を目指すひとと、それぞれについていくひとと、
どうすればいいのか判らないひと。
それぞれの正義、それぞれの矜持、それぞれの欲求。
翻弄されまくって、無力感だけが残る。
歴史に大きく名を残すこともなかった人々ですが、なんというか切ない。
全体的にかなり切ない。
ラストだけが、ささやかな救いです。
それにしても。
今回は脇役感のある土方ですが圧倒的存在感。
やっぱりこの人のすごいところは、自分は参謀役に徹しているところだ。やろうと思えば自分で
頭を張ることだって簡単だったろうに。
近藤の何が、土方をしてそうさせたのか。うーん、判らん。
「地虫鳴く」木内 昇 ★★★★
とういか、「御陵衛士」とか新撰組の中では監察担当の尾方に、
つまりは近藤、土方、沖田などのメジャー組ではなく、マイナー組に
スポットが当たっています。
「マイナー組」がメインといえど、というかそれなのにこの深みのある世界を
紡ぎ出すのは、もうすごいとしか言いようがない。
自分の正義を目指すひとと、それぞれについていくひとと、
どうすればいいのか判らないひと。
それぞれの正義、それぞれの矜持、それぞれの欲求。
翻弄されまくって、無力感だけが残る。
歴史に大きく名を残すこともなかった人々ですが、なんというか切ない。
全体的にかなり切ない。
ラストだけが、ささやかな救いです。
それにしても。
今回は脇役感のある土方ですが圧倒的存在感。
やっぱりこの人のすごいところは、自分は参謀役に徹しているところだ。やろうと思えば自分で
頭を張ることだって簡単だったろうに。
近藤の何が、土方をしてそうさせたのか。うーん、判らん。
「地虫鳴く」木内 昇 ★★★★
偶然なんですけどもね。なんでこうも似たようなテーマの本が
続くんでしょうか。
意識して選んでるわけではないのに。ジャンルは全く違うというのに。
まあ、今に始まったことではないですが。
イスラエル人の研究者が、5年ほどヤクザにみっちりつきあって書いた本
らしいです。
私はてっきり、「ヤクザの内実」を「外国人の眼」から見た、
もっとエンタテインメント系の本だと思っていたのですが。
頭からいきなり「自己」と「他者」ですよ。
「自己とは実は実体ではなく、結局は行為の連続的プロセスに過ぎない」
ですよ。
「免疫」も「ヤクザ」でも、同じこと言ってますよ。
どうやら私はもうしばらく、「自己」と「他者(非自己)」について
考えなければならないらしい。
明確な基準をもたない日本社会において、「逸脱」はその行為そのものによってではなく、
その行為を社会がどう受け止めるかによって決まる。曖昧ですからね、日本人は。
つまりこの本は、日本文化論でもあるのです。
それから、マスメディアがこんなふうになっちゃったのは、社会が複雑化したから
仕方ないんでしょうか?
昨今の「後期高齢者なんとやら」でも強く感じたのですが、「マスメディア」と「ジャーナリズム」
の混同が激しいというか、「報道」の「エンタテインメント化」や「世論誘導」は罪悪だと
思うんだがなぁ。
もちろん、自分で情報を収集し取捨選択し、自分の頭で考えることを放棄してメディアに
流される「個人」ももっと問題ですが。
それにしても。
なんと。
ヤクザの機関誌があるらしいんですよ!
読みたい読みたい読みたい読みたい読みたい。
「ヤクザの文化人類学」 ヤコブ・ラズ ★★★★
続くんでしょうか。
意識して選んでるわけではないのに。ジャンルは全く違うというのに。
まあ、今に始まったことではないですが。
イスラエル人の研究者が、5年ほどヤクザにみっちりつきあって書いた本
らしいです。
私はてっきり、「ヤクザの内実」を「外国人の眼」から見た、
もっとエンタテインメント系の本だと思っていたのですが。
頭からいきなり「自己」と「他者」ですよ。
「自己とは実は実体ではなく、結局は行為の連続的プロセスに過ぎない」
ですよ。
「免疫」も「ヤクザ」でも、同じこと言ってますよ。
どうやら私はもうしばらく、「自己」と「他者(非自己)」について
考えなければならないらしい。
明確な基準をもたない日本社会において、「逸脱」はその行為そのものによってではなく、
その行為を社会がどう受け止めるかによって決まる。曖昧ですからね、日本人は。
つまりこの本は、日本文化論でもあるのです。
それから、マスメディアがこんなふうになっちゃったのは、社会が複雑化したから
仕方ないんでしょうか?
昨今の「後期高齢者なんとやら」でも強く感じたのですが、「マスメディア」と「ジャーナリズム」
の混同が激しいというか、「報道」の「エンタテインメント化」や「世論誘導」は罪悪だと
思うんだがなぁ。
もちろん、自分で情報を収集し取捨選択し、自分の頭で考えることを放棄してメディアに
流される「個人」ももっと問題ですが。
それにしても。
なんと。
ヤクザの機関誌があるらしいんですよ!
読みたい読みたい読みたい読みたい読みたい。
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