本はごはん。
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悪名高き西太后です。
この本では彼女と彼女が生きた時代を、きちんとした史料に基づいて
描き出しながら、中国の統治システムにまで論を広げています。
「西太后の治世(清朝末期)は、現代中国の小規模実験工場(パイロット・
プラント)であった」
という著者の説はとても興味深いものがあります。
男性権力者と女性権力者との違いや、統治方法の種類など、そして西太后
その人に迫っていますが、「悪女」のイメージばかりが先行していた
彼女をきちんと評価していると思います。
恐らく彼女は著者の言うように、「支配欲」よりも、国母として敬われ贅沢できることが
目的であったのだろうと思いますが、それにしても数度の政権の危機を上手く乗り越えている
あたり、センスがあったのかカンが良かったのか…。
ただやっぱり中国ではまだ、彼女に限らず歴史を客観的に評価することは難しいみたいですね。
「西太后―大清帝国最後の光芒」 加藤 徹 ★★★★
この本では彼女と彼女が生きた時代を、きちんとした史料に基づいて
描き出しながら、中国の統治システムにまで論を広げています。
「西太后の治世(清朝末期)は、現代中国の小規模実験工場(パイロット・
プラント)であった」
という著者の説はとても興味深いものがあります。
男性権力者と女性権力者との違いや、統治方法の種類など、そして西太后
その人に迫っていますが、「悪女」のイメージばかりが先行していた
彼女をきちんと評価していると思います。
恐らく彼女は著者の言うように、「支配欲」よりも、国母として敬われ贅沢できることが
目的であったのだろうと思いますが、それにしても数度の政権の危機を上手く乗り越えている
あたり、センスがあったのかカンが良かったのか…。
ただやっぱり中国ではまだ、彼女に限らず歴史を客観的に評価することは難しいみたいですね。
「西太后―大清帝国最後の光芒」 加藤 徹 ★★★★
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同書によると、「在宅死」は少しずつ増加の傾向にあるそうです。
まあ、「病院死」が必ずしも「スパゲッティ状態」とは限らないでしょう
けれども、それでも病院よりも勝手知ったる自宅の方が、私はいいなぁ。
しかし「看取る」経験、機会がどんどん失われていった結果、看取る「技術」
が失われつつあるそうで、この本には看取る「技術」や「覚悟」が紹介されて
います。
目前に死が迫っているときのサインとして、尿が出なくなることや呼吸の変化
があげられていますが、呼吸の変化は3段階あって、それぞれ詳しく説明され
ています。
いろんな看取りのケースが紹介されていますが、もうちょっと整理して
欲しいなぁというのが正直なところ。当然この問題に不可分でついてくる
「臓器移植」や「延命措置」などの問題や、
「在宅死」が少しずつ増えている要因のひとつに、「行き場がない」(=入院できない、
退院を促される)などの問題があることも、ほんとうにさらりとしか触れられていないし、
とにかくいろんな付随する問題がきちんと整理されておらず、ただただ経験談や取材内容が
羅列されているだけのようにしか見えません。
この本で紹介されている「死のサイン」を正しく受け止め対処することも大切ですが、病院で
死ぬか自宅で死ぬか、それ自体が問題なのではなくて、本人がどこでどんな風に最期を迎えたい
のか、そしてその希望を実現するためにはどうすればいいのかが重要で、
だからこそ、ドキュメンタリーといっても、関連する要素ももう少し整理して展開して
欲しかった。
まあ、それ以前に「死生観」が何より重要ではあるんですけれども。
「看取りのとき かけがえのない人の死に向き合う」 高橋 繁行 ★★★
まあ、「病院死」が必ずしも「スパゲッティ状態」とは限らないでしょう
けれども、それでも病院よりも勝手知ったる自宅の方が、私はいいなぁ。
しかし「看取る」経験、機会がどんどん失われていった結果、看取る「技術」
が失われつつあるそうで、この本には看取る「技術」や「覚悟」が紹介されて
います。
目前に死が迫っているときのサインとして、尿が出なくなることや呼吸の変化
があげられていますが、呼吸の変化は3段階あって、それぞれ詳しく説明され
ています。
いろんな看取りのケースが紹介されていますが、もうちょっと整理して
欲しいなぁというのが正直なところ。当然この問題に不可分でついてくる
「臓器移植」や「延命措置」などの問題や、
「在宅死」が少しずつ増えている要因のひとつに、「行き場がない」(=入院できない、
退院を促される)などの問題があることも、ほんとうにさらりとしか触れられていないし、
とにかくいろんな付随する問題がきちんと整理されておらず、ただただ経験談や取材内容が
羅列されているだけのようにしか見えません。
この本で紹介されている「死のサイン」を正しく受け止め対処することも大切ですが、病院で
死ぬか自宅で死ぬか、それ自体が問題なのではなくて、本人がどこでどんな風に最期を迎えたい
のか、そしてその希望を実現するためにはどうすればいいのかが重要で、
だからこそ、ドキュメンタリーといっても、関連する要素ももう少し整理して展開して
欲しかった。
まあ、それ以前に「死生観」が何より重要ではあるんですけれども。
「看取りのとき かけがえのない人の死に向き合う」 高橋 繁行 ★★★
「スカイ・クロラ」シリーズの、時系列的には4巻目。
なんとも圧倒的。溜息しか出ない。
全巻通してミステリ的な要素が一番強い巻ではありますが、謎解きそのもの
にはあまり価値を見いだしません。「僕」がジンロウなのかカンナミか、
それともクサナギなのかについては、さほど重要だとは思わない。
それを解明することがこの本の主題ではないだろうし、つまりは誰でも
いいのではないかと(そう言いながら私はきっとこの「僕」は「彼女」では
ないかと思っているのだけれど)。
それにしても。
「自由」とか「大人」とか「子供」とか、「美しいということ」や
「自分とは」とか「記憶」とか「時間」とか「戦い」とか、
もう様々なことについて、シリーズを通して怒濤のように考えさせられ、ちょっと酔っぱらった
ような、心地よい酩酊を感じます。
押井守が非常に判りやすい平易な解説を書いていますが、そうか、アニメ映画の監督とは
このくらいかみ砕いて平易に表現する能力が必要なのだな、と思ったりしました。
あ、このシリーズはやっぱり「スカイ・クロラ」から(=刊行順に)読むことをオススメします。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」 森 博嗣 ★★★★★
なんとも圧倒的。溜息しか出ない。
全巻通してミステリ的な要素が一番強い巻ではありますが、謎解きそのもの
にはあまり価値を見いだしません。「僕」がジンロウなのかカンナミか、
それともクサナギなのかについては、さほど重要だとは思わない。
それを解明することがこの本の主題ではないだろうし、つまりは誰でも
いいのではないかと(そう言いながら私はきっとこの「僕」は「彼女」では
ないかと思っているのだけれど)。
それにしても。
「自由」とか「大人」とか「子供」とか、「美しいということ」や
「自分とは」とか「記憶」とか「時間」とか「戦い」とか、
もう様々なことについて、シリーズを通して怒濤のように考えさせられ、ちょっと酔っぱらった
ような、心地よい酩酊を感じます。
押井守が非常に判りやすい平易な解説を書いていますが、そうか、アニメ映画の監督とは
このくらいかみ砕いて平易に表現する能力が必要なのだな、と思ったりしました。
あ、このシリーズはやっぱり「スカイ・クロラ」から(=刊行順に)読むことをオススメします。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」 森 博嗣 ★★★★★
猫小説、猫随筆が集められた1冊。
著者も井伏鱒二や谷崎潤一郎、壺井栄に柳田國男等々と、そうそうたる
ラインナップ。
猫を見つめる視線は各々ですが、みんな穏やかで優しい。
そしてそこから、昭和の生活や疎開先での村社会などが透けて見えてきます。
しかし何時の時代も。
猫は飼い主を仕えさせるもんなんですね。
「猫」 大佛 次郎 他 ★★★
著者も井伏鱒二や谷崎潤一郎、壺井栄に柳田國男等々と、そうそうたる
ラインナップ。
猫を見つめる視線は各々ですが、みんな穏やかで優しい。
そしてそこから、昭和の生活や疎開先での村社会などが透けて見えてきます。
しかし何時の時代も。
猫は飼い主を仕えさせるもんなんですね。
「猫」 大佛 次郎 他 ★★★
「スカイ・クロラ」シリーズの、時系列的には3巻目。
(時系列的な)1巻、2巻では草薙水素が語ってきましたが、ここで
ジンロウにチェンジです。ええ、あのジンロウですよ。
ジンロウは思考傾向がキルドレにしては一般に近いというか、「愛情」
というものについていろいろ考えたりしています。
この巻ではいろいろな局面が動き出していますが、そういったストーリィ上の
展開ももちろん面白いんですが、何より、
この巻の主題は「花束」で表現されている暗喩でしょう。
すごい。
「フラッタ・リンツ・ライフ」 森 博嗣 ★★★★
(時系列的な)1巻、2巻では草薙水素が語ってきましたが、ここで
ジンロウにチェンジです。ええ、あのジンロウですよ。
ジンロウは思考傾向がキルドレにしては一般に近いというか、「愛情」
というものについていろいろ考えたりしています。
この巻ではいろいろな局面が動き出していますが、そういったストーリィ上の
展開ももちろん面白いんですが、何より、
この巻の主題は「花束」で表現されている暗喩でしょう。
すごい。
「フラッタ・リンツ・ライフ」 森 博嗣 ★★★★
バチスタシリーズのサイドストーリィですね。
高階院長の若かりし頃の話ですが、主要な登場人物は大抵、
出てきます(白鳥を除く)。
相変わらず安心して読めます。かなり読みやすい。
外科医のありかたとして、高階と渡海という対照的なふたりを配し
ストーリィは展開していきますが、ちょっと極端かなぁと思う部分が
ないでもないけれど、面白いです。
主人公は世良くんという外科医一年生ですが、同じく新米看護師の花房と良い感じです。
しかし「ジェネラル・ルージュ」では花房はあれでしたよね…。
世良くんと渡海がその後どうなったのか、いつか読めるのでしょうか。
これは内容とは関係ありませんが、級数(文字サイズ)が大きくて、上・下巻ともそれぞれ
(約)200ページ、上下巻合わせて879円ってどうなんでしょう? 級数を落とせば恐らく
300ページ強で1冊に纏められると思うんですが。(値段は500円〜700円ってとこ?)
こんなことやってるから出版業界はどんどんダメになってくんじゃないんですかね。
自分の首絞めてるのが判かんないのかなぁ。
「ブラックペアン1988(上)」「ブラックペアン1988(下)」 海堂 尊 ★★★★
高階院長の若かりし頃の話ですが、主要な登場人物は大抵、
出てきます(白鳥を除く)。
相変わらず安心して読めます。かなり読みやすい。
外科医のありかたとして、高階と渡海という対照的なふたりを配し
ストーリィは展開していきますが、ちょっと極端かなぁと思う部分が
ないでもないけれど、面白いです。
主人公は世良くんという外科医一年生ですが、同じく新米看護師の花房と良い感じです。
しかし「ジェネラル・ルージュ」では花房はあれでしたよね…。
世良くんと渡海がその後どうなったのか、いつか読めるのでしょうか。
これは内容とは関係ありませんが、級数(文字サイズ)が大きくて、上・下巻ともそれぞれ
(約)200ページ、上下巻合わせて879円ってどうなんでしょう? 級数を落とせば恐らく
300ページ強で1冊に纏められると思うんですが。(値段は500円〜700円ってとこ?)
こんなことやってるから出版業界はどんどんダメになってくんじゃないんですかね。
自分の首絞めてるのが判かんないのかなぁ。
「ブラックペアン1988(上)」「ブラックペアン1988(下)」 海堂 尊 ★★★★
少年鑑別所の教官経験のある著者による、少年鑑別所で出会った少女たちの
物語。実話ベースの小説、でしょうか。
うーん。難しいですね。
言ってしまえば著者は(過去の自分の苦い経験から)少女側に立っていて、
それこそ公務員の事なかれ主義的な考え方や、事務的な扱いをする同僚や
上司に対して憤りを感じていますが、
若さ故の熱意、ということもあるでしょうが、著者は少女達に昔の自分を
重ねていて、自分が救われる方法を一生懸命探しているようでもあります。
それが著者なりの対応のしかたとなって、少女達には確実に届いたよう
ではありますが。
ただこの著者は1年で退官してしまったようで何とも残念です。
自分の無力さを痛感してのことらしいですが、そもそも神様じゃなんだから、他人なんか
救えないと思うんですよ。本気でそう思っていたとしたらそれこそ傲慢です。
少年鑑別所の教官に限ったことではないですが、救いたいとか助けたいとか思いながら、
時には何も出来ない自分の無力さに打ちひしがれながらも、それでも続けていくことが
大切なんじゃないかと、そんなふうに思うのです。
「窓から見える小さな空―少年鑑別所の少女の叫び 」 西街 守 ★★★
物語。実話ベースの小説、でしょうか。
うーん。難しいですね。
言ってしまえば著者は(過去の自分の苦い経験から)少女側に立っていて、
それこそ公務員の事なかれ主義的な考え方や、事務的な扱いをする同僚や
上司に対して憤りを感じていますが、
若さ故の熱意、ということもあるでしょうが、著者は少女達に昔の自分を
重ねていて、自分が救われる方法を一生懸命探しているようでもあります。
それが著者なりの対応のしかたとなって、少女達には確実に届いたよう
ではありますが。
ただこの著者は1年で退官してしまったようで何とも残念です。
自分の無力さを痛感してのことらしいですが、そもそも神様じゃなんだから、他人なんか
救えないと思うんですよ。本気でそう思っていたとしたらそれこそ傲慢です。
少年鑑別所の教官に限ったことではないですが、救いたいとか助けたいとか思いながら、
時には何も出来ない自分の無力さに打ちひしがれながらも、それでも続けていくことが
大切なんじゃないかと、そんなふうに思うのです。
「窓から見える小さな空―少年鑑別所の少女の叫び 」 西街 守 ★★★
引き続き「スカイ・クロラ」シリーズです。
相変わらず草薙水素ちゃん、飛び回って墜としまくってそして順調に
世間一般が言うところの「出世」をしていきます。
「出世」にはもれなく社会的な束縛とか組織のしがらみとかがついて
くるもので、永遠の子供であるキルドレ水素が、大人の世界に片足を
突っ込むことになります。「今まで通り空を飛び」たいがために。
『でも、煙みたいに自由になれれば良いな、と僕は思った。それには、
つまり、煙みたいに消えなくてはならないだろう。いつまでも、
自由なまま、この世に留まることはできない。
消えていくその最後に、ものは自由になる。』
つまり「完全な自由」なんてものはこの世にはなくて、だから「制限されたなかではある
けれども天空での自由」である空中戦を彼女は選択したわけだけれど、結局は「大人の事情」
つまりは社会にじわじわと巻き取られていく。
この巻のメインは草薙とティーチャーとの市街空中戦ですが、これは「大人になれない
キルドレ」と「大人になりたくなかった元子ども」の戦いでもあります。
草薙にとってはそれが自分の「最高の死の舞台」であったにもかかわらず、結局は最低の
茶番劇であり、つまりは完璧に「社会の演出」に取り込まれていたワケですが、この最高の
死に場、死に時を逃した彼女は、また自由と死に場所を求めて空へ、
「天国に墜ちて」いくのでしょう。
「ダウン・ツ・ヘヴン」 森 博嗣 ★★★★
相変わらず草薙水素ちゃん、飛び回って墜としまくってそして順調に
世間一般が言うところの「出世」をしていきます。
「出世」にはもれなく社会的な束縛とか組織のしがらみとかがついて
くるもので、永遠の子供であるキルドレ水素が、大人の世界に片足を
突っ込むことになります。「今まで通り空を飛び」たいがために。
『でも、煙みたいに自由になれれば良いな、と僕は思った。それには、
つまり、煙みたいに消えなくてはならないだろう。いつまでも、
自由なまま、この世に留まることはできない。
消えていくその最後に、ものは自由になる。』
つまり「完全な自由」なんてものはこの世にはなくて、だから「制限されたなかではある
けれども天空での自由」である空中戦を彼女は選択したわけだけれど、結局は「大人の事情」
つまりは社会にじわじわと巻き取られていく。
この巻のメインは草薙とティーチャーとの市街空中戦ですが、これは「大人になれない
キルドレ」と「大人になりたくなかった元子ども」の戦いでもあります。
草薙にとってはそれが自分の「最高の死の舞台」であったにもかかわらず、結局は最低の
茶番劇であり、つまりは完璧に「社会の演出」に取り込まれていたワケですが、この最高の
死に場、死に時を逃した彼女は、また自由と死に場所を求めて空へ、
「天国に墜ちて」いくのでしょう。
「ダウン・ツ・ヘヴン」 森 博嗣 ★★★★
本論以前に、語り口とか論旨の展開の仕方とかで誤解というか、
どちらかというとマイナスのイメージを与えかねないような気がします。
文体も論旨もかなり硬派で、「判りやすい」=「良い本」のような傾向が
あるなかでは敬遠されそうな。
ドキュメンタリーは事実の客観的記録なんかじゃない、という当たり前の
ことを言っています。そこには当然撮影する側、編集する側がどう見せたい
かという意図が完全に入っている、と。不党不遍の表現なんてありはしない、
と。
この主張自体が、読み手に不快感をももたらすのではないか。それぞれは
恐らく「客観的記録」を見て「自覚的」に判断しているという意識を持って
いるのであろうから。
しかし実はそれは「客観的記録」なんかじゃなくて、極端な話、「こう思わせたい」
「こう感じさせたい」という作り手の意図にまんまと乗ってるんですよ、と言われてるも
同然。しかしそれが真実。
例えば報道だって、最近流行りの「事業仕分け」、蓮舫議員と国立女性教育会館の女性館長
との「バトル」といって繰り返し報道されるのは、「私の話も聴いて下さいよ!」と
女性館長が叫ぶところばかり。
実はこのあと、この女性館長が延々と「総論」(つまりは各プロジェクトの目的やその評価
ではなく、女性教育の必要性ばかり)延々と持論を展開した部分については殆ど報道されて
いません。
誰も女性教育の必要性を否定しているわけではないと思うんですが。どのくらいの予算を
かけて、何を目標に据えて事業を展開するかということを議論する場に於いて、
「今なぜ女性教育が必要なのか」という議論を持ち出すことは、はっきり言って的外れです。
しかしそこは報道されず、例の「私にも発言させて下さい!!」の部分だけ繰り返し繰り返し
報道され、蓮舫議員の非礼ぶりばかりが強調されているようにも感じられるのです。
つまり報道ひとつとったって、どこを切り取ってメディアに載せるかによって与える情報、
印象は大きく変わってくるものであり、ドキュメンタリーであれば何を言わんやです。
今のTVが国民総白痴化を目指しているようにしか思えないなか、つまり著者の言うように
世の中が「白か黒か」「善か悪か」の単純二元論になりつつあるなかで、その
「白と黒の狭間にあるもの」を表現するのがドキュメンタリーだと、そうあって欲しい
と思います。
「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」 森 達也 ★★★
どちらかというとマイナスのイメージを与えかねないような気がします。
文体も論旨もかなり硬派で、「判りやすい」=「良い本」のような傾向が
あるなかでは敬遠されそうな。
ドキュメンタリーは事実の客観的記録なんかじゃない、という当たり前の
ことを言っています。そこには当然撮影する側、編集する側がどう見せたい
かという意図が完全に入っている、と。不党不遍の表現なんてありはしない、
と。
この主張自体が、読み手に不快感をももたらすのではないか。それぞれは
恐らく「客観的記録」を見て「自覚的」に判断しているという意識を持って
いるのであろうから。
しかし実はそれは「客観的記録」なんかじゃなくて、極端な話、「こう思わせたい」
「こう感じさせたい」という作り手の意図にまんまと乗ってるんですよ、と言われてるも
同然。しかしそれが真実。
例えば報道だって、最近流行りの「事業仕分け」、蓮舫議員と国立女性教育会館の女性館長
との「バトル」といって繰り返し報道されるのは、「私の話も聴いて下さいよ!」と
女性館長が叫ぶところばかり。
実はこのあと、この女性館長が延々と「総論」(つまりは各プロジェクトの目的やその評価
ではなく、女性教育の必要性ばかり)延々と持論を展開した部分については殆ど報道されて
いません。
誰も女性教育の必要性を否定しているわけではないと思うんですが。どのくらいの予算を
かけて、何を目標に据えて事業を展開するかということを議論する場に於いて、
「今なぜ女性教育が必要なのか」という議論を持ち出すことは、はっきり言って的外れです。
しかしそこは報道されず、例の「私にも発言させて下さい!!」の部分だけ繰り返し繰り返し
報道され、蓮舫議員の非礼ぶりばかりが強調されているようにも感じられるのです。
つまり報道ひとつとったって、どこを切り取ってメディアに載せるかによって与える情報、
印象は大きく変わってくるものであり、ドキュメンタリーであれば何を言わんやです。
今のTVが国民総白痴化を目指しているようにしか思えないなか、つまり著者の言うように
世の中が「白か黒か」「善か悪か」の単純二元論になりつつあるなかで、その
「白と黒の狭間にあるもの」を表現するのがドキュメンタリーだと、そうあって欲しい
と思います。
「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」 森 達也 ★★★
「スカイ・クロラ」シリーズです。
このシリーズは全5冊+外伝(風短編集)1冊で構成されているようですが、
一番最初に刊行された「スカ イ・クロラ」は、時系列的には最後(第5巻?)
になるようで、この『ナ・バ・テア』がストーリィ上は第1巻にあたる
ようです。
なので、この『ナ・バ・テア』から読む、という手もあったんですが、
「スカイ・クロラ」が最初に刊行されていることにはそれなりの意味
(もしくは意図)もあると思うので、刊行順に読みますよ。
しかし。
そうか。そうだった。
「スカイ・クロラ」シリーズはは草薙の話だったんだ。すっかりそれを忘れていて、
まんまとしてやられた。そうか。だから「スカ イ・クロラ」のラストはああなるのか。
しかしここまで絶望と孤独、いや絶望なんて生やさしいものではなくて、つまり絶望とは
希望を知っている人が感じることが出来る感覚で、そもそもその希望自体を知らない世界を
描けるのはすごいなぁ。
ラストで草薙が感じた喜び、それは「希望」なんだろうか?
「ナ・バ・テア」 森 博嗣 ★★★★
このシリーズは全5冊+外伝(風短編集)1冊で構成されているようですが、
一番最初に刊行された「スカ イ・クロラ」は、時系列的には最後(第5巻?)
になるようで、この『ナ・バ・テア』がストーリィ上は第1巻にあたる
ようです。
なので、この『ナ・バ・テア』から読む、という手もあったんですが、
「スカイ・クロラ」が最初に刊行されていることにはそれなりの意味
(もしくは意図)もあると思うので、刊行順に読みますよ。
しかし。
そうか。そうだった。
「スカイ・クロラ」シリーズはは草薙の話だったんだ。すっかりそれを忘れていて、
まんまとしてやられた。そうか。だから「スカ イ・クロラ」のラストはああなるのか。
しかしここまで絶望と孤独、いや絶望なんて生やさしいものではなくて、つまり絶望とは
希望を知っている人が感じることが出来る感覚で、そもそもその希望自体を知らない世界を
描けるのはすごいなぁ。
ラストで草薙が感じた喜び、それは「希望」なんだろうか?
「ナ・バ・テア」 森 博嗣 ★★★★
アトピーエッセイ。
物心ついたときからアトピーに振り回されてきた著者の、ある種
「壮絶」とも言える体験談です。
アトピーという病気については知っていますが、身近に該当者がいなかった
ため、ここまで壮絶だとは知りませんでした。
かゆい、痛い、肌が汚くなる、だけでなく、いじめやら海も温泉もダメだとか
民間療法によって命も危険さらされるなどなど。
皮膚科の(医者の)対応が悪い→医療に対する不信感→なかなか治らない→
更に不信感&ステロイドバッシングによる不安感→民間療法に走る→
高いお金を巻き上げられて更に悪化→皮膚科に戻る…
なんとう悪循環、または負の連鎖。真っ当な医療が行われることと、怪しい民間療法が
撲滅されることを願います。
アトピーって大変そうだけれど命に関わる病気じゃないんでしょ、なんて思っていたことを
大いに反省しました。精神的ダメージがこんなにも大きいなんて。
等身大の語り口が読みやすくて面白いです。広く理解されるべき病気だと思いました。
「アトピーの女王」 雨宮 処凛 ★★★
物心ついたときからアトピーに振り回されてきた著者の、ある種
「壮絶」とも言える体験談です。
アトピーという病気については知っていますが、身近に該当者がいなかった
ため、ここまで壮絶だとは知りませんでした。
かゆい、痛い、肌が汚くなる、だけでなく、いじめやら海も温泉もダメだとか
民間療法によって命も危険さらされるなどなど。
皮膚科の(医者の)対応が悪い→医療に対する不信感→なかなか治らない→
更に不信感&ステロイドバッシングによる不安感→民間療法に走る→
高いお金を巻き上げられて更に悪化→皮膚科に戻る…
なんとう悪循環、または負の連鎖。真っ当な医療が行われることと、怪しい民間療法が
撲滅されることを願います。
アトピーって大変そうだけれど命に関わる病気じゃないんでしょ、なんて思っていたことを
大いに反省しました。精神的ダメージがこんなにも大きいなんて。
等身大の語り口が読みやすくて面白いです。広く理解されるべき病気だと思いました。
「アトピーの女王」 雨宮 処凛 ★★★
映画(アニメ)を先に見ました。
いつものごとくストーリィは書きませんが。
思春期以降、成長することも死ぬこともなく、唯一戦争でのみ死ぬ
「キルドレ」である「僕」の語りでストーリィは展開していきますが、
この本を読んでいると、自然と「老師と少年」が思い出されます。
「スカイ・クロラ」のタイトル通り、空に張り付いて、空にはいつくばって
しか生きていけない「キルドレ」、
『僕たちは、神に祈るか、それとも、殺し合いをするか、そのどちらかを
選択しなければならない。それがルールだった。』
つまりは「神に祈る」=既に確立された価値観を丸ごと受け入れてそれに依存して生きるか、
「殺し合いをする」=生存競争のただ中で他者をけ落として生きていくか、結局のところ
世の中とはその通りで、
そのなかで、直接的に殺すのも間接的に殺すのも同じ、と。確かにその通り。
そこに何の疑問も抱かなければ生きていける。少なくとも毎日は過ぎていく。
日常のちょっとした変化を頼りに。
『僕はまだ子どもで、 ときどき、 右手が人を殺す。その代わり誰かの右手が僕を殺して
くれるだろうー。』
そんな風にしか生きられなかったのに、つまりは与えられた生をただ生きるだけだった
のに、いつしか彼は他人の、そして自分のために歩き出す。それは即ち、「自分の生」を
自ら生きることであり、ただ生きているのではなく、他人も引き受けながら自分の命を
引き受ける生き方。
映画とは大きくラストが違うのだけれど、メッセージは同じ。
そういう意味では映画は良くできてると思います。メッセージを損なわず、より判りやすく
表現していると思う。
そしてこの「スカイ・クロラ」を物語ったのが工学博士だということが、また感慨深いものが
あります。
しかし。
この本もかなり評価が分かれるでしょうね。
「スカイ・クロラ」 森 博嗣 ★★★★
いつものごとくストーリィは書きませんが。
思春期以降、成長することも死ぬこともなく、唯一戦争でのみ死ぬ
「キルドレ」である「僕」の語りでストーリィは展開していきますが、
この本を読んでいると、自然と「老師と少年」が思い出されます。
「スカイ・クロラ」のタイトル通り、空に張り付いて、空にはいつくばって
しか生きていけない「キルドレ」、
『僕たちは、神に祈るか、それとも、殺し合いをするか、そのどちらかを
選択しなければならない。それがルールだった。』
つまりは「神に祈る」=既に確立された価値観を丸ごと受け入れてそれに依存して生きるか、
「殺し合いをする」=生存競争のただ中で他者をけ落として生きていくか、結局のところ
世の中とはその通りで、
そのなかで、直接的に殺すのも間接的に殺すのも同じ、と。確かにその通り。
そこに何の疑問も抱かなければ生きていける。少なくとも毎日は過ぎていく。
日常のちょっとした変化を頼りに。
『僕はまだ子どもで、 ときどき、 右手が人を殺す。その代わり誰かの右手が僕を殺して
くれるだろうー。』
そんな風にしか生きられなかったのに、つまりは与えられた生をただ生きるだけだった
のに、いつしか彼は他人の、そして自分のために歩き出す。それは即ち、「自分の生」を
自ら生きることであり、ただ生きているのではなく、他人も引き受けながら自分の命を
引き受ける生き方。
映画とは大きくラストが違うのだけれど、メッセージは同じ。
そういう意味では映画は良くできてると思います。メッセージを損なわず、より判りやすく
表現していると思う。
そしてこの「スカイ・クロラ」を物語ったのが工学博士だということが、また感慨深いものが
あります。
しかし。
この本もかなり評価が分かれるでしょうね。
「スカイ・クロラ」 森 博嗣 ★★★★
正直に白状しますと、まーったく期待してなかったのですこの本。
しかし。
面白いじゃないか…。
NHK交響楽団で長いこと(30年超?)バイオリンを弾き、世界の著名な
音楽家と共に音楽を作ってきた著者によるエッセイですが、
楽器を奏でることができなくても、オーケストラのことも有名な指揮者も
なにも知らなくても楽しめると思います。
オーケストラというと何というか、ちょっと近寄りがたい雰囲気というか
自分とは別世界の人たちのような気がしていましたが、
「N響」のことを「N狂」と表現していたり、指揮者とオケの演奏者との
ビミョーな関係とか、オーケストラの舞台裏があっけらかんと語られていて楽しいです。
後半はディスクガイドにもなっていて、ちょっと聴いてみようかなという気にもさせて
くれて、とにかく楽しい1冊でありました。
「バイオリニストは目が赤い」 鶴我 裕子 ★★★
しかし。
面白いじゃないか…。
NHK交響楽団で長いこと(30年超?)バイオリンを弾き、世界の著名な
音楽家と共に音楽を作ってきた著者によるエッセイですが、
楽器を奏でることができなくても、オーケストラのことも有名な指揮者も
なにも知らなくても楽しめると思います。
オーケストラというと何というか、ちょっと近寄りがたい雰囲気というか
自分とは別世界の人たちのような気がしていましたが、
「N響」のことを「N狂」と表現していたり、指揮者とオケの演奏者との
ビミョーな関係とか、オーケストラの舞台裏があっけらかんと語られていて楽しいです。
後半はディスクガイドにもなっていて、ちょっと聴いてみようかなという気にもさせて
くれて、とにかく楽しい1冊でありました。
「バイオリニストは目が赤い」 鶴我 裕子 ★★★
この本は何度か読み返す必要がありそうです。
とても平易な言葉で綴られていますが、語られている内容は
とてつもなく深い。
「生きずらくても生きることを決断せよ」という力強いメッセージと共に、
「生きる意味より死なない工夫」と。
恐らく仏教で言うところの「空」のことを言っている部分が、
これを読む限りは理解できるのだけれど、本当に理解できているか
自信がない。
それでも、ここに書かれていることが全て理解できているとは思わない
けれども、ここにはいま自分が「判った」と思っている以上に重要な
何かが書かれているように感じる。
「老師と少年」 南 直哉 ★★★★★
とても平易な言葉で綴られていますが、語られている内容は
とてつもなく深い。
「生きずらくても生きることを決断せよ」という力強いメッセージと共に、
「生きる意味より死なない工夫」と。
恐らく仏教で言うところの「空」のことを言っている部分が、
これを読む限りは理解できるのだけれど、本当に理解できているか
自信がない。
それでも、ここに書かれていることが全て理解できているとは思わない
けれども、ここにはいま自分が「判った」と思っている以上に重要な
何かが書かれているように感じる。
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