本はごはん。
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1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で三島由紀夫が自決直前に
撒いた「檄文」、以前にも触れた通りそれは、
「熱烈で悲壮な【日本という国】へのラブレター」
だと思うのですがそのなかに、
「我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、
国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り
(中略)、政治は矛盾の湖塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の計は外国に委ねられ…」
とあり、また死の数ヶ月前に書かれた「私の中の二十五年」には、
「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国
が極東の一角に残るのだろう」
と、40年も前にここまで的確に現在の日本を見通していたのかと感嘆するのでありますが、
この著書の中には石原慎太郎との対談の中での三島の発言が引用されており、そこにある
「ポスト・インダストリアゼーションのときに、日本というものも本質を露呈するんじゃ
なかろうか」
という三島の発言にはもう驚嘆も通り越してしまいます。
この本は、楯の会第6班副班長だった著者が三島との日々を振り返ったもので、楯の会の隊員
からみた三島由紀夫が描かれています。
楯の会では三島の指示のもと、「憲法改正案」の作成にも着手していますが、その研究会で
著者が提出した原稿のなかに、
「人間本来の脆弱さを社会に押しつけ、自己を社会の被害者と規定することにより、被害者で
あるという理由だけで自己の正義を主張する欺瞞と甘えが罷り通る日本ではなく…(略)」
という文章があります。当時著者は21歳。まったく、なんというレベルの高さだろうか。
戦後、「豊かになりたい」と願ったことは非難されるべきことではないと思います。
しかしいつの間にか、不必要な豊かさを追いかけ続け、気がつかないうちにそれと引き替えに
大切なもの失ってしまったのかもしれません。
そのあたりを見抜いていた三島は、まるでギリシア神話のカッサンドラを想起させもするのです。
「果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの」 井上 豊夫 ★★★★★
撒いた「檄文」、以前にも触れた通りそれは、
「熱烈で悲壮な【日本という国】へのラブレター」
だと思うのですがそのなかに、
「我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、
国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り
(中略)、政治は矛盾の湖塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の計は外国に委ねられ…」
とあり、また死の数ヶ月前に書かれた「私の中の二十五年」には、
「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国
が極東の一角に残るのだろう」
と、40年も前にここまで的確に現在の日本を見通していたのかと感嘆するのでありますが、
この著書の中には石原慎太郎との対談の中での三島の発言が引用されており、そこにある
「ポスト・インダストリアゼーションのときに、日本というものも本質を露呈するんじゃ
なかろうか」
という三島の発言にはもう驚嘆も通り越してしまいます。
この本は、楯の会第6班副班長だった著者が三島との日々を振り返ったもので、楯の会の隊員
からみた三島由紀夫が描かれています。
楯の会では三島の指示のもと、「憲法改正案」の作成にも着手していますが、その研究会で
著者が提出した原稿のなかに、
「人間本来の脆弱さを社会に押しつけ、自己を社会の被害者と規定することにより、被害者で
あるという理由だけで自己の正義を主張する欺瞞と甘えが罷り通る日本ではなく…(略)」
という文章があります。当時著者は21歳。まったく、なんというレベルの高さだろうか。
戦後、「豊かになりたい」と願ったことは非難されるべきことではないと思います。
しかしいつの間にか、不必要な豊かさを追いかけ続け、気がつかないうちにそれと引き替えに
大切なもの失ってしまったのかもしれません。
そのあたりを見抜いていた三島は、まるでギリシア神話のカッサンドラを想起させもするのです。
「果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの」 井上 豊夫 ★★★★★
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