本はごはん。
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中山可穂という作家は不思議な作家であると思う。
ビアンであることをカムアウトして、ビアン小説ばっかり書いているから、
ということではなくて。
この本に収められている短編はどれも女性同士の恋愛を扱っていて、
たとえば冒頭に収められている「夕鶴」は、乱暴にいってしまえば
出会って別れる(その別れ方は悲劇的であるけれど)それだけの
話であって。
しかしこの話に限らずどのストーリィからも、「渇望の悲鳴」のような
ものが聞こえてくるようで、そしてそれは何に対する渇望なのだろうか、と。
それについて解説で酒井順子が、同性愛に付随する
「子供の不在(子供を産み出せない愛)」に対する不安と指摘していますが
それだけではないように思うのです。
どちらかというと、同じく酒井順子が指摘している「いつ終わるともしれない」ものに対する
不安と、そしてそれを求めずには生きていけない自分に対する悲鳴なのではないかと。
「安定」と「安住の地」を渇望しながらも、きっとそこに安住することはできないであろう
自分に対するもどかしさ。
だとすれば、彼女はいつも同性愛をテーマに描いているけれども、そこで真に語られているのは
性別も何も関係ない、普遍的なものであると思うのであります。
「花伽藍」 中山 可穂 ★★★
ビアンであることをカムアウトして、ビアン小説ばっかり書いているから、
ということではなくて。
この本に収められている短編はどれも女性同士の恋愛を扱っていて、
たとえば冒頭に収められている「夕鶴」は、乱暴にいってしまえば
出会って別れる(その別れ方は悲劇的であるけれど)それだけの
話であって。
しかしこの話に限らずどのストーリィからも、「渇望の悲鳴」のような
ものが聞こえてくるようで、そしてそれは何に対する渇望なのだろうか、と。
それについて解説で酒井順子が、同性愛に付随する
「子供の不在(子供を産み出せない愛)」に対する不安と指摘していますが
それだけではないように思うのです。
どちらかというと、同じく酒井順子が指摘している「いつ終わるともしれない」ものに対する
不安と、そしてそれを求めずには生きていけない自分に対する悲鳴なのではないかと。
「安定」と「安住の地」を渇望しながらも、きっとそこに安住することはできないであろう
自分に対するもどかしさ。
だとすれば、彼女はいつも同性愛をテーマに描いているけれども、そこで真に語られているのは
性別も何も関係ない、普遍的なものであると思うのであります。
「花伽藍」 中山 可穂 ★★★
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