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本はごはん。
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51PP9SM38VL._SL160_.jpg  これは以外に面白い話であった。どこまで本当の
 ことなのか、にわかには信じがたい部分がなくはないのだけれど。
 (二・二六事件後、自刃した河野大尉の亡霊を見たとか夢で会ったとか)。

 著者は過去の「二・二六事件」を通して三島と繋がっていきますが、
 この段階では三島はまだ、分岐点の手前にいたように感じる。
 文学者として生きていくのか、自分の信念と熱情に身を委ねるのか。

 この著者と出会ったことも含め、またそれ以外の沢山のことが
 三島を二・二六とその思想に収斂していってしまったようにも思う。

 著者と三島は親密というほどでもなく疎遠と言うほどでもなく、程良い
 距離感で三島を見ていたから書けた作品かもしれないが、

 ただ同時に、何の根拠もなくただふと思ってしまうのは、著者は全てを著したのだろうか?
 ということが、どうしても頭をよぎる。


熱海の青年将校―三島由紀夫と私」 原 竜一 ★★★★
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610314.jpg  今や殺人事件の約半数が「身内の犯行」だそうです。
 親が子を、子が親を、妻が夫を、そして祖母が孫を殺す時代。

 10の事件が纏められており、ケース集としてはいいと思います。

 どの事件も背景には「親子関係」があって、特に母親が、子供を自己実現や
 自分の自己愛を満たすための手段、道具としてしまった場合、悲劇的な結果に
 繋がるリスクが格段にあがるのでしょう。

 ただ、「我が子を殺人者にしないために」とありますが、ちょっと表層的
 かなぁと言う気がしないでもない。
 
 健全な親子関係を築くことの重要性を訴えており、それはとても大事なことだと思いますが、
 例えば愛されないで育ったがために子供を愛することが出来ず苦しんでいる親や、共依存に
 陥ってしまった妻は実際どうすればいいのか、

 不幸にもDV家庭で育ってしまった人が家庭を持ったとき、DVを連鎖させないためにはどう
 したらいいのか、そのあたりもうちょっと踏み込んでみて欲しかったかも。

 ケースの中でちょっと薄ら寒い気がするのは、住み込みの管理人をしている両親を殺して
 しまった高校生のケースです。

 これを読む限り、大人に「ウケる」謝罪の言葉を流ちょうに話し、周りの大人たち(弁護士、
 心理士、裁判官、支援者などなど)を「言葉によってコントロール」する自分に酔っている
 ような印象を受けます。

 犯行動機が実年齢に比してあまりにも未成熟であるように感じられることと併せて、
 「大人をコントロールしている感」、つまり「幼児的万能感」に浸っているように思えて
 仕方ないのです。
 
 それにしても。
 思春期なんてものは、子供が精神的に親殺しを果たし、自立していく時であると思うのですが、
 上手く乗り越えられないケースが増えてきてるんでしょうか。

 それでも実際に「殺人」という行為にまで至るには、相当な溝があると思うんですが。


身内の犯行/a>」 橘 由歩 ★★★
32232020.JPG  ジャンルとしては法廷ミステリになるのだと思いますが、
 昭和の初め、日本に陪審員制度が導入されていた際の裁判の様子が
 良くわかります。

 無罪を証言するはずであった証人が法廷内で射殺されるというミステリでは
 ありますが、はっきり言ってその謎解きは(私にとっては)どうでもよく、

 それよりも、

 陪審員制といっても、とりあえず欧米からその制度を取り入れただけで、
 検察は判事と同様に壇上にいる(弁護士より偉い)とか、事前に判事から
 密室で調書を取られる、それも恫喝されたもしながらだとか、

 現在では撤廃されている(お隣韓国ではまだ生きているようですが)姦通罪などが、当時の
 世情と併せて展開されておりとても興味深いです。

 この当時、裁判員に選出されることは(抽選とはいえ)名誉なことであったなど、現在との
 違いもくっきりと浮かび上がっています。

 なかなか面白かったです。


陪審15号法廷」 和久 峻三 ★★★
133871.jpg  順番が逆になりましたが(発行年度は「累犯障害者」のほうが先)、
 この著者の1作目である「獄窓記」です。

 「累犯障害者」は刑務所で出会った障害者達と、障害者を取り巻く現実に
 スポットが当たっていましたが、こちらは事件を起こす前から出所まで、
 自分の心情と刑務所での現実が中心となって展開されています。

 自分が被告となった裁判で、著者はその印象を

 「弁護士の言う善良の塊である自分と、検察の言う極悪非道の塊である自分
  との戦いが裁判というもので、しかし本当の自分はそのどちらでもない」
 (正確な表現ではありません)

 というような記述があってとても印象的です。

 それにしても、秘書給与詐欺で執行猶予なしの実刑というのは他のケースと比べても重いよう
 な気がします。「見せしめ」「スケープゴート」と思われても仕方ないんじゃないかな。

 結局収容された刑務所で、「指導補助」という作業に就き、沢山の障害者の世話係をすること
 になりますが、しかしここでの著者の働きは本当にすごいというか、自分は絶対にできないなぁ
 と思います。

 口では「福祉」を叫んでいても、本当に実行できる政治家なんてほんとうに居るんでしょうか。
 そういう意味でも、こういう人にこそまた政治の世界に戻って貰った方がいいんじゃないか、
 と思ったりもします。


獄窓記」 山本 譲司 ★★★★
1qa.JPG  文句なし。
 ここ1〜2年で出会った小説のなかで間違いなく最高クラス。
 足りないものはひとつもなく、過剰なものもまったくない。

 この作品で、著者は明らかに大きく変わったように思う。

 今までは「脳髄の裏側に咲く白い薔薇」を愛しながら、
 同時に強い不安と深い孤独を抱えていたように思うけれど、
 この作品でそこから大きな一歩を踏み出しているように思う。

 何というか、著者の考える「愛」というものが広く深く、そして強くなったような。

 親の子に対する愛、子供の親に対する、師が後進に対する、かつて愛した人に対する、そして
 現在の思い人に対する、などなど、様々な愛がここにある。
 そしてその愛も、盲目的かつ一方的なものから広く深い愛まで。

 モーツァルトのソナタが、レクイエムが、シンフォニーが、絶え間なく行間から流れてくる。

 個人的にはショパンのほうが好きですけど。


ケッヘル 上」「ケッヘル 下」 中山 可穂 ★★★★★
40957.jpg  タイトルの「佐川君」とは、1981年に留学先のパリで、同じく留学して
 いた女性を殺して食べちゃったという、まあすごいことをした人です。
 (Wiki

 で、このタイトルからすると、佐川君から手紙を貰って、やりとりをする
 うちに、かすかに真実の姿が見えてきて…みたいなドキュメントかなぁと
 思ったりするのですが、思いっきり小説です。

 著者がやっぱり舞台の人だけあるのか、小説と言うより戯曲的な印象です。
 佐川君の事件が引き金になって、著者が抱える原風景や原体験みたいな
 ものに収斂していき、やがてどっぷり虚構の世界になっていきますが、
 その描写はとてもシュールな印象です。

 ただ、何と言えばいいのか、「K・オハラ」という女性をはじめ、佐川君がその犯行に至る
 のに(無意識のうちに、もしくは結果として)手を貸してしまった人たちが(虚構の世界で)
 登場するのは、やはりその犯行に至った「意味」とか「理由」というものを、著者も無意識の
 うちに探しているのでしょうか。

 ただ同時にこの事件は、著者のごく個人的なこと(=彼の祖母)に収斂していき、そういう
 意味では「佐川君」そのものも「この事件」も、著者に取っては「刺激物」でしかなかった
 ような、そんな印象です。

 芥川賞か。うーん…。


完全版 佐川君からの手紙」 唐十郎 ★★
41UuxupcP8L._SL160_.jpg<br />  原題は「THE LIFE BEFORE HER EYES」。
 映画「ダイアナの選択」の原作です。
 映画が良かったので、原作も読んでみることにします。

 むーん…(以下、ネタバレが含まれています)。
 
 まず、小説を読んでみると、映画が非常に上手く構成されていることに改めて
 気づきます。原作のメッセージを損なうことなく、原作にないエピソードも
 盛り込まれており、

 映画と原作(小説)、両方ともレベルが高い作品だと思います。
 
 しかし。
 しかししかし。

 いちばん重要なポイントが、映画と原作(小説)では違う。

 生き残って大人になって、完璧な幸せな家庭を築き、しかしひたひたと闇が迫るように
 次第次第に周りも自分も壊れていく…という全体の展開や「選択の意味」は同じですが、
 「彼女の選択」が大きく違うのです。
 
 ここが違うと、極端な言い方をすると片方は「良心に従った死」で、もう片方は
 「良心を無視したが故の死」のようにずいぶんと意味が変わってしまうようにも思われ、

 映画のほうが、キーワードのひとつである「conscious(良心)」が、より強調された構成
 だと思います。たぶん、監督はそこに強いメッセージをこめたのかもしれません。

 いずれにしても「良心」の重要性を訴えていて、そこへ至るアプローチの違いなのでしょう。

 久しぶりに「もう一度観たい」と思った映画で、原作もまた読み返すと思います。

 これを読んで何かが引っかかった方には、「
月への梯子」をお勧めします。


春に葬られた光/」 ローラ ・カジシュキー ★★★★
105003.jpg  長編です。言うまでもなく作品の完成度はとても高く。

 良人の女性問題でさんざん悩まされてきた妻が、良人の死後良人の実家に
 身を寄せ、舅の情人となりながらも、若い下男に惹かれていく…という
 ものですが。

 主人公の未亡人が、何とも破滅的な人の愛し方、生き方をするというか、
 つまり彼女も自分自身しか愛していないわけです。そして自分が生きて
 いるという実感を「苦悩」によってしか得られなくなってしまっている。

 だから彼女に苦しみを与え続け、苦悩させ続けた良人が亡くなってしま
 うと、新たな苦悩の種を見つけずには居られない。愛の対象に求める
 ものがどうしても「苦悩」になってしまう。

 衣食住に何の不安もない彼女は、ひたすらに精神世界で言語を弄ぶことができる立場ですが、
 彼女が好意を寄せた若い下男は「愛」という概念をそもそも持っていません。
 このすれ違いが最大の悲劇であり喜劇でしょう。「愛」どころか、彼女は自分が期待した
 「苦悩」さえも得られなかったのですから、ああいうラストになってしまうのでしょう。
 
 女性のもつ残酷さや底意地の悪さなども巧みに表現されていて、構成も含め「巧み」だなぁ
 と思います。


愛の渇き」 三島 由紀夫 ★★★★★
4087476324.jpg  面白い。果てしなく面白い。
 早稲田のフロなしトイレ共同三畳一間家賃1万2千円の野々村荘で暮らした
 11年間のあれやこれやが綴られています。

 コンゴの奥地に怪獣を探しに行ったり、山形(だっけ?)の雪山にUFOの基地を
 探しに行ったりする著者なので、著者自身、また仲間の早稲田探検部のメンバー
 が個性的なのはともかく、

 アパートのほかの入居者や大家のおばさんまでまあなんとキャラの立っている
 ことでしょう。

 若さってのはすごいもので、お金なんかなくても、というかお金がない方が
 「若い」ってことを堪能でき、その力を最大限に出せるように思います。

 後から考えて「ばかなことしてたなー」と思うような、そんな経験が
 後々、歳を重ねるごとに効いてくるようにも思います。

 世の中がバブルに浮かれていた頃、こんなにも真っ当な「セイシュン」を送っていた
 人が居た、ということもなんかいいです。


ワセダ三畳青春記」 高野 秀行 ★★★★★
f6ca16a1.jpeg  この著者の作品は初めてです。なるほど、こういう雰囲気ですか。
 始まりのあたりは結構良くて期待したんだけどな…。

 何というか、まあありきたりに恋愛だの不倫だのが本当のテーマではない
 小説なのだと思うけれど、登場人物の誰もが「判らない」ということを
 一見受け入れているようでいて実は放り出しているように思う。

 「判らない」ことを放り出して自分の足では立てないんじゃないか。
 と、そんな風に思ってしまうのだけれど。

 妻の親友と浮気する男の「認識されないものは存在しない」という考え方
 だけが、ああ、男性にはこういう人多いよねぇ、とリアルでした。


夜の公園/」 川上 弘美 ★★★
32215973.jpg  安定感があって、基本的に安心して読める著者でありますが、
 今回ちょっと、表現としてくどい感じがあるかなぁ…。

 「青い鳥」というある意味定番のテーマを扱う場合、どうしても筆力が
 求められると思うのですが、あまりにきれいに落ちをつけてしまうと
 嘘っぽくというか絵空事になってしまうし、

 それを避けるためにあえて「個人的逡巡」を丁寧に描いていて、
 そのあたりがちょっとくどく感じてしまうのかもしれません。

 銀行に辞表をたたきつけてタクシードライバーになった主人公が、
 「あそこでああしていたら」とか「あのとき会社を辞めていたら」とか

 「そもそも学生時代に野球を続けていたら」とか、『あり得たかもしれない未来』を
 思い描いていきますが、

 個人的に、私はそんな風に思ったことが殆どないので、そう思う気持ちを「理解」は出来ても
 個人的体験を伴う感情に還元できないのですが、
 
 なんというか、「40代のおじさんの自分探し」みたいな感もあって、この著者はサラリーマンを
 描かせたら秀逸ですね。悪くないと思います。


あの日にドライブ」 荻原 浩 ★★★
9784166606955.jpg  猫ものにはつい手が出てしまうんですが…。
 すいません。あたくし的には外しました。

 ちょっとプロの書き手とは思えないというか…。
 話がくどくて結局何が言いたいんだろうと思ってしまう。

 他人の著書に出てくる猫話を引き合いに出しながら、「忘れた」とか
 その著書が「見つからない」で終わり。その程度であればその話はそもそも
 書かなくてもいいんじゃないの? って思ってしまいます。

 村上春樹者なんてちょっと調べればすぐ判ると思うんだけどなぁ。
 
 日本語の間違いも気になってしまいます。
 すいません、あたくしには合わないようです。


猫の品格」 青木 るえか
32216378.jpg  まず、とにかくタイトルが秀逸です。
 好き嫌いはともかくとして、タイトルとして素晴らしい。
 
 「恋愛(を全面に出した)もの」はあまり期待しないで読む癖がいつの
 まにかついてしまったのですが(たぶんにそれは年齢によるものと認め
 ざるを得ない)、思った以上に良い本でありました。

 この本の秀逸なところは、単なる失恋話に終結していないところです。

 恋愛を通しての自分の姿、自分と周りとの関係、その中にある真理、
 変化と普遍性、「信じる」ということと「愛」の不可分性、「信じる」
 ということと「盲信」の違い、諦めること忘れることと昇華することの違い、
 などなど、

 恋愛(失恋)がテーマではありますが著者が本当に表現したかったのは
 「(自分の過去の)恋愛そのもの」ではない、のではないかともふと思ったりするのです。

 「婚活」流行りの昨今。

 こんな恋愛は「贅沢なもの」になってしまったんでしょうか。
 それとも「面倒なもの」になってしまったんでしょうか。


あなたが私を好きだった頃」 井形 慶子 ★★★★
102203.jpg  三島由紀夫の父が、息子について綴った本です。

 これを読む限り、社会性を備えた、時には立ちはだかる壁にもなる父親の愛、
 献身的で優しい母親の愛、とバランスのとれた両親であったように思え、

 でも、強烈な個性で平岡家(三島の本名)を支配する祖母の存在が、
 この家庭をちょっと特殊な環境にしてしまった…。

 しかし果たしてそうなんだろうか、読み進めるうちにそんな気もしてくるの
 です。

 病身の祖母のもとにぴったりと引き寄せられ支配されながら育つ。
 祖母なりの愛し方だったのかもしれませんが、その愛は真っ先に「祖母自身」
 に向かっており、孫(三島)ですらその手段のひとつのような、そんな愛され方、

 そして両親もそれに(抵抗はしたようですが)抗い得ない状況、
 そのありように子供は何も感じないはずはないと思うのです。

 話は変わりますが、9歳の時に誘拐されてから9年強監禁され続けた「新潟少女監禁事件」。
 この少女が救出されてから語った言葉はたとえば、

 「九年間、私がいない間に流れている川があったとして、私が戻ってきて またその川に
  入りたいんだけど、私が入ったがために水の流れが止まったり澱んだり、ゴミがつまったら
  嫌だから、私はこっそり見ているだけで入れない」

 と、非常に詩的(かつ聴いている方の胸が潰れてしまいそう)な言葉であり、これはある特殊な
 環境下におかれ続けることにより、「思考」を深く探ることを余儀なくされた者が到達する感覚、
 思考、表現なのではないかと思うのです。
 
 三島の場合、それに天性のものが加わり相乗して「三島文学」を築き上げたのではないか、
 とそんな風に思います。

 いずれにせよそんな環境の中で、三島は非常に家族思いな人となったようですが、両親とも
 その事実には深く感謝するものの、その要因については「思いやりのある子だったから」としか
 思い至っていないようです。

 その根源は「孤独」だったのではないか。物心ついたときから彼を支配してきた(環境に起因する)
 「孤独」だとしか思えないのです。

 子供の頃の三島を父は、普通なら泣いたり、キャッキャと喜ぶような場面なのにまったく
 無表情で、能面のような顔をしていた、と回想し、「まったくその謎は解明できませんでした」
 と書いています。

 このあたりから既に三島のひとつのテーマであった「父親対息子」の萌芽がかいま見れるよう
 に思うのは穿ちすぎでしょうか。

 ユーモラスに綴ったり、毒を含んだ言い回しであったり、シニカルに顔をしかめた風に書き
 ながらもその行間には息子を失った哀しみが滲んでいます。
 肉親だからこそ知る三島のエピソードにも触れることができます。

 しかし最後まで、息子の「本当の聲」を聴くこと、「本当の姿」に触れることはなかったのでは
 ないか、とも思ってしまうのです。


伜・三島由紀夫」 平岡 梓 ★★★★
32215977.jpg  「判らない」ということに対して、ひとは強い不安を抱くようです
 (もちろん私も)。

 例えばナイフでメッタ刺しにして人を殺してしまった犯人になぜそんな
 ことをしたのか問うたとき、

 「どうにも事業が回らなくて借金をしたらそれが雪だるま式に膨らんで
  しまい、働いても働いても利息の分にもならず、連日鬼のような取り
  立てで、とうとう娘をフロに沈めるとまで言われ、どうにも金策も
  つかず、殺すしかないと思った」

 と言われれば、その殺人自体は肯定できなくともその動機については
 ある程度「理解」することができ、「まあ殺人は良くないけど、相手も
 悪かったんだろうなぁ」などと思うことができるわけです。

 しかし、「なんでこんなに残酷に人を殺しちゃったの?」と聞いたとき、もしも

 「だってその日はとってもお天気が良かったから」

 などと言われたら、私は間違いなく恐怖のどん底に突き落とされると思うのです。

 理解不能な事件が起きると「コメンテーター」という名のよくわからない人々がTVなどで
 さももっともらしく事件を「解説」してくれますが、結果としてそれらは的外れなものが多く、
 そういう「識者」達に対しても著者は相変わらず一刀両断で切り捨ててくれて気持ちいいです。

 しかしながらそういった現象は、「判りやすいストーリー(解説)」を得て「安心したい」という
 意識が(私も含めて)多く存在しているということの証左でもあるのでしょう。
 その「安易なストーリーにすがること」の危険性も、本書では訴えています。

 多くの事件の事例をひきながら、判らないことは「判らない」とはっきりした上で著者は本書の
 タイトルにもなっている問いに回答しており、その回答も、回答に至るまでの考察や意見に
 ついても説得力高が高い。

 事例も論旨もとても整理されており、良書です。


心の闇に魔物は棲むか―異常犯罪の解剖学」 春日 武彦 ★★★★
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