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本はごはん。
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9784167558079.jpg  山田詠美の選んだ短編が8本収められています。

 中上健次や半村良、遠藤周作などそうそうたる作家陣で、どれも「さすが」と
 思わせます。

 そのなかでも非常に印象的であったのは赤江瀑の「ニジンスキーの手」。
 この限りなく神に近い天才は、おそらくは生ある限り救われない。
 その哀しい美しさと強さにうっとりしてしまいます。

 草間彌生の「クリストファー男娼窟」。
 道を踏み外し、黄昏の街に身を横たえて、
 滅びの道を進むごとに輝きを増す哀しい美しさ。

 収録されている短編はもちろん、選評眼も確かなものであると思いました。
 

幸せな哀しみの話―心に残る物語 日本文学秀作選」 山田 詠美(編) ★★★
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201926s.jpg  著者はスキルス性胃ガンを患い再発、闘病の後2006年秋に、36歳で亡くなって
 います。

 ガンは早期発見されれば生存の可能性は高くなってきている現在でも、やはり
 病死のトップは相変わらずガンであり、またスキルス性については自覚症状が
 殆ど出ないため(つまり発見されたときは手遅れの段階になっているケースが
 多い)、治癒率が低いと聞いたことがあります。

 とても正直に自分の心情が語られていると思いますが、正しく「仕事に生きた」
 感があり、自分のやりたいことを追求して走り抜けていった感じです。

 つまりこの著者は、死を前にして自分の精神世界を深く内省するよりも、
 「やりたいこと」「やるべきこと」へ全エネルギーを注ぎ込んだ感があるというか。
 家庭をもっていなかったということもあるのかもしれません。

 やはり人間は死を目前にすると、「何かを残したい」という重いが強くなるんですね。
 最後に著者が手がけた、メディアミックス戦略によるガン治療の改革がいつか花を咲かせると
 いいなぁと思います。


末期ガンになったIT社長からの手紙」 藤田 憲一 ★★★
32216354.jpg  引き続き直木賞ものを。

 粒揃いの短編集ですね。すべての短編がここまで立っているのもめずらしい。
 6本の短編が収められています。
 
 見なかったことにして、自分の心の疼きすら気がつかなかったことにして
 生きていくこともできるのかもしれません。

 しかしそれを無視できない因果な(?)性格を持ってしまっていたら、
 あとはもうじたばたと足掻くしかなく、

 この短編集は、そんな人たちがそれぞれのやりかたで「じたばたと足掻き」、
 むっとしたりため息をついたりしながらも新しい明日を見つける、
 というより創りあげていく。

 それぞれの短編は登場人物の置かれた立場もその環境も、表層的な部分はもちろん雰囲気も
 全部違うのですが、全編通して、自分にとっての「大切な何か」とは何なのかを自覚して
 しまった人たちがそれから目をそらさず、対峙していく哀しみと希望が鮮やかに描かれています。

 表題にもなっている「風に舞い上がるビニールシート」のなかに、

 「どんなに激しく交わっても、毎日のように愛をささやきあっても、どこか本質のところで
  他人を切り離しているような、一番生身の暖かい部分は誰にも触れさせないような。」

 という表現が出てきますが、親子であろうと夫婦であろうと、恋人であろうと親友であろうと
 「一番生身の暖かい部分に触れること」なんてできるんでしょうか。

 自分の一番生身の暖かい部分を「触れさせることができない」から、
 相手の一番生身の暖かい部分も「触れることができない」んでしょうか。

 それとも、

 「愛しぬくことも愛されぬくこともできな」いから、なんでしょうか。


風に舞いあがるビニールシート」 森 絵都 ★★★★
202101s.jpg  基本的に史実をきちんと踏まえているもの以外、殆ど時代小説は読まないの
 ですが、直木賞受賞作でもあるので読んでみます。

 構成は有吉佐和子の名著「悪女について」と同じで、関係者の証言から
 ある花魁の輪郭を浮き彫りにしていきます。

 その過程で、吉原の文化や風習、しきたりなどが解説臭くなく紹介されていく
 ところはよくできている上、しきたりやシステムなどの説明よりも廓文化が
 前面に出ているせいか、下世話な話に落ちずに、

 絢爛で奢侈な絵巻をみているかのような、ほんのり哀しい、豪奢な世界が
 繰り広げられていて、

 この「吉原」という舞台とその世界が見事に展開されているところは秀逸です。

 ただ、「小説」として考えたときに、前掲の「悪女について」が、読み進めるうちに該当者の
 持つ「違う顔」が次々と明らかになっていくダイナミズムに対し、こちらは展開がやや
 大人しめというか。

 まあ構成が同じだからと言って単純に比べられるものではないですけども。

 ただいずれにしても、「悪女について」では多彩な仮面を持ちながらも彼女が抱え続けた
 「変わらない孤独」、

 「吉原手引草」では環境が変わろうと時が移ろおうと花魁が持ち続けた
 「孤独な意志」

 が描かれているように思うのです。

 彼女たちが抱え続けたもの。それを「女の業」なんて言葉で片付けたくないなぁ。


吉原手引草」 松井 今朝子 ★★★★
31798040.JPG  1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で三島由紀夫が自決直前に
 撒いた「檄文」、以前にも触れた通りそれは、

 「熱烈で悲壮な【日本という国】へのラブレター」

 だと思うのですがそのなかに、

 「我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、
  国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り
 (中略)、政治は矛盾の湖塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
  国家百年の計は外国に委ねられ…」

 とあり、また死の数ヶ月前に書かれた「私の中の二十五年」には、

 「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国
  が極東の一角に残るのだろう」

 と、40年も前にここまで的確に現在の日本を見通していたのかと感嘆するのでありますが、

 この著書の中には石原慎太郎との対談の中での三島の発言が引用されており、そこにある

 「ポスト・インダストリアゼーションのときに、日本というものも本質を露呈するんじゃ
  なかろうか」

 という三島の発言にはもう驚嘆も通り越してしまいます。

 この本は、楯の会第6班副班長だった著者が三島との日々を振り返ったもので、楯の会の隊員
 からみた三島由紀夫が描かれています。

 楯の会では三島の指示のもと、「憲法改正案」の作成にも着手していますが、その研究会で
 著者が提出した原稿のなかに、

 「人間本来の脆弱さを社会に押しつけ、自己を社会の被害者と規定することにより、被害者で
  あるという理由だけで自己の正義を主張する欺瞞と甘えが罷り通る日本ではなく…(略)」

 という文章があります。当時著者は21歳。まったく、なんというレベルの高さだろうか。

 戦後、「豊かになりたい」と願ったことは非難されるべきことではないと思います。
 しかしいつの間にか、不必要な豊かさを追いかけ続け、気がつかないうちにそれと引き替えに
 大切なもの失ってしまったのかもしれません。

 そのあたりを見抜いていた三島は、まるでギリシア神話のカッサンドラを想起させもするのです。


果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの」 井上 豊夫 ★★★★★
03095783.jpg  「半陰陽」である著者のエッセイです。
 半陰陽(インター・セックス)とは、生物学的に男性とも女性とも分類でき
 ない状態のことですね(トランス・ジェンダーとはまったく違う)。

 坂東眞砂子の「山姥」にも、「ふたなり」という表現で出てきました。
 (関係ないですが「坂東眞砂子 山姥」で検索したら amazon でもまったく
  引っかからず、版元の新潮社でも「該当なし」でした。確か直木賞取った
  と思ったんだけど。
  あれでしょうか、「子猫殺し騒動」で絶版になっちゃたんでしょうか?)

 良くも悪くも「性別」というものは自分の身体にも心にもぴったりと張り
 付いてしまっているもので、それが「どちらでもない」という状態が
 どんなものであるのか、想像の範疇を超えてしまっています。

 「両方経験できる」メリットというのもあるのかもしれませんが、デメリットの方が大きい
 んじゃないかしら。特にアイデンティティの確立とか、精神的な部分では。

 著者は女性として結婚したあと離婚し、そのあと揺れながらも(一般的には)男性として
 生きる道を歩んでいるようですが、男性化すると靴のサイズが大きくなり、女性化すると
 サイズが小さくなると言うのには驚きました。ホルモン(注射)、恐るべし。

 著者自身も書いているとおり時代解説的な要素もあるんですが、ちょっと内容も表現も整理
 されきっておらず、社会学的な見方からするとまだまだ甘いという感は拭えません。

 正直なところ、インター・セックスについても時代解説についてもどちらも中途半端な感じ
 が否めず、そのあたりをもっとブラッシュ・アップしてもらうと、ものすごく面白いものに
 なるのではないかと思います。


『性別が、ない!』ということ。」 新井 祥 ★★
416660340X.jpg  イスラム教という宗教、そしてその世界の生活様式については全く知識がなく
 果たしてそんな状態でこの本を読んで面白いだろうかと多少不安にも思った
 のですが、そんな心配はまったく杞憂でとても興味深い本でありました。

 「妻は4人まで娶ることができる」。これは私から見れば限りなく悪法である
 と思っていましたが、この発想はそもそも、
 「それまで無限に妻を迎えることができたが、4人までに【制限】した」
 ものであるとか、

 全身黒ずくめで目だけ出しているあの女性の衣装、あれもそもそもは
 上流階級の婦人が大衆に姿を見せないため、また他部族から自分の部族の
 女性達を守るためのものであったとか、なるほどと思うものばかりで
 そういう決まりができたのにはそれなりの理由があったのですね。

 しかしそれらのそもそもの「理由」となった原因が解消、もしくは緩和されつつある現代でも
 その「掟」だけが残り、そもそもの理由とは違った意味づけをされて「利用」されている
 ようにも感じます。

 つまり本来の意味が薄れ、その制度が手段として使われるようになってきているのではないか、と。
 
 興味深く思ったのは「国の成熟度はその国の女性の教育の度合い、成熟の度合いに比例する」
 みたいな表現があって、たしかに西洋でも日本でも女性の地位が男性と同等になったのは比較的
 最近の話だし、

 宗教や地域に限らず、女性というのは「半人前」的な扱いをされてきたことが多いことを
 考えると、国の成熟度と女性の自立度というのでしょうか、それは関連していると考える
 こともできるのでしょう。

 しかし「国の成熟度」とは何で測るのか。
 旧来のイスラムの価値観と、日本を含めた西側の価値観とでは相当に異なることは間違いない
 とおもいます。

 そのほか女子割礼や古今のプリンセスの波乱の人生など盛りだくさんですが、
 同じ時代に同じ女性に生まれながら、場所によってこれほどまでに違ってしまうものかと
 驚愕もする本であります。

 それにしても。

 「女子割礼を受け入れることによって教育を受けさせてほしいとか、結婚後も働かせてほしい
  という交渉の切り札として使う」

 というのは、したたかと言うよりも、何とも哀しいと思いました。


イスラーム世界の女性たち」 白須 英子 ★★★★
32223945.JPG  マガハがいつの間にか文庫を出していたんですね。知らなかった。

 それはともかく。
 最近「とても良い俳優になってきたなぁ」と思っていた三浦友和氏による
 「マスコミとの闘争」について書かれた本です。

 「マスコミとの闘争」と言っても本人が書いているとおり、彼らは防御すら
 できず、ひたすら逃げるしか手がないのですが。

 国民的スターであった「百恵ちゃん」との結婚後、10年にも渡ってマスコミ
 は「報道の自由」だの「知る権利」だのを振りかざして彼らを追いかけ続け
 ますが、その様子は今で言うところのパパラッチそのものであり、

 長男の幼稚園の入園式を、幼稚園の前まで行きながらも断念せざるを得ない
 ほどにまでエスカレートした様は、正しく「狂って」いたとしか思えません。

 しかし。
 ここでマスコミ批判をするのは簡単ですが(もちろん当時のマスコミは批判されるべきですが)
 その背後には無言でそのマスコミを煽っていた「視聴者/読者」が(私を含めて)居るわけで、
 その自覚を果たしてどれだけの人が持っているのだろうかと思います。
 
 それにしてもこの夫婦、とても真面目なんだなぁと思います。おそらく、こういう生き方しか
 できないんだろうと思いますが、それがなんとも格好いい。


被写体」 三浦 友和 ★★★★
133872.jpg  単行本が刊行されたときから読もうと思っていたのですが、文庫版が
 出たのを機に読んでみました。

 障害者の犯罪と性に対して、マスコミは長い間タブー視してきており、
 それを私に顕著に印象づけたのは「レッサーパンダ事件」でありました。
 犯人が捕まってからぴたりと報道が止まってしまったので。

 「自閉詳裁判」を読まなければ、犯人が障害者であったこと自体、
 未だに知らなかったかもしれません。

 この著書を読むと、刑務所が障害者のひとつの受け入れ施設になっている
 ことが「現実」であることがよく判ります。罪を犯し、福祉の手当ても
 受けられず、刑務所しか居場所がなくなってしまったひとたち。

 この本の冒頭に、
 「俺たち障害者は生まれたときから罰を受けているようなものなんだから罰を受ける場所は
  どこだって良いんだ」という刑務所の中の障害者の言葉がありますが、この切ない言葉に
 彼らの寄る辺なさがにじみ出ているように思います。

 また、聴覚障害者との意思疎通の難しさ、などもよく表現されています。
 手話はひとつではないのだそうです。

 そして聾唖者だけで組織されている暴力団があったり、聾唖者が聾唖者をターゲットに犯罪を
 犯していたり、やはり被害者にも加害者にもなってしまいやすいのが障害者を取り巻く現実
 なのかもしれません。

 いままでマスコミをはじめみんなで「なかったこと」「みなかったこと」にしてきた問題を
 テーブルの上に上げたことに大きな意味があると思います。著者は具体的施策にも奔走して
 いるようですが、得てしてこの手の問題は「総論賛成、各論反対」になりやすい要素を
 はらんでいると思うので、ちゃんと考えなければならない問題だと思います。


累犯障害者」 山本 譲司 ★★★★
51351BW8KXL._SX230_.jpg  著者自身による自薦短編集の2作目です。

 やっぱりこの作品集は表題にもなっている「真夏の死」でしょう。
 我が子をなくしたという事実の受け止め方や消化の仕方の、男親と女親での
 違いを見事に描ききっているように思います。

 死を受け入れるまでには心理的にいくつかのプロセス
 ー「否認」「怒り」「取引」「抑鬱」など、そして最後に「受容」ー
 を経過すると言われていますが、それが日常のなかでとても上手く心理描写
 されています。
 
 この作品のラスト、それは「受容」を表現しているものと思ったのですが
 著者の解説によるとどうもそれだけではないようです。

 つまり「受容」とは即ち「新たなる宿命の待望」であって、裏を返せば、
 「待望」できるようになることが「受容」できたということの証なのかもしれません。

 結局、人間は「宿命」を背負ってしか生きられない。
 というのが、この解説を書きながら自分の死を数ヶ月後に定めた三島の、ひとつの結論
 なのかもしれません。


真夏の死」 三島 由紀夫 ★★★★
32158510.jpg  明治時代、1907年の現東京新聞に寄せられた身の上相談を集めています。
 約100年前ですね。しかしこの100年、世の中がいかに様変わりしてしまった
 のかということがありありと判ります。たった100年なのに。

 『隅田川に徳川家の鐘が落ちているから引き上げるべきである。徳川慶喜公に
  何回も手紙を出しているのに返事が来ない!』(明治時代ですから、慶喜は
  生存していたようですがもちろん既に将軍ではない)とか、

 『美人だが学はなくしかし資産家の娘と、不美人であるが教養の高い娘と
  どちらを嫁に貰うべきか』とか、

 『預かっている姪が毎晩夜遊びして困る。一度連れて行くから説教してやって
  くれないか』とかいろいろ相談しています。

 それらの質問に対し編集者が回答しているのですが、

 「シベリヤの中原に追放したい」とか
 「真面目に相手になることを好みませぬ(=まったく相手になんかしてらんないよ)」とか
 「(回答を)書くのも筆の汚れと思うたから屑籠に投げ込もうとしましたが
  見せしめのためにここに掲げて」とか、

 数々のキツイお言葉、この時代の編集者は編集者さまなんですね。

 質問と回答を読んでいると、冒頭に記したとおりたった100年前のことなのに世俗や風俗は
 隔絶の感がありますが、しかし質問の内容というか本質は、現代と変わらないように思うのです。

 たとえば「買い食いがやめられない」というのは過食に対する悩みのように思いますし、
 隣人トラブルやストーカー、職場でのいじめなど、結局のところ根本的なものは一緒というか、
 変わらないんですね。

 しかしこの本、カテゴリー分けにほんと困りました。


明治時代の人生相談」 山田 邦紀 ★★★
6031820.gif  臨床心理士のカウンセリング日記です。

 ずっと良い子だったのにある日突然、表面的には「問題児」になってしまった
 子供たち。現実、つまり周りと自分(の欲求やありたい姿)とのバランスが
 上手くとれなくなってしまった子供たちに対する、カウンセリングの現場が
 描かれています。

 「子供たちは『異界』を生きている」という表現が出てきますが、これは
 非常に核心をついた表現だと思います。大人になってしまうとそんなことは
 すっかり忘れてしまいますが。

 しっかりと子供と向き合って育て直しのプロセスを共有(共同作業)していく
 様子が丹念に描かれています。 

 しかしそんな環境に恵まれず、えっちらおっちらなんとかあちこち擦り傷をつくり血を流しながら、
 気がついたら大人のカテゴリーに入れられちゃってる人はもう、諦めるしかないのでしょうか。

 「文庫版あとがき」に出てくる谷川俊太郎の詩が秀逸です。


生きにくい子どもたち―カウンセリング日誌から」 岩宮 恵子 ★★★
51dSRhfwAgL._SL160_.jpg  ヒトラー率いるナチスが政権を握った時代の経済政策について論じています。

 ヒトラーが政権を握った時代のドイツは、第一次世界大戦敗戦による莫大な
 賠償金を抱えているところにアメリカの世界恐慌の影響をまともに受け、
 
 労働者の3人に1人が失業者、国内第2位の銀行が破綻、「国際的貸しはがし」
 にも直面するというまさに経済危機の状況だったようです。

 そのなかで、ほぼ2年で経済を立て直し、単に立て直すだけではなく、労働者に
 有給休暇や定期健康診断、メタボ対策に全面禁煙まで、実に近代的な制度まで
 取り入れています。

 しかしこれらの制度の普及の原動力となったも思想が
 「ゲルマン民族は健康でなければならぬ」というのがまったくドイツぽいですが
 (もちろん、病気の予防、早期発見が最終的に医療費を減少させるという経済的理由もあります)。

 ヒトラー自身に経済政策のセンスがあったわけではなく、その道の第一人者を据えて数々の施策を
 実施しているわけですが、しかしナチス党ではない人物を経済の最高ポストに据えたという事実が
 あり、

 また、実際に彼の政権下において極めて短期間に経済状況を回復した実績に対し当初ドイツ国民は
 ナチスを支持していたというのも頷けます。

 近年のロシアを見ていても思うのですが、やはり為政者が国民の支持を取り付けるには
 一にも二にも効果的な経済政策が必須であると言うことなのでしょう。
 まずは食わせてなんぼ。

 しかし、ではめざましい経済回復を実現した指導者がどこからか道を踏み外し始めた時、
 それを抑制する何かを、我々は持ち得ることができるのか。「民主主義」だけでそれを背負うのは
 いささか荷が重いようにも思います。

 自分も含めて大衆は、「強い人になんにも考えずついて行けばいい状況」、が結構好きなように
 思いますし。


ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興」 武田 知弘 ★★★
01229194.jpg  自選短編集1作目です。

 タイトルにもなっている「花ざかりの森」は、もともと三島には修辞が多い
 傾向にあると思うのですが(それはもちろん美しい日本語であるのですが)、
 この作品はそれを顕著に感じます。正直なところ、すこしいじりすぎの
 ような、練り回しすぎのような気もするんですが…。

 そしてやはり「憂国」ですが、これって三島のファンタジーなんじゃないか
 と思ったら著者解説を読むとやっぱりそうなんですね。自身の手で映像化も
 したようですが、文章表現以上の世界を映像で表現できるとは思えないほど、
 この作品の完成度は高いと思います。

 1点、夫の自決の意志をしっかりと受け止めた妻に対して夫は、「今まで自分が施してきた
 教育の成果に満足」し、「妻のその反応が愛ゆえであると思うほど馬鹿な良人ではかった」
 とあります。まったくこういうところが三島の一筋縄ではいかないところなんでしょうか。

 「海と夕焼け」については著者自身が語っているように、彼のテーマが凝縮しているのでしょう。
 「信じるものが起こらない現実」の意味を考え続けるような。

 個人的には「女方」が文学作品として、また三島の美意識、言葉に対する感覚みたいなものが
 「歌舞伎」という舞台とよく融合していてすばらしいと思います。
  
 「詩と少年」の解説で自ら書いていることが非常に興味深いです。


 「花ざかりの森・憂国」 三島 由紀夫 ★★★★★
4-08-747626-X.jpg  この著者の作品は、いつも思わずため息が出るほど美しい。

 女性同士の恋愛自体には興味がありませんが、この人が描く性愛は
 エロティシズムに溢れていながら下品ではない、というところが特異です。

 そして何気ない日常のシーンの中から、それぞれの人がもつ根源的な性格を
 さらりと吸い上げていく筆力がすごい。

 「脳髄の裏側に白い薔薇が咲く」ーこれ以上の表現があるだろうか。




白い薔薇の淵まで」 中山 可穂 ★★★
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