本はごはん。
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「リピート」が結構面白かったので、2冊目いってみます。
「Side-A」と「Side-B」とに分かれていて、それぞれに6章ずつある
のですが、それぞれの章が曲のタイトルになっています。私でも
「おおっ。そういえばこういう歌があった気がする」と思うくらいかなり
懐かしい曲が多く、最近のひとは知らない曲が多いかも。
「Side-B」は悲しい曲ばかり揃ってますね。
そもそも「Side-A、Side-B」ってのもぴんと来ないかもしれませんね。
CDにはA面もB面もないし。
正直なところ、ストーリィ自体は「若者の恋」で、
「ああなんかこういう感覚はあったよなぁ懐かしいなぁ」と感じることは
あっても格別に面白いものじゃないです。むしろ淡々とした感じ。
ですがこのスキームというか構成、それと伏線の張り方(それもミスリードを狙った伏線も含め)
がもう秀逸ですね。
もしかしたらミステリ大好きで大概のミステリは読破している! という人には「ふーん」という
感じなんでしょうか。私は(ミステリあんまり読まないせいか)素直に驚いたし、
読み終わってから思わず年月をメモして時制の一致を確認しちゃいましたけどね。
欲を言えば、ストーリィ自体にももっと魅力があると…と思うんですが、そうすると更に
複雑になっちゃうかなぁ。うーん。
この解説はスタイルも含め、なかなか良いと思いました。
で、天童さんはやっぱりあの天童さんかしら?
「イニシエーション・ラブ」 乾 くるみ ★★★
「Side-A」と「Side-B」とに分かれていて、それぞれに6章ずつある
のですが、それぞれの章が曲のタイトルになっています。私でも
「おおっ。そういえばこういう歌があった気がする」と思うくらいかなり
懐かしい曲が多く、最近のひとは知らない曲が多いかも。
「Side-B」は悲しい曲ばかり揃ってますね。
そもそも「Side-A、Side-B」ってのもぴんと来ないかもしれませんね。
CDにはA面もB面もないし。
正直なところ、ストーリィ自体は「若者の恋」で、
「ああなんかこういう感覚はあったよなぁ懐かしいなぁ」と感じることは
あっても格別に面白いものじゃないです。むしろ淡々とした感じ。
ですがこのスキームというか構成、それと伏線の張り方(それもミスリードを狙った伏線も含め)
がもう秀逸ですね。
もしかしたらミステリ大好きで大概のミステリは読破している! という人には「ふーん」という
感じなんでしょうか。私は(ミステリあんまり読まないせいか)素直に驚いたし、
読み終わってから思わず年月をメモして時制の一致を確認しちゃいましたけどね。
欲を言えば、ストーリィ自体にももっと魅力があると…と思うんですが、そうすると更に
複雑になっちゃうかなぁ。うーん。
この解説はスタイルも含め、なかなか良いと思いました。
で、天童さんはやっぱりあの天童さんかしら?
「イニシエーション・ラブ」 乾 くるみ ★★★
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ううむ。おもしろい作家ですね。
筒井康隆をちょっと思い出すような、長ーーーいセンテンス。
描かれているのは日常風景のようであって、でも日常的ではない人たち。
かなり筆力ある作家だと思うのですが、こういう文章は今時嫌われるのでは
ないかしら、読みにくいとか言って。
いえいえ、それは読む側の読書力がなさすぎってもんだと思うんですが
(言い過ぎですかすいません)。
最近「面白い」という定義がちょっと歪んできているように思うのは
あたしだけかしら。「判りやすく」て「単純」で「笑える」ものだけが
「面白いもの」であるかのような風潮を感じるんですけどね。
本も同じで「判りやすい面白さ」だけを追求するのならそれこそ「つまらない」
と思うんだけどなぁ。
しかし。
この本には解説がみっつついており、そのうちふたつが著者自身による「あとがき」という名の
解説ですが、文芸書に於ける著者自身による解説は、ごく一部の人を除き蛇足以外の何物でもない、
少なくともあたくしの経験上、90%を超える確率でそうであったと思っています。
だいたい著者自身が(その名前がたとえ「あとがき」であっても)解説を付そうとする心理は
「読者に伝え切れていないのではないか」という書き手側の不安、と同時にそれと裏腹な
「どうせ読み下せないに違いない」というようなある種の傲慢さ、みたいなものがあるのでは
ないかと想像してしまいます。
そうして付された「解説(あとがき)」という名の文章は、著者自身によるタネ明かしであったり
ちょっとした裏話の公開であったり、つまりは「蛇足」以外の何物にもならないのではないかと。
だいたいどんな解説をつけたところで、判る人には判るし、わかんない人には判んないもんだし、
その上ひとはそれぞれ「そのひと判りかた」で判るしかないんですけどね。
更に。
みっつめの「解説」が本来の解説だと思うんですが、これが…。
かなり衝撃的です。あまりにもひどくて。
「タマや」 金井 美恵子 ★★★
筒井康隆をちょっと思い出すような、長ーーーいセンテンス。
描かれているのは日常風景のようであって、でも日常的ではない人たち。
かなり筆力ある作家だと思うのですが、こういう文章は今時嫌われるのでは
ないかしら、読みにくいとか言って。
いえいえ、それは読む側の読書力がなさすぎってもんだと思うんですが
(言い過ぎですかすいません)。
最近「面白い」という定義がちょっと歪んできているように思うのは
あたしだけかしら。「判りやすく」て「単純」で「笑える」ものだけが
「面白いもの」であるかのような風潮を感じるんですけどね。
本も同じで「判りやすい面白さ」だけを追求するのならそれこそ「つまらない」
と思うんだけどなぁ。
しかし。
この本には解説がみっつついており、そのうちふたつが著者自身による「あとがき」という名の
解説ですが、文芸書に於ける著者自身による解説は、ごく一部の人を除き蛇足以外の何物でもない、
少なくともあたくしの経験上、90%を超える確率でそうであったと思っています。
だいたい著者自身が(その名前がたとえ「あとがき」であっても)解説を付そうとする心理は
「読者に伝え切れていないのではないか」という書き手側の不安、と同時にそれと裏腹な
「どうせ読み下せないに違いない」というようなある種の傲慢さ、みたいなものがあるのでは
ないかと想像してしまいます。
そうして付された「解説(あとがき)」という名の文章は、著者自身によるタネ明かしであったり
ちょっとした裏話の公開であったり、つまりは「蛇足」以外の何物にもならないのではないかと。
だいたいどんな解説をつけたところで、判る人には判るし、わかんない人には判んないもんだし、
その上ひとはそれぞれ「そのひと判りかた」で判るしかないんですけどね。
更に。
みっつめの「解説」が本来の解説だと思うんですが、これが…。
かなり衝撃的です。あまりにもひどくて。
「タマや」 金井 美恵子 ★★★
なんと。新井素子です。懐かしいですねぇ。
何故今頃新井素子なのか。いえ単に名作の誉れ高いこの作品は
読んでなかったなぁというだけなんですが。
それにしても懐かしい。
この文体。
相手のことを(それが恋人であっても)お互いに「お宅」と呼び合う
ビミョーな距離感。
そういったあやふやな、ある種の危うさが絶妙なバランスで
世界を構成していますね。
そのなかで「狂気」なんかがストレートに表現されていて、しかも
いろんなバリエーションの狂気が描きわけられているのが面白い。
こうして改めて新井素子を読んでみると、コバルト文庫をはじめとするジュニア小説の延長線上に
燦然と輝くのが「よしもとばなな」なのだなぁとはっきり判ります。
これは、1週間後に隕石が地球に衝突するので、つまりみんなの寿命もあと1週間という、
三浦しをんの 「むかしのはなし」と、テーマは違うけど設定は一緒です。
そして。
お約束の。
あと1週間後に隕石がぶつかって死ぬ。みんな死ぬ。
さてどうしましょうか?
しかし隕石がぶつかって地球が壊れて死ぬのって、そういう死に方ってこわいなぁ。
「ひとめあなたに…」 新井 素子 ★★★
何故今頃新井素子なのか。いえ単に名作の誉れ高いこの作品は
読んでなかったなぁというだけなんですが。
それにしても懐かしい。
この文体。
相手のことを(それが恋人であっても)お互いに「お宅」と呼び合う
ビミョーな距離感。
そういったあやふやな、ある種の危うさが絶妙なバランスで
世界を構成していますね。
そのなかで「狂気」なんかがストレートに表現されていて、しかも
いろんなバリエーションの狂気が描きわけられているのが面白い。
こうして改めて新井素子を読んでみると、コバルト文庫をはじめとするジュニア小説の延長線上に
燦然と輝くのが「よしもとばなな」なのだなぁとはっきり判ります。
これは、1週間後に隕石が地球に衝突するので、つまりみんなの寿命もあと1週間という、
三浦しをんの 「むかしのはなし」と、テーマは違うけど設定は一緒です。
そして。
お約束の。
あと1週間後に隕石がぶつかって死ぬ。みんな死ぬ。
さてどうしましょうか?
しかし隕石がぶつかって地球が壊れて死ぬのって、そういう死に方ってこわいなぁ。
「ひとめあなたに…」 新井 素子 ★★★
ホラーなのかな…。まあいいや。
タイトルの付け方とか切り口とかオチとか、そういうのは
なかなか面白いと思うんですが、文章とか描写がちょっと荒いなぁ。
スピード感もって読めるんだけど、内容が内容だけに、
もうちょっと描き込んでいただきたいところ。
それからちょっとネタばれで申し訳ないですが、二重人格(正しくは
多重人格ですが)の定義は違うと思います。
この辺りももっと丁寧に掘り下げて欲しかったなぁ。
★みっつはぎりぎり。
「セカンド・ワイフ」 吉村 達也★★★
タイトルの付け方とか切り口とかオチとか、そういうのは
なかなか面白いと思うんですが、文章とか描写がちょっと荒いなぁ。
スピード感もって読めるんだけど、内容が内容だけに、
もうちょっと描き込んでいただきたいところ。
それからちょっとネタばれで申し訳ないですが、二重人格(正しくは
多重人格ですが)の定義は違うと思います。
この辺りももっと丁寧に掘り下げて欲しかったなぁ。
★みっつはぎりぎり。
「セカンド・ワイフ」 吉村 達也
北村薫と宮部みゆきのコンビが選者、というのが、もうなんとも
そそられます。
半村良とか黒井千次とか小松左京とか吉村昭とか松本清張とかとか、
個人的に懐かしい作家が、だーっと。昔よく読んだなぁ。
さすがにというべきか、どれも上手い。黒井千次の冷蔵庫の霜なんてもう
さすがプロだなぁという感じ。
それからやっぱり吉村昭の『少女架刑』。乙一が似たようなのを
書いていたと思いますが、こちらはなんとも透明感があって下品に落ちず、
至る所に音の描写もあるモノの、なんとなく無音のイメージの世界を
紡いでいて、それがラストをさらに際だたせる。
穴を掘ってたらドストエフスキーが通りかかって世間話をしていくという何とも
シュールなものや、宇宙人なんだけど長屋話みたいなものとかまであって、とにかく
バラエティに富んだ短編の名作が一度に読めます。
「名短篇、ここにあり」 北村 薫 宮部みゆき 編 ★★★
そそられます。
半村良とか黒井千次とか小松左京とか吉村昭とか松本清張とかとか、
個人的に懐かしい作家が、だーっと。昔よく読んだなぁ。
さすがにというべきか、どれも上手い。黒井千次の冷蔵庫の霜なんてもう
さすがプロだなぁという感じ。
それからやっぱり吉村昭の『少女架刑』。乙一が似たようなのを
書いていたと思いますが、こちらはなんとも透明感があって下品に落ちず、
至る所に音の描写もあるモノの、なんとなく無音のイメージの世界を
紡いでいて、それがラストをさらに際だたせる。
穴を掘ってたらドストエフスキーが通りかかって世間話をしていくという何とも
シュールなものや、宇宙人なんだけど長屋話みたいなものとかまであって、とにかく
バラエティに富んだ短編の名作が一度に読めます。
「名短篇、ここにあり」 北村 薫 宮部みゆき 編 ★★★
タイトルにもなっている「あんたのバラード」やチェッカーズの
「星屑のステージ」、「悲しい色やね」など、今や懐かしい、しかし名曲の
数々が短編のタイトルになっています(短編の扉には歌詞付き)。
そういう意味では企画モノですね。
島村洋子は決して嫌いな作家ではなく、いやむしろ好きな方なんですが、
この作品集はちょっとそれぞれの歌とストレートにつなげ過ぎかなぁ、
と言う気がしなくもない。もうちょっと捻るというか、読み終わってそれから
「ああ、そういうことか」と判るような歌の世界観の広げ方というか、
そんなのを期待していたのでちょっと残念。
短編のなかのひとつに、出奔してしまう主婦の話があるのですが、
これがまた「無敵荘夜話」の2編目の短編とだぶって見えます。
だぶってみえるのはどうでもいいんですがこの究極の逸脱とも言える「出奔」。
一応社会生活をそれなりに営んでいるものの実は根っこに強力な引きこもり指向をもっている
あたくし、この「出奔」というのにとても興味があります。
ある日突然、何の前触れもなく姿を消し、本人はそれまでの一切合切を捨てて、
着の身着のままで漂着した土地でまったく新しく生き直す。
のが「正しい出奔」だとすると、確かにそれを実行する人は少ないのでしょうが、しかし考えて
みればこの出奔願望は誰にでもあって、実際に人それぞれのやり方で出奔しているのではないか、
すこし前に流行った「海外短期留学」だの「自分探し(の旅)」だのはたまた今はもう本来の
意味を外れてきているのではないかと思える「エコ」だの「ロハス」だの、みーんな「出奔」の
一形態、もしくは「プチ出奔」なのではないか、そういう意味ではあたしも「プチ出奔」して
いるなぁと、そんな風におもいました。
出奔とはつまり「自分の居場所探し」であり、それは突き詰めれば「本当の自分」探しで、
しかし「本当の自分」なんてモノはどこにもなくて(と、「免疫の意味論」にも
「ヤクザの文化人類学」にも出てきましたね)、
「霧笛荘夜話」の言葉を借りれば
「青い鳥を探しているうちに迷子になっちゃった」のが出奔なのかもしれず、そういう意味では
「プチ出奔」を通して自分の居場所を「創る」ほうが穏当かもしれません。
「大坂で生まれた女」が16番まであるということ、つまりはあの歌には続きがあるということを
初めて知りました。
「あんたのバラード」島村 洋子 ★★
「星屑のステージ」、「悲しい色やね」など、今や懐かしい、しかし名曲の
数々が短編のタイトルになっています(短編の扉には歌詞付き)。
そういう意味では企画モノですね。
島村洋子は決して嫌いな作家ではなく、いやむしろ好きな方なんですが、
この作品集はちょっとそれぞれの歌とストレートにつなげ過ぎかなぁ、
と言う気がしなくもない。もうちょっと捻るというか、読み終わってそれから
「ああ、そういうことか」と判るような歌の世界観の広げ方というか、
そんなのを期待していたのでちょっと残念。
短編のなかのひとつに、出奔してしまう主婦の話があるのですが、
これがまた「無敵荘夜話」の2編目の短編とだぶって見えます。
だぶってみえるのはどうでもいいんですがこの究極の逸脱とも言える「出奔」。
一応社会生活をそれなりに営んでいるものの実は根っこに強力な引きこもり指向をもっている
あたくし、この「出奔」というのにとても興味があります。
ある日突然、何の前触れもなく姿を消し、本人はそれまでの一切合切を捨てて、
着の身着のままで漂着した土地でまったく新しく生き直す。
のが「正しい出奔」だとすると、確かにそれを実行する人は少ないのでしょうが、しかし考えて
みればこの出奔願望は誰にでもあって、実際に人それぞれのやり方で出奔しているのではないか、
すこし前に流行った「海外短期留学」だの「自分探し(の旅)」だのはたまた今はもう本来の
意味を外れてきているのではないかと思える「エコ」だの「ロハス」だの、みーんな「出奔」の
一形態、もしくは「プチ出奔」なのではないか、そういう意味ではあたしも「プチ出奔」して
いるなぁと、そんな風におもいました。
出奔とはつまり「自分の居場所探し」であり、それは突き詰めれば「本当の自分」探しで、
しかし「本当の自分」なんてモノはどこにもなくて(と、「免疫の意味論」にも
「ヤクザの文化人類学」にも出てきましたね)、
「霧笛荘夜話」の言葉を借りれば
「青い鳥を探しているうちに迷子になっちゃった」のが出奔なのかもしれず、そういう意味では
「プチ出奔」を通して自分の居場所を「創る」ほうが穏当かもしれません。
「大坂で生まれた女」が16番まであるということ、つまりはあの歌には続きがあるということを
初めて知りました。
「あんたのバラード」島村 洋子 ★★
こちらも読まず嫌いしていた作家のなのですが、「代筆屋」という
企画に惹かれて読んでみました。
実際に著者が小説家だけでは食えなかったころ、アルバイトとして代筆屋を
やっていて、そのとき代筆したものをサンプルとした「手紙の書き方」の本
なのだそうですが、「ノンフィクションの体裁をしたフィクション」だと思う
ので、小説のカテゴリに入れておきます。
企画としては、とてもおもしろいと思います。ああ、この手があったか、
という感じ。
内容も悪くないんだけど…。なんだろう? 好みの問題かなぁ。
薄い…というと語弊があるし、なんというか、「ある種の浅さ」みたいなものが
ひっかかる。
ちょっと村上春樹ぽい感じがしないでもないんだけど、それにしては圧倒的に深みが足りない。
それにしてもこの本の薄さで、この巨大な級数(=字がでかい)はどうなんだろう?
★の数は迷いましたが、大成した老実業家の孤独な遺書に敬意を表して、ぎりぎりみっつ。
「代筆屋」 辻 仁成 ★★★
企画に惹かれて読んでみました。
実際に著者が小説家だけでは食えなかったころ、アルバイトとして代筆屋を
やっていて、そのとき代筆したものをサンプルとした「手紙の書き方」の本
なのだそうですが、「ノンフィクションの体裁をしたフィクション」だと思う
ので、小説のカテゴリに入れておきます。
企画としては、とてもおもしろいと思います。ああ、この手があったか、
という感じ。
内容も悪くないんだけど…。なんだろう? 好みの問題かなぁ。
薄い…というと語弊があるし、なんというか、「ある種の浅さ」みたいなものが
ひっかかる。
ちょっと村上春樹ぽい感じがしないでもないんだけど、それにしては圧倒的に深みが足りない。
それにしてもこの本の薄さで、この巨大な級数(=字がでかい)はどうなんだろう?
★の数は迷いましたが、大成した老実業家の孤独な遺書に敬意を表して、ぎりぎりみっつ。
「代筆屋」 辻 仁成 ★★★
読んでみたら、ミステリだった。
短編集ですが、ふたつはオチが予測できてしまった。
しかしそれにしても、警察モノ、法廷モノ大好きなあたくしですので
面白く読めましたよ。
こういう題材だからなのか、ちょっと文章が堅めな感じもしないでも
ないですが(感情過多な小説よりは全くこっちのほうがいいですが)。
表題にもなっている短編ですが、前々からちょっと疑問に思っている
「弁護士のありかた」みたいなモノを、また考えさせられます。
確かに冤罪なんかはあってはいけないけれど、とにかく被告の罪をちょっとでも軽くさせることが
使命みたいな。極端な話、弁護士次第で死刑にも無罪にもなってしまうのなら、その人の犯した
「罪という事実」をどう認識すればいいんでしょう?
また障害者と地域社会との共生がテーマになっている短編がありますが、これを読みながら
「免役の意味論」を思い出しました。
免役は外部から侵入したウイルスや病原菌と戦うけれど、全のウイルスを殲滅してしまうわけでは
なく、ある程度のラインにまで減少したらばあとは共生をしていく。そうして共生することにより、
「自己」と「非自己」のバランスを取っており、逆説的に言えば「非自己」があるから「自己」が
認識できる。しかし近年の公衆衛生の向上などにより、免疫学上では「無菌状態」に近い環境が
出来てきたことにより、「自己」と「非自己」のバランスが崩れてきて…。
上記はかなりおおざっぱに要約していますが、つまり多様性を失いバランスを崩した免疫は、
攻撃対象ではないはずの「自己」を攻撃したりさまざまな機能障害をおこしつつある、という
ことです。
「自分からみて」異質なものは排除する。存在を認めない。子供にも見せない。
死刑は隔離された密室の中。
確かに排除しちゃうのがいちばん簡単だし手っ取り早いですけどね。
しかしそうやってどんどん多様性を排除していった社会って、どうなるんでしょう?
排除すべきモノがなくなったら?
排除すべきモノを自ら創り出すしかないですね。
「原島弁護士の愛と悲しみ」 小杉 健治 ★★★
短編集ですが、ふたつはオチが予測できてしまった。
しかしそれにしても、警察モノ、法廷モノ大好きなあたくしですので
面白く読めましたよ。
こういう題材だからなのか、ちょっと文章が堅めな感じもしないでも
ないですが(感情過多な小説よりは全くこっちのほうがいいですが)。
表題にもなっている短編ですが、前々からちょっと疑問に思っている
「弁護士のありかた」みたいなモノを、また考えさせられます。
確かに冤罪なんかはあってはいけないけれど、とにかく被告の罪をちょっとでも軽くさせることが
使命みたいな。極端な話、弁護士次第で死刑にも無罪にもなってしまうのなら、その人の犯した
「罪という事実」をどう認識すればいいんでしょう?
また障害者と地域社会との共生がテーマになっている短編がありますが、これを読みながら
「免役の意味論」を思い出しました。
免役は外部から侵入したウイルスや病原菌と戦うけれど、全のウイルスを殲滅してしまうわけでは
なく、ある程度のラインにまで減少したらばあとは共生をしていく。そうして共生することにより、
「自己」と「非自己」のバランスを取っており、逆説的に言えば「非自己」があるから「自己」が
認識できる。しかし近年の公衆衛生の向上などにより、免疫学上では「無菌状態」に近い環境が
出来てきたことにより、「自己」と「非自己」のバランスが崩れてきて…。
上記はかなりおおざっぱに要約していますが、つまり多様性を失いバランスを崩した免疫は、
攻撃対象ではないはずの「自己」を攻撃したりさまざまな機能障害をおこしつつある、という
ことです。
「自分からみて」異質なものは排除する。存在を認めない。子供にも見せない。
死刑は隔離された密室の中。
確かに排除しちゃうのがいちばん簡単だし手っ取り早いですけどね。
しかしそうやってどんどん多様性を排除していった社会って、どうなるんでしょう?
排除すべきモノがなくなったら?
排除すべきモノを自ら創り出すしかないですね。
「原島弁護士の愛と悲しみ」 小杉 健治 ★★★
浅田次郎はもういいやと思っていたのですけれども、「連作」とあったので
つい手を出しました(連作好き)。
なんと言いましょうか。「黄金の浅田次郎パターン」とでも言うべきか。
しかし残念ながら、それ以上ではないなぁ。
と、これだけでは何なのでつらつらと書いてみれば。
登場人物の全員ではないですが、多くの人が「過去」をさっぱり捨てて
舞台となった霧笛荘へやって来るのですが。
「過去」つまりは、今までの生活も名前も全て捨てるわけですが、過去って
捨てられるもんなのかしら。
結局「過去」を捨てたつもりでも、その「過去」もしくは「記憶」に縛られている以上は、
いくら持ち物や名前や家族や友人を捨てても「過去」を捨てたことには
ならないんじゃないか。
「過去」を捨てるには、忘れるしかないんじゃないかと、そんなふうに思ったりしました。
「霧笛荘夜話」」浅田 次郎 ★★
つい手を出しました(連作好き)。
なんと言いましょうか。「黄金の浅田次郎パターン」とでも言うべきか。
しかし残念ながら、それ以上ではないなぁ。
と、これだけでは何なのでつらつらと書いてみれば。
登場人物の全員ではないですが、多くの人が「過去」をさっぱり捨てて
舞台となった霧笛荘へやって来るのですが。
「過去」つまりは、今までの生活も名前も全て捨てるわけですが、過去って
捨てられるもんなのかしら。
結局「過去」を捨てたつもりでも、その「過去」もしくは「記憶」に縛られている以上は、
いくら持ち物や名前や家族や友人を捨てても「過去」を捨てたことには
ならないんじゃないか。
「過去」を捨てるには、忘れるしかないんじゃないかと、そんなふうに思ったりしました。
「霧笛荘夜話」」浅田 次郎 ★★
どうも以前取りあげた有吉佐和子とこの三浦綾子は、大衆作家と誤解されて
いるような気がして落ち着きません。いや、大衆作家が悪いと言ってる
わけではなくて。
で、この「氷点」ですが。
「原罪」がテーマになっていることは広く知られていますが、
では「原罪」とは何ぞや。
ああ、学生時代の「キリ概」の授業を思い出します。
あれは特筆すべき面白さであった。
「天国への階段」や「放蕩息子」、それから人類初の殺人事件は実は
兄弟間殺人であったという「カインとアベル」それらと共に
「原罪とは何ぞや」ということもやったのですが。
実はあたくし、原罪「だけ」はちょっと納得しきれない部分があって、それでちょっとこの本に手を
出してみましたよ。
ちょっとメロドラマっぽい感じがありますが、テーマは重厚です。
逆に言えば、これだけ重厚なテーマをここまで俗っぽくブレイクダウンできるのはすごい。
「原罪」だけではなく「エロスとアガペー」なども日常生活の中で表現されています。
しかし主人公(?)である病院長の妻(夏枝)が、致命的に幼い。
これ、もう40年も前の作品ですが、日本人女性は相変わらずこの主人公の妻のように精神的に
幼いように思います。ええ、自分にも思い当たるフシがあります。痛い。
どうして日本の女性は(いや、海外の女性をよく知らないので)いつまでも自立出来ないんで
しょうか(少し前に取りあげた橋本治なんかは、そういうことをかなり遠回しに、繰り返し繰り返し
言ってると思うんですが)。
経済的自立を果たしつつある今、次には精神的自立を図れるんでしょうか?
こういうことをいうと「だってそんな教育受けてない」と言われるんでしょうが、20歳過ぎたら
全ては自分の責任だし、無知も立派な罪だと思うんですが
(しかしPVが少ないって好きなこと書けて良いなぁ)。
で、「原罪」とは何ぞや、というところに戻ると。
現実として人間には「罪」というものが付きまとっており、それが「原罪」のなせる技なのか
そもそも「原罪」とは何なのか、だって神様は人間を「自分に似せて」創り「極めて良かった」と
自画自賛していたのに、アダムはいとも簡単にそそのかされて原罪を背負ってしまったと
いうことはやっぱり人間は神様の失敗作だったのか、そのあたりの納得しきれない感は
解消されてはいませんが、因縁はともかく「人間」と「罪」は密接というかセットみたいなものだと
いうのが事実なのかも知れません。
ええ、あたくしクリスチャンではないもので。
「塩狩峠」とはまた違った意味で(文章なんかはちょっと荒いところもありますが)、
良書だと思います。
「氷点(上)」「氷点(下)」」 三浦 綾子 ★★★★
いるような気がして落ち着きません。いや、大衆作家が悪いと言ってる
わけではなくて。
で、この「氷点」ですが。
「原罪」がテーマになっていることは広く知られていますが、
では「原罪」とは何ぞや。
ああ、学生時代の「キリ概」の授業を思い出します。
あれは特筆すべき面白さであった。
「天国への階段」や「放蕩息子」、それから人類初の殺人事件は実は
兄弟間殺人であったという「カインとアベル」それらと共に
「原罪とは何ぞや」ということもやったのですが。
実はあたくし、原罪「だけ」はちょっと納得しきれない部分があって、それでちょっとこの本に手を
出してみましたよ。
ちょっとメロドラマっぽい感じがありますが、テーマは重厚です。
逆に言えば、これだけ重厚なテーマをここまで俗っぽくブレイクダウンできるのはすごい。
「原罪」だけではなく「エロスとアガペー」なども日常生活の中で表現されています。
しかし主人公(?)である病院長の妻(夏枝)が、致命的に幼い。
これ、もう40年も前の作品ですが、日本人女性は相変わらずこの主人公の妻のように精神的に
幼いように思います。ええ、自分にも思い当たるフシがあります。痛い。
どうして日本の女性は(いや、海外の女性をよく知らないので)いつまでも自立出来ないんで
しょうか(少し前に取りあげた橋本治なんかは、そういうことをかなり遠回しに、繰り返し繰り返し
言ってると思うんですが)。
経済的自立を果たしつつある今、次には精神的自立を図れるんでしょうか?
こういうことをいうと「だってそんな教育受けてない」と言われるんでしょうが、20歳過ぎたら
全ては自分の責任だし、無知も立派な罪だと思うんですが
(しかしPVが少ないって好きなこと書けて良いなぁ)。
で、「原罪」とは何ぞや、というところに戻ると。
現実として人間には「罪」というものが付きまとっており、それが「原罪」のなせる技なのか
そもそも「原罪」とは何なのか、だって神様は人間を「自分に似せて」創り「極めて良かった」と
自画自賛していたのに、アダムはいとも簡単にそそのかされて原罪を背負ってしまったと
いうことはやっぱり人間は神様の失敗作だったのか、そのあたりの納得しきれない感は
解消されてはいませんが、因縁はともかく「人間」と「罪」は密接というかセットみたいなものだと
いうのが事実なのかも知れません。
ええ、あたくしクリスチャンではないもので。
「塩狩峠」とはまた違った意味で(文章なんかはちょっと荒いところもありますが)、
良書だと思います。
「氷点(上)」「氷点(下)」」 三浦 綾子 ★★★★
何気なく手に取った1冊だったのですが、すごい短編集でびっくりしました。
とにかく上質な小説です。
この短編集でつづられる世界は特別なものではなく、山や山に済む動物たち、
海などの大自然と対峙して生きる人々の姿であり、むしろ朴訥で地味な
世界なのですが、生活のあらゆるハード面が発達した今日であっても、
しかし人間のソフトの面はあまり変わらないのではないか、
むしろこんな風に自然と対峙して生きていた頃の方が、自然と向き合うことに
よって自ずと自分や家族、コミュニティとも向き合って生きることができ
ていたのではないか、
そして人間というものは、ここまで逞しく豊かに成長できるものなのだ。
ここに描かれている人々は一様に貧しく苦労をしていますが、しかしある意味において
現代に生きる我々よりも遙かに豊かなのではないか。
そんなふうに感じるのです。
「山背郷」 熊谷 達也 ★★★★
とにかく上質な小説です。
この短編集でつづられる世界は特別なものではなく、山や山に済む動物たち、
海などの大自然と対峙して生きる人々の姿であり、むしろ朴訥で地味な
世界なのですが、生活のあらゆるハード面が発達した今日であっても、
しかし人間のソフトの面はあまり変わらないのではないか、
むしろこんな風に自然と対峙して生きていた頃の方が、自然と向き合うことに
よって自ずと自分や家族、コミュニティとも向き合って生きることができ
ていたのではないか、
そして人間というものは、ここまで逞しく豊かに成長できるものなのだ。
ここに描かれている人々は一様に貧しく苦労をしていますが、しかしある意味において
現代に生きる我々よりも遙かに豊かなのではないか。
そんなふうに感じるのです。
「山背郷」 熊谷 達也 ★★★★
久しぶりに阿刀田先生です。一時期よく読んだなぁ。
ウィットの効いたしゃれた感じは相変わらずですね。
しかしはっきり言ってこの短編集は「地味」です。
若い頃に読んだらあんまりぴんと来なかったかも知れない。
いまでもこの小説の感覚を完全に判っているのかもあやしい。
でもたとえば、20代前半で読むのと今読むのとでは、感じ方がきっと
ずいぶん違ったんじゃないかと思います。
そういう意味でも「大人の小説」だとおもいます。
「こころ残り」 阿刀田 高 ★★
ウィットの効いたしゃれた感じは相変わらずですね。
しかしはっきり言ってこの短編集は「地味」です。
若い頃に読んだらあんまりぴんと来なかったかも知れない。
いまでもこの小説の感覚を完全に判っているのかもあやしい。
でもたとえば、20代前半で読むのと今読むのとでは、感じ方がきっと
ずいぶん違ったんじゃないかと思います。
そういう意味でも「大人の小説」だとおもいます。
「こころ残り」 阿刀田 高 ★★
だれもが知っている「かぐや姫」とか「桃太郎」がモチーフになった
短編集ですが、単に昔話を現代に置き換えたというものではなく。
なんというか昔話というのは過去のことで、過去のことを「ものがたった」もの
と、勝手に思いこんでいるフシが自分にもありましたが、それだけではなくて
「ものがたり」は語り紡がれるものであり、現代の自分たちは昔話の「消費者」
であるけれども、同時に「紡ぎ手」でもあるということを思い出させて
くれます。
短編集ではありますが、ひとつの出来事に向かって、それぞれのひとたちの
「ものがたり」が語られていきます。
「語られる」わけですから、全ての短編が様々なかたちの一人称で語られます。
それぞれの「語られ方」が自然で、かつ、ひとつの出来事に向かっていく全体の構成と併せて、
秀逸だと思います。
なにより、「人は寂しさを通してしか他人とは繋がれない」と(それは当たり前のことですが)
ストレートに表現する一方で、「かぐや姫」をはじめとする様々な昔話が一筋縄ではいかない
アレンジになっていて、なかなかおもしろい作家だと思います。
それにしても。
「しをん」って名前、いいなぁ。
「むかしのはなし」 三浦 しをん ★★★
短編集ですが、単に昔話を現代に置き換えたというものではなく。
なんというか昔話というのは過去のことで、過去のことを「ものがたった」もの
と、勝手に思いこんでいるフシが自分にもありましたが、それだけではなくて
「ものがたり」は語り紡がれるものであり、現代の自分たちは昔話の「消費者」
であるけれども、同時に「紡ぎ手」でもあるということを思い出させて
くれます。
短編集ではありますが、ひとつの出来事に向かって、それぞれのひとたちの
「ものがたり」が語られていきます。
「語られる」わけですから、全ての短編が様々なかたちの一人称で語られます。
それぞれの「語られ方」が自然で、かつ、ひとつの出来事に向かっていく全体の構成と併せて、
秀逸だと思います。
なにより、「人は寂しさを通してしか他人とは繋がれない」と(それは当たり前のことですが)
ストレートに表現する一方で、「かぐや姫」をはじめとする様々な昔話が一筋縄ではいかない
アレンジになっていて、なかなかおもしろい作家だと思います。
それにしても。
「しをん」って名前、いいなぁ。
「むかしのはなし」 三浦 しをん ★★★
生涯、女性を描き続けた作家ですね。ずーっと女性だけを描き続け、
初めて男性を描いてみようかと、源義経を描こうとした矢先に逝ってしまった
と、確か橋本治の「恋愛論」のなかの、「誰が彼女を殺したか」で
読んだことがあります。
この「和宮様御留」は、いわゆる和宮替え玉説でありますが、そして著者は
その替え玉説を信じていたようでありましたが、その真偽の程はまったく
どうでもいいくらい、圧倒的かつ完成度の高い作品であります。
緻密に重ねられた時代考証、美しくしかし激しい日本語、
情景が目に浮かぶ描写力。
彼女はずっと、「女性」というものを「時代」を通して浮き彫りにしてきた作家だと思います。
それは「女性」という性(さが)と、「時代」=「男性」の性(さが)との対峙に他なりません。
「華岡青洲の妻」を単なる(壮絶なる)嫁姑戦争としか受け止めていない人が多いらしい
ことには驚きましたが、この作品は、最後の数行を書きたかったがために生まれてきた作品
としか私には思えないのです。
そしてこの「和宮様御留」も、自分の意志で自分の生き方を決められなかった当時の女性たちへの
レクイエムであるのだと思います。
「和宮様御留」 有吉 佐和子 ★★★★★
初めて男性を描いてみようかと、源義経を描こうとした矢先に逝ってしまった
と、確か橋本治の「恋愛論」のなかの、「誰が彼女を殺したか」で
読んだことがあります。
この「和宮様御留」は、いわゆる和宮替え玉説でありますが、そして著者は
その替え玉説を信じていたようでありましたが、その真偽の程はまったく
どうでもいいくらい、圧倒的かつ完成度の高い作品であります。
緻密に重ねられた時代考証、美しくしかし激しい日本語、
情景が目に浮かぶ描写力。
彼女はずっと、「女性」というものを「時代」を通して浮き彫りにしてきた作家だと思います。
それは「女性」という性(さが)と、「時代」=「男性」の性(さが)との対峙に他なりません。
「華岡青洲の妻」を単なる(壮絶なる)嫁姑戦争としか受け止めていない人が多いらしい
ことには驚きましたが、この作品は、最後の数行を書きたかったがために生まれてきた作品
としか私には思えないのです。
そしてこの「和宮様御留」も、自分の意志で自分の生き方を決められなかった当時の女性たちへの
レクイエムであるのだと思います。
「和宮様御留」 有吉 佐和子 ★★★★★
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