bookshelf 『英霊の聲 オリジナル版』 三島由紀夫 忍者ブログ
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4309407714.jpg  面白かった(楽しいとか、笑えるという意味ではありません)。

 三島の二・二六事件三部作といわれている「英霊の聲」「憂国」
 「十日の菊(戯曲)」に加え、「二・二六事件と私」というエッセイも
 入っています。

 「英霊の聲」と「憂国」は、三島の理想やファンタジーや幻滅や、
 どうしても断ち切れない想いみたいなものが、かなりストレートに現れて
 いると思います。

 それに対して「十日の菊」は、かなりシニカルかつ辛辣なトーンで、ひとつは
 死に時を逃してしまった人間の悲劇を通り越した喜劇、つまりは三島の美意識を、

 もうひとつは、怨念を胸に抱きながらも善意(と自分が信じる)行動を繰り返しながら、悲劇の
 本質を理解しないがために悲劇をも性懲りもなく繰り返してしまう「大衆」を描いており、

 後者については最後に掲載されているエッセイを読む限り、三島は「気性」と片付けていて、
 つまり死に時を見定め始めた三島は「大衆(=日本人)」に対して諦観を持つに至った、
 もしくは大衆に対して諦めはじめたことにより自分の死に時を見定めることになった、
 ようにも見えます。

 文学作品として相変わらず完成度は高いと思いますが、それにしても難しい。
 確かに「天皇の人間宣言」、それは日本人が培ってきた精神の死を意味するものだったの
 かもしれない。

 しかしながら、残念ながら万人が三島ほど深い精神性や思考力を持っているわけでもないのが
 事実でもあり、また、三島が理想とする、

 「天皇は人間だけれど、その振る舞いに於いて神でなければならない(要約)」

 というのは、かなり過酷な要求でもあるように、戦後に生まれ溢れかえるモノに囲まれて
 育った私などは思います。

 しかし二・二六や特攻隊は事実であり、彼らや三島が文字通り命を賭して訴えた言葉を
 我々は軽んじてはいけないと思うのです。


英霊の聲 オリジナル版」 三島 由紀夫 ★★★★★
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