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本はごはん。
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02261669.jpg  (元?)外科医による医療エッセイです。

 初出が20年近く前ですが、内容は古びてはいないように思います。

 それはひとつは、医療に係わる普遍的なことが取り上げられている
 と言うことと、

 そしてもうひとつは、医療が仁術から算術へと変貌してしまった
 保険診療の弊害が未だに解決できていないと言うことなのでしょう。

 一方で、癌告知がタブー視されていることを著者は憂いていますが、
 これは最近ではずいぶんと変化したことの一例でしょう。

 エホバの証人の輸血問題も取り上げられています。これは難しい
 問題ですね。教義とはいえ、今時どんな宗教だって教義をきちんと守ったら現実問題として
 生活できないと思うんですが、しかしだからといって本人がそれで良いというのであれば
 それは尊重されるべきなんでしょうし。

 そして尊厳死の問題。著者の言う尊厳死の本質、

 「スパゲッティ状態さえ回避できれば、それが尊厳死というわけではない。尊厳死とは
  とどのつまり、どう生きたかに他ならない」(要約)

 という当たり前の主張に、ちょっとハッとさせられました。

 あと、単に読みやすいだけではなく、文章がしっかりしていて驚きました。


両刃のメス ある外科医のカルテ」 大鐘 稔彦 ★★★
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9784480426512.jpg  サブタイトルにある通り、「死の生命科学」です。

 おそらく、ここに書かれていることすべてを読み下せたわけではないと
 思うけど、生物によって異なる「死のありかた」や寿命、また進化の歴史の
 なかにおける変遷など、具体例を豊富に上げて解説しており、わかりやすい。

 ただ、欲を言えば図解などがあるとさらに分かりやすかったと思う
 (DNAの紡錘体とか)。

 結局、死とは細胞の死である。
 しかし体細胞は死ぬが、生殖細胞だけは死ぬことがなく、DNAの複製を
 面々と続け、命をつないでいる、ということか。

 科学的に「死」を見つめ、科学的アプローチを綿々と積み重ねた上で
 最後に「死のとらえかた」を各方面から考察しており、名著であると思います。


われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学」 柳澤 桂子 ★★★★
4344980182.jpg  最近この手の論調の本が増えているような気がする。

 ええと。著者が言うには「健康で長生き出来るのはほんの一握りのひとだけ」
 だそうで。大抵の高齢者は、足が痛いだの腰が痛いだの心臓が弱いだの何かしら
 問題がある。まあそりゃそうでしょうねぇ。

 しかも健康上、または経済面でもさして問題のない人でも「心理的に問題を
 抱えているケースが多い」。同居問題相続問題 ETC…。

 そして更に、高齢者同士がけんかをしたとき、相手に向かって
 「あんたなんか死ねない!」と言うそうです。
 「あんたなんか死んじゃえ!」じゃなくて、「あんたなんか死ねない!」。
 こんなセリフが悪口となっているこの時代。

 うろ覚えですが、動物というのは生殖機能がなくなる=寿命なんだそうで、つまり生殖機能を
 失う頃に死ぬんだそうですが、しかし人間だけが生殖機能がなくなっても生きながらえるため、
 更年期障害を初めとする、動物にはない症状が出てきたとか。痴呆などの症状もそうなのかも
 しれません。

 「死に時」を逃さないようにするしかないようですが、本書にも書かれているとおり、
 病院に運ばれてあれよあれよという間に気管切開されちゃうのが現実なんじゃないでしょうか。
 安楽死の問題はなかなか進みそうもないし…。

 そういえば思い出したのですが、去年女優さんが孤独死していろいろ話題になりました。
 その頃からちょっと違和感があったのですが、「孤独死」ってそんなに哀れで可愛そうなこと
 なんでしょうか?

 私は大切な人を見送ったら、ひとりで気ままに暮らしてそして孤独死でもいいやと思うのですが。
 少なくとも病院でスパゲッティになるよりずいぶんいいんじゃないかと、そう思います。


日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか」 久坂部 羊 ★★★
32321676.jpg  三度にわたる脳出血により、高次脳機能障害となってしまった女性医師による
 体験記というのでしょうか。

 医師であった、ということもあってか自分の症状を客観的に整理して、
 受け入れようとする前向きな姿勢が実に明るく描かれていますが、

 いままで当たり前に出来ていたことができない、例えば、洋服をどうやって
 着たらいいのか判らない、トイレから出られない(出口が判らない)、靴も
 どうやって履けば良いか判らない、

 そんな事態に陥ったら、本人はもちろん、家族が受ける衝撃はいかばかりか。
 しかも、

 『高次脳機能障害では、子供でもできるようなことが簡単なことが出来なくなったり、
  思ったことがうまく表現できなくなるケースがよくある。だからといって、
  知能や精神まで子供に戻るわけではない』
  
 つまり「何も出来なくなってしまった自分」を、正しく認識している自分がいるわけです。
 これは相当辛いことじゃなかろうか。

 著者は医者であったということ、また身内にも医者が多く、身内の医療機関で職場復帰する
 ことことができたことなど、比較的恵まれている環境なのかもしれませんが、著者も明言
 しているとおり「社会復帰」がいちばんのリハビリのようですね。

 やはり外部から受ける刺激がいかに重要かということなのでしょう。
 そして少なからぬダメージを受けた脳であっても、工夫や努力によって、残った脳が
 失った部分をここまでカバーするものなのかと、その深遠な世界に驚きます。

 それにしても、夫の存在感が希薄というか、まったく存在感が感じられなかったのが残念です。
 

壊れた脳 生存する知」 山田 規畝子 ★★★★★
M03892193-01.jpg  アトピーエッセイ。
 物心ついたときからアトピーに振り回されてきた著者の、ある種
 「壮絶」とも言える体験談です。

 アトピーという病気については知っていますが、身近に該当者がいなかった
 ため、ここまで壮絶だとは知りませんでした。
 
 かゆい、痛い、肌が汚くなる、だけでなく、いじめやら海も温泉もダメだとか
 民間療法によって命も危険さらされるなどなど。

 皮膚科の(医者の)対応が悪い→医療に対する不信感→なかなか治らない→
 更に不信感&ステロイドバッシングによる不安感→民間療法に走る→
 高いお金を巻き上げられて更に悪化→皮膚科に戻る…

 なんとう悪循環、または負の連鎖。真っ当な医療が行われることと、怪しい民間療法が
 撲滅されることを願います。

 アトピーって大変そうだけれど命に関わる病気じゃないんでしょ、なんて思っていたことを
 大いに反省しました。精神的ダメージがこんなにも大きいなんて。

 等身大の語り口が読みやすくて面白いです。広く理解されるべき病気だと思いました。


アトピーの女王」 雨宮 処凛 ★★★
51Z7FV7DT0L._SL160_.jpg<br />  タイトルを見ると、ちょっと怪しげな実用書っぽい雰囲気を感じて
 しまいますが、脳の神経生理学から見た「記憶のメカニズム」が、非常に
 判りやすく、かつ面白く書かれています。

 タイトルにある「記憶力を強くする」という How to を期待するとちょっと
 外すかもしれませんが、そんなのどうでもいいくらい面白い。

 「記憶」をキーワードに、海馬を中心とする脳の記憶機能、そこに付随する
 シナプスをはじめとする記憶組織、夢との関連、そしてそもそも記憶とは
 何なのか、脳とコンピューターの相違、などなど。

 特筆すべきは、第一線の研究者が、専門用語を駆使するのではなく、
 素人にもとても判りやすく説明していることだと思います。

 これを読むと脳の研究というのはせいぜいここ100年、しかも重要な発見はここ20~30年の
 間に集中しており、最近になってやっといろいろ判ってきたところなんだなぁということが
 良くわかります。

 この本自体が既に少し前(2001年発行)のものなので、この本の後にも新しい発見が少なからず
 あることと思われ、まさに日進月歩のジャンルなのでしょう。

 ひとつだけ引用しておくとすれば、

 『天才とは、努力が足りない凡人の妄想によって作られた言葉である』。


記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方」 池谷 裕二 ★★★★
4797352368m.jpg  たとえばある日突然死んでしまうのと、「あと半年の命です」と余命宣告
 されるのとではどちらがいいんでしょうか。その人の性格にもよると
 思いますが、私は余命宣告をしてほしいクチであります。精神的に耐えられる
 かどうか自信はありませんが。

 この本は、緩和ケア専門医による正しい緩和ケアの紹介です。

 著者も繰り返し訴えていますが、「緩和ケアに対する誤解」がまだ強いようで
 すね。
 何を隠そうあたくしも、さすがに緩和ケアが寿命を縮めることはないとは
 知っていましたが最後の手段、「モルヒネで楽に死ねる」のではないかと
 思いこんでおりました。

 医療現場で正しく投与されるモルヒネでは死なない(死ねない)そうですよ。
 (そりゃ静注でもすりゃ別でしょうが、それでは犯罪になってしまうでしょうし)。

 しかし「麻薬(モルヒネ)を使うなんて言語道断!」と、患者が苦しがっていても投与して
 くれない医療従事者すらいるということですから、一般的な正しい認識度はやっぱり
 まだまだなんでしょう。

 そして「緩和ケア」ですから当然その先には避けられない「死」があるわけで、そういう
 意味でもこの本は単に緩和ケアの紹介だけではなく、
 「さてあたなはそのときどうしますか?」という命題をそれぞれに突きつけてもいます。

 とても印象深かった映画「死ぬまでにしたい10のこと」(どうでもいいことですがこの映画は、
 原題である「my life without me」のほうがしっくりきます)の主人公のアンは、まだ20代前半、
 子供ふたりもまだとても小さいうちにガンで生涯を終えますが、そのラストでアンが、

 「失った人生に未練はない」

 と見事に言い切ります。

 果たしてそのように毅然として自分の人生の終幕を迎えることができるのかどうか。
 それには著者の言うとおり、目をそらし避け続けるのではなく、
 時々はきちんと考え、大切な人とその考えを共有しておくことが必要なのかもしれません。

 そしてその前提として、正しい知識が必要なのは言うまでもないことでしょう。
 ドラマのようなきれいで静かな死など、殆ど望めないということも含めて。


余命半年 満ち足りた人生の終わり方」 大津 秀一 ★★★★
32200139.jpg  最近「新型うつ病」とかいう言葉を見かけるようになって
 なんだそれはと検索してみると、定義を見る限りそれって「擬態うつ病」では
 ないのかと思っていたのですが、その「擬態うつ病」の著者の最新作です。

 「新型うつ病」は「うつ病」にあらず、ときっぱり言い切っています。

 自己愛が満たされない=「自分の思い通りにならない」とむくれて、
 他罰的=「すべては親、もしくは職場、社会環境その他が悪い」と他人の
 せいにし、
 逃避=「仕事を放り出してだらだらすごし」たり、現実を受け入れない。

 それを「うつ病」と称しているのは間違いで、これは「未熟なお子様の反応」とも。
 いやー、風当たりも強いだろうにすっぱり言い切っていて潔いです。

 「(擬態)うつ病」になることで、特権階級を手に入れる、という表現まで出てきているということは、
 時折耳にする「うつ病なんだからちやほやされてしかるべきだ」と要求し、やたらめったら行動的な
 (好きなことや休日はとっても元気に活動する)うつ病患者が思っている以上に増えているって
 ことなんでしょう。

 そしてそれは、著者が危惧するように、本当のうつ病患者の治療に悪影響を与える可能性は
 小さくないように思います。

 この本はかなりやさしく、たくさんのケースを例示し、それぞれが「うつ病か否か」を判断し、
 その基準となるところを解説していますので、企業の人事担当者なんかにはとても
 良いのではないかと思います。

 しかし一方で、とりあえず「うつ病」とか「うつ状態」などの診断書を出さざるを得ない
 医療現場の現実もあるわけで、

 うつ病を訴えた従業員に対し、この本を参考に彼はうつ病ではないと判断できたとしても、
 医者からの診断書がある限りどうすることもできない人事担当者のストレスは
 逆に溜まってしまうのかもしれません。
 

それは、うつ病ではありません! 」 林公一 ★★★
12b59217.jpeg  精神科ERの勤務医(時代)のドキュメンタリーです。
 著者自ら記しているように、まだ臨床経験も浅い時代であり前のめりな感は
 多少あるものの、総じて誠実な医療行為者であると思います。

 精神科であってもERである以上、施せるのは急場の治療であって翌日には
 指定された病院へ転送されなければならず、治療を継続しながら患者の
 その後を見届けることができないためか、臨床例はそこそこあるものの、 
 もうちょっと突っ込んでほしかったというのが正直なところです。

 電気ショック療法については、偏見によって遠ざけるのではなく、
 もっと議論されるといいのにと思います。


 
 「精神科ER 緊急救命室」 備瀬 哲弘 ★★★
31856236.JPG  誰だったかは忘れましたが、
 「『先生』と呼ばれる商売の人にははっきり言ってロクな人がいない」
 と言っていたのを思い出しました。

 先生と言えば、政治家、弁護士、教授、教師、医師、作家…。

 面白いことに、山口洋子の本に、上記の職業、つまり先生と呼ばれる方々の
 「宴会」がいちばんひどいのだと、旅館の女将が嘆いていたとか書いて
 あったなぁ。

 まあいいや。相変わらずの論調で日本の医学界のダメさ具合をばさばさ
 斬ってくれていますが、やはりそれを嘆くだけではなくて、自分や家族が
 「患者」となったときに「賢い患者」になれるかどうかそれが問題で、

 「賢い患者」、著者が言うところの「プロの患者」になるには本当の意味での
 「人間としての自立」というものがとても大事で、しかし
 「人間としての本当の(精神的)自立」なんて患者になってからやろうと思っても全然遅くて
 日頃からどうしていくのか、つまりは「どう生きてきたか」というのが問われるんだなぁ
 と思います。
 
 ええ、そんな自信ないです。

 
 「医者の涙、患者の涙」 南淵 明宏 ★★★
32068461.JPG  とても軽い語り口で書かれていますが、かなりいろんなことを
 考えさせられる良書だと思います。

 インフォームドコンセントの実例が示されていますが、

 「緊急事態で一刻を争う」
 「(さっきまで元気だったのに)突如としてそのような状況(事故とか)に
  陥ったことに対する動揺」
 「患者(および家族)は医学的には素人」
 
 そのような状況に於いて、インフォームドコンセントはどこまで機能しうるのか。
 一刻を争う場面で、医学的素人に対して全ての起こり得る事象を説明しきる
 ことができて、
 また医学的素人がそのような動揺のなかで正しい判断を下せるものなのか。
 (いや、パターナリズム万能とも思っていませんが)。

 まあそのような緊急事態での機能性はともかく、インフォームドコンセント自体は良い
 傾向だと思うのですが、本来は患者の自己決定権を尊重する目的で始まったこの
 インフォームドコンセントは、なんでも訴えられてしまう昨今、医者の防衛策として使われる
 側面が強くなっているように思います。

 このなかでも書かれていますがそれは、「死に対する責任」をあちこちで回避し始めたことに
 よってあらわれてきた現象のひとつなのかもしれません。つまりそれは、そもそも
 「患者の自己決定権の実現」という目的であったのに、その目的がいつの間にか
 「医者の免罪符、言い訳用」にすり替わってしまっているような、そこまで医者が
 追い詰められている、つまりは患者やその家族が、「死」の責任を病院や医者に預けよう
 (押しつけよう)としている現実。

 個々の価値観を確立しにくい世の中になっているのかもしれませんが、併せて他人の
 価値観を受け入れる訓練を我々は怠ってきたのではないか。多発する信じがたい凶悪犯罪や
 若年層の事件なんか見ても、自分のことばかりでそこには他者の価値観を受け入れるどころか、
 「他者の存在」自体が欠落しているように思います。

 そして何より、万が一そんな状況になってしまった場合、自分のいちばん大切な人の延命装置を
 あたしは果たして外すことが出来るのだろうか。例え本人がそれを望んでいたとしても。
 甚だ、自信がありません。


 「救命センター部長ファイル」 浜辺 祐一 ★★★★
BPbookCoverImage.jpeg<br />   著者はコミックのモデルにもなった日本では有数の心臓外科医だそうです。
 ここに書かれていることが全て本当だとしたら、まったくうんざりしてきます。
 怖くて大学病院なんかにはかかれません。手術なんてもってのほか。

 学術と臨床と切り離して、それぞれを尊重してやっていくことは
 できないんでしょうか?
 論文ばっかり書いてて一度も手術したことがない外科部長だの、新しい器具や
 薬剤ばっかり使いたがる、患者を学会発表用のネタとしか見てないような医者
 には絶対当たりたくないなぁ。

 しかしここにも書かれているとおり、患者サイドが賢くなっていくしかない
 のかもしれませんね。

 この本は医療/医学の世界および、医療サービスの消費者である患者(およびその可能性のあるひと
 =全ての人)に対して警鐘を鳴らしていますが、同時に、
 「素人に判りやすく説明しプレゼンするのがプロである」とか、閉鎖社会について社会学的
 切り口から検証していたりして、医療/医学界だけでなく一般的にも共通する検証が多く
 為されていると思います。

 そして、こういう風に現場で頑張りながらおかしいことはおかしいと言える医師が
 少ないかもしれないけど実在する、ということが数少ない救いかもしれません。


心臓外科医の挑戦状」 南淵 明宏 ★★★
ISBN4-7917-5243-0.jpg<br />  しばらく、いや、ずいぶん前に買ったのですが、これも読んでいませんでした。
 名著だとの評判は嘘じゃなかった。「面白い」という形容詞は、こういう本に
 対して与えられるべき物だと思います。1993年初版発行で、2006年には46刷り
 というこの手の本にしてはかなりの爆発ぶりも頷けます。

 難解な免疫システムを非常にわかりやすく解説してあり、それは会社での組織論
 なんかにも適用でき、つまりはある種の普遍的真理なのかもしれません。

 この本は様々な読み方が出来(これは名著のひとつの条件であると
 思うのですが)、私はメインテーマの「免疫学の理解」のほかに、
 (気がついたら)ふたつの読み方をしていました。 
 
 ひとつは「組織論」としての読み方で、
 T細胞とB細胞とマクロファージは「免疫部」で、部長はT細胞、花形はキラーT細胞チーム、
 免疫部管理系がヘルパーT細胞チーム。
 B細胞は免疫部制作チーム。各チーム間の連絡係は「サイトカイン部」在籍のインターロイキンが
 兼任、というように組織化して考えると、この組織の脆弱性はどこにあり、リスクはどの当たりに
 潜んでいそうか。

 そしてもうひとつが「アイデンティティ論」として。
 かなり乱暴に言い切ってしまうと、
 
 ■一卵性双生児は遺伝子上は同一人物である。
 ■しかし、B細胞が抗体パターンをランダムに生成したり、感染症等に対する免疫経験により、
  一卵性双生児であっても、免疫パターン上の「個性」が確立する。
 ■この免疫「超」システムがよって経つところは「自己同一性」であり、この「自己同一性」を
  保つのが免疫部の仕事であるが、そもそも「自己」は時間や環境によって変化してしまうし、
  「免疫部」が常に「自己」と「非自己」を完全に認識し分けるのは「不可能」である。
 ■従って免疫学上にも絶対の「自己」という物は存在せず、自己とはつまり
  自己の「行為そのもの」である。

 だそうですよ。
 びっくりというか、やっぱりというか。
 遺伝子上でも免疫学上でも「自己」なんてアイデンティティはなくて、結局のところ「何を為すか」
 というところにしかアイデンティティはないという結論は非常に興味深い物であります。 

 いろいろ考えさせられる本です。「免疫学」でこんなに考えされられることになるとは
 思ってもいませんでした。名著です。

 (注:この本が出版された当時はまだ解明されていなかったことのいくつかが、現状では
    解明されています。B細胞の生成場所とか。)


免疫の意味論」 多田 富雄 ★★★★★
HTbookCoverImage-1.jpeg  先に読んだ同じ著者の『チーム・バチスタの栄光』について書こうかと
 思ったのだけども、まあベストセラーだし映画にもなるらしいし、あちこちに
 書かれているだろうしということで、同じ著者の『死因不明社会』のほうを
 取りあげてみます。

 TVをつければ煩いキャスターやら政治家やらが、やれ「格差」「格差」と連呼
 し、煩いことこの上ない昨今。しかしこのあいだ上海に行ってきたあたくしは
 正直なところ「日本の格差なんて甘い」と思ってしまっておりました。
 (だってさー。中国の格差ってはんぱじゃないんだもん)。

 しかしこの本を読むと、「死因特定」というジャンルに於ける地域格差の大きさには 
 (中国の圧倒的格差を目の当たりにしたあたくしでも)驚きます。

 しかし更に正直なところ、自分が死んでしまったらべつに死因特定とかしてくれなくても
 まあいいよ、と思います。
 ですがこれが自分ではなくて、自分の大切な人となれば話は別です。
 やっぱり理由は知りたい。原因は知りたい。

 著者の自説も提案もとても論理的に構成されており、とても美しい。
 個人的にも、なまじっか全身解剖されるより、著者の提案する Ai のほうがよっぽど良いです。
 
 ■(金銭的/時間的)低コスト
 ■遺族の心理的負担の軽減

 (ほんとうはもっとメリットがありますが)このふたつが揃っただけでも実施に移す価値
 があると思うんですが。資本主義社会のOLにどっぷり浸かっていたあたくしには、
 厚生労働省のアルゴリズムは(日本語は理解できるけど)、まったく判りません。

 この本を現厚生労働省幹部が読んだら、にやり、と笑うのでしょうか。
 それとも、憮然として読まなかったことにするのでしょうか。


 「死因不明社会」 海堂 尊 ★★★
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