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本はごはん。
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1102886303.jpg  幼稚園と大学がたまたまミッション系で、聖書そのものも、小説風に書かれた
 聖書物語的なものもそこそこ読んでいますが、それでもやっぱり
 「聖書そのもの」は読み下すにはかなり難解なシロモノです。

 で、タイトル通り「聖書の読み方」の本です。

 冒頭で「なぜ聖書は読みにくいのか」、学生からのアンケート結果を基に
 いくつかのカテゴリで整理し、次にどう読むのが良いのか、著者のアドバイス
 が述べられている形式ですが、
 
 なるほどとか、ああそういう風に解釈すればいいのか、ともうところも多々
 あるものの、この1冊を読んだだけで聖書を一人で読破&理解するには
 まだまだ難しいなぁというのが正直なところ。もとより著者も
 「聖書は(中心に)躓きながら読む」ものだと言っていますが。

 印象的なのは、「キリスト教信者ではないひとが抱く聖書に対する戸惑いを理解し、彼ら
 にも判る言葉で語る努力が関係者には必要」というところ。もっとそうなれば、最終的に
 信仰の道にはいるかどうかはともかく、今よりいろいろと理解し合えるんじゃないかと思う
 のだけれど。


聖書の読み方」 大貫 隆 ★★★
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NEOBK-681418.jpg  「自死」を肯定し、自ら「自死」することによってその論と人生を完成させた
 哲学者の著です。

 老年期を迎えると、今までのような生活(の質)が保てなくなる。また昨今の
 医療技術の進展により、(延命治療など)苦しい思いだけしてなかなか死ね
 ない。老衰で自然に眠るように死ぬなんてことは宝くじに当たるより確率が
 低い。だから、ある程度人生に満足したら、元気なうちに自分で死ぬ方が良い。

 ーというのが著者の主張であります。
 なるほど。確かにそう言う考え方もあるかもしれません。

 痛みや恐怖、家族や友人に対する配慮はどう乗り切るのかと言えば、
 「体が死を納得」できれば、たいした問題ではないそうです。つまり
 「何かに夢中になっているときには他のことは気にならない」のと一緒だそうで。

 しかし「死ぬことを体で納得する」というところが、いまひとつ実感として判らない。
 それは私が今のところ、「頭」でも「体」でも死ぬつもりがないからなのかもしれませんが。

 確かに、こういう考え方もあるかと思います。しかし全てに共感はしにくいなぁ。
 延命治療は望みませんが、ペインコントロールしながらモルヒネで眠らせてくれればそれで
 良いと思うのですが。

 それに。「死に夢中になっているから、残される家族に対して多少の罪悪感は持つものの
 それはたいした問題ではない(要約)」のだとしたら、やっぱりそれは自分本位の考え方
 なのではないかと、どうしてもそう思ってしまうのです。

 こういう生き方(死に方)もあるとは思います。しかし自分の大切な人がこのような
 死に方を選んだとしたら、私は自分の存在について相当懐疑的になるのではないかと。

 更に、ものすごく乱暴に言うと、
 「この先大変そうだから、今終わりにして『人生のいいとこ取り』をしよう」
 みたいな考え方には、ちょっと馴染めない。

 自死を全て否定するワケではないし、『かけがえのない命』なんて綺麗事を言うつもりも
 ありませんが、それでも、笑ったり泣いたり、喜んだり怒ったり落ち込んだりしながらも
 なんとか折り合いをつけていくもんじゃないのかなぁ。生きるってことは。

 人間だけが自殺する。
 それは人間だけが手にすることが出来た叡智か、
 それともこの上ない傲慢さか。 

 「死」というものが日常から切り離されて、概念で弄ぶだけになってしまった現代、
 きちんと「死」というものについて考える契機となるとは思います。
 なにしろ「死ぬのも大変」な世の中ですから。

 蛇足になりますがこの本、冒頭に「解説」が付されています。

 この本に限って、ですが冒頭に解説をつけたことにより、それが、「哲学者」による「自死論」、
 つまりは決して軽くも簡単でもないテーマへのイントロダクションの役割をうまく果たしている
 と思います。

 しかしそれはあくまで本書に限ったことであって、このスタイル(構成)が一般的に
 なるようなことには、絶対になって欲しくはありません。

 解説から読み始める人が少なくないらしい、ということに出版社が気がついて以来、
 解説は単なる「ストーリィ紹介」に堕ちてしまったように思います。

 本来解説とは、自分が気がつかなかった視点やら解釈やらを気付かせてくれるもの
 であって(従ってこのブログでもストーリィ紹介は極力排しています)、

 「読み終わったあとに読んで初めて意味のあるもの」

 だと、私は思っているので。


自死という生き方」 須原 一秀 ★★★★
32321939.jpg  この本は何度か読み返す必要がありそうです。
 とても平易な言葉で綴られていますが、語られている内容は
 とてつもなく深い。

 「生きずらくても生きることを決断せよ」という力強いメッセージと共に、
 「生きる意味より死なない工夫」と。

 恐らく仏教で言うところの「空」のことを言っている部分が、
 これを読む限りは理解できるのだけれど、本当に理解できているか
 自信がない。

 それでも、ここに書かれていることが全て理解できているとは思わない
 けれども、ここにはいま自分が「判った」と思っている以上に重要な
 何かが書かれているように感じる。


老師と少年」 南 直哉 ★★★★★
148012.jpg  翻訳不可能と言われいていた「フィネガンズ・ウェイク」(ジェイムズ・
 ジョイス)を翻訳した翻訳家による日本語論。

 といっても硬いものではなくて、例えば方言に内包されている暖かみ、とか
 日本語の多様性の中に含まれているおかしみとか、感覚的な部分もきちんと
 掬い上げられています。

 おもしろいのは「シチ VS ナナ」。シチとナナの対決そのものだけでなく、
 日本語がいかに変遷を経てきているか、その変遷をも柔軟に飲み込み
 しなやかに変化してきたのか、面白く表現されています。

 日本語を意のままに操っているようで、まったく羨ましい。



日本語は天才である」 柳瀬 尚紀 ★★★
9784334035310.jpg  なぜかあたくし、幼稚園と大学がミッション系で(といってもキリスト者では
 ない。全くのたまたま)、幼稚園では「めでたしせいちょうみちみてるまりあ…
 だっけ?)」と意味もわからずお経を唱えるようにお祈りさせられ、

 大学ではなにしろ「キリスト教概論」が必修科目でしたから、学問として
 キリスト教を学び(余談ですがすごく面白かった)聖書も読み、従って
 キリスト教については多少の知識があるつもりなのですが、これが仏教と
 なると。

 空海関連でちらりとさらった程度のものしかないので読んでみます。

 さすがに新書一冊で仏教の全てが判るとは行きませんが、「苦」ということや
 「利他的」の本当の意味、そして誰でも「仏性」を持っていることなど、
 判りやすく解説されています。

 特に、前書きで「自己執着の時代」と表現されている自己愛の天下のような現代、一般的に
 「尊い行動」ですら利己的な動機から発動されるこの時代、正しい利他心の持ち方を知ることは
 非常に重要だと思います。
 犍陀多の蜘蛛の糸は何故切れたのか、を。


大人のための仏教童話 人生を見つめなおす10の物語」 東 ゆみこ ★★★
c343ca04.jpeg  「記憶」について、それは事後情報が付加されて変形してしまったり
 現在の心理状況によって変化してしまったり、また、まったく経験していない
 ことについても「記憶」として刻みつけられてしまうこともあるなど、主に
 記憶の「危うい部分」について解説しています。

 一時期、アメリカで多重人格者が多発(?)した直後くらいに、心理療法を
 うけて幼児期の虐待記憶がよみがえり、親を告発するという事件が相次ぎ、
 しかしそれは、心理療法によって「あとから植え付けられた記憶」で、
 虐待の事実は無かった、というケースが少なからずあったことを覚えています。

 それらのケースや、浜田 寿美男氏の著作などからも引用しつつ、
 同時にとても身近な例を引いて説明しているので、とても判りやすい。

 しかしながら、もう一歩突っ込んた深い部分も展開して欲しかった。
 まあ新書ですしね。しょうがないかな。


記憶はウソをつく」 榎本 博明 ★★★
30940959.jpg  なかなかどっしりした本です(内容が)。
 誰もが経験のある「後悔」を切り口に、哲学の世界に自然と入っていきます。

 「あのときこうしていれば」もしくは「あのときこうしなければ」という
 後悔、それは重いものも軽いものも含めてなぜそう思うのか、そもそも人は
 何を基に行動を決定するのか、本当にそれは自由意志なのか。

 それらに付随して「偶然」とは、「運命」とは何か、などなど、多くの
 哲学者の考え方も紹介しながらうまく纏めています。

 結果として、「それは運命であった」という受け入れ方をするのか、
 「偶然」とシニカルに片付けるのかそれはその人によるのかもしれま
 せんが、人間は「なぜ?」という問いをどうしても発してしまう性を
 背負っているようです。

 その究極が哲学者なんだな、と思いました。


後悔と自責の哲学」 中島 義道 ★★★★
32215977.jpg  「判らない」ということに対して、ひとは強い不安を抱くようです
 (もちろん私も)。

 例えばナイフでメッタ刺しにして人を殺してしまった犯人になぜそんな
 ことをしたのか問うたとき、

 「どうにも事業が回らなくて借金をしたらそれが雪だるま式に膨らんで
  しまい、働いても働いても利息の分にもならず、連日鬼のような取り
  立てで、とうとう娘をフロに沈めるとまで言われ、どうにも金策も
  つかず、殺すしかないと思った」

 と言われれば、その殺人自体は肯定できなくともその動機については
 ある程度「理解」することができ、「まあ殺人は良くないけど、相手も
 悪かったんだろうなぁ」などと思うことができるわけです。

 しかし、「なんでこんなに残酷に人を殺しちゃったの?」と聞いたとき、もしも

 「だってその日はとってもお天気が良かったから」

 などと言われたら、私は間違いなく恐怖のどん底に突き落とされると思うのです。

 理解不能な事件が起きると「コメンテーター」という名のよくわからない人々がTVなどで
 さももっともらしく事件を「解説」してくれますが、結果としてそれらは的外れなものが多く、
 そういう「識者」達に対しても著者は相変わらず一刀両断で切り捨ててくれて気持ちいいです。

 しかしながらそういった現象は、「判りやすいストーリー(解説)」を得て「安心したい」という
 意識が(私も含めて)多く存在しているということの証左でもあるのでしょう。
 その「安易なストーリーにすがること」の危険性も、本書では訴えています。

 多くの事件の事例をひきながら、判らないことは「判らない」とはっきりした上で著者は本書の
 タイトルにもなっている問いに回答しており、その回答も、回答に至るまでの考察や意見に
 ついても説得力高が高い。

 事例も論旨もとても整理されており、良書です。


心の闇に魔物は棲むか―異常犯罪の解剖学」 春日 武彦 ★★★★
6031820.gif  臨床心理士のカウンセリング日記です。

 ずっと良い子だったのにある日突然、表面的には「問題児」になってしまった
 子供たち。現実、つまり周りと自分(の欲求やありたい姿)とのバランスが
 上手くとれなくなってしまった子供たちに対する、カウンセリングの現場が
 描かれています。

 「子供たちは『異界』を生きている」という表現が出てきますが、これは
 非常に核心をついた表現だと思います。大人になってしまうとそんなことは
 すっかり忘れてしまいますが。

 しっかりと子供と向き合って育て直しのプロセスを共有(共同作業)していく
 様子が丹念に描かれています。 

 しかしそんな環境に恵まれず、えっちらおっちらなんとかあちこち擦り傷をつくり血を流しながら、
 気がついたら大人のカテゴリーに入れられちゃってる人はもう、諦めるしかないのでしょうか。

 「文庫版あとがき」に出てくる谷川俊太郎の詩が秀逸です。


生きにくい子どもたち―カウンセリング日誌から」 岩宮 恵子 ★★★
ISBN978-4-569-70510-1.gif  「無実の人が何故犯罪を自白してしまうのか」「羞恥心(はどこからくるか)」
 などから、自由だと思っている心が実は不自由であり、それはどのような
 社会的構造、心理プログラムからきているか、などについて論じています。

 特に「無実の人が自白」してしまう心理について、それは「嘘をつく」こと
 ではなく「自分に、犯人を演じる自由しか残されていない」という、
 現実的不自由からくるという解説は、なかなかに説得力があると思います。

 人は知ることによって、時間の概念とか神の視点などを得たことによって、
 自由を手にしたと同時に同じだけの不自由も手に入れてしまったという
 ことですが、

 身も蓋もなく言ってしまえば、「知らない幸せ」ということをやっぱり
 考えてしまいます。
 しかし知ったが故の不自由、不安を引き受けていくことが、人間と他の動物
 との違いなんでしょう。

 とても面白かったんですが、講義を書籍化したもののようで話し言葉で綴られており、それはそれで
 読みやすくかつ判りやすいんですが、全体を総合的に纏めて構成されたものも読みたいなぁ。
 

心はなぜ不自由なのか」 浜田 寿美男 ★★★★
32142972.jpg  恐らく永遠に答えの出ない問いなのではないでしょうか。
 しかし答えを求めずはいられないものでもあり。

 個人的には「何故死んではいけないのか」というより、
 「何故生きて行かなきゃいけないのか」というほうがしっくりくるんですが。

 「死」を求めてやまない熱病のような時期を過ぎ、感性を切り捨てたんだか
 切り売りしたんだか、いやもともとそんなに大層なものは持ち合わせて
 いなかったんだとか思いながらなんとか生き永らえて(と言うほどの年寄り
 でもないけど)この齢になってみると、

 昨今耳にするような「よく生きる」だの「よく死ぬ」だのそんな贅沢な
 余裕はなく、ただただひたすら目の前の厄介ごとをどうにかこうにか
 だましだましやり過ごしてきただけという以外のなにものでもなくて、

 しかしあたしは何かを探しているんだろうなぁと思う。
 何を探しているのかすら判らないけれど。
 きっと見つからないのだろうけれど。

 哲学的見地に於ける「私」の(時間軸との)定義がとても面白く、また
 「何故死んではいけないのか」という問いに対するひとつの回答として、後書きに書かれて
 いることがとてもしっくりきました。

 
 「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」 中島 義道 ★★★★
10130572.jpg  事件を起こした被告人が精神鑑定に付された場合、複数の鑑定人に
 よってそれぞれ結果(診断)が分かれるケースも少なくないように、
 やはり精神疾患というものの判断がいかに難しく、ましてやその原因の
 特定などは、限りなく不可能に近いのが現状であるのだと思います。

 一方でというか、それであるが故になのか、擬態鬱病のように精神疾患を
 言い訳のように、逃げ道に使う人も出てきているのが実態だと思うのです。
 この本では「PTSD発言」をした芸能人なんかもばっさり斬っていて、
 なかなか気持ちがいい。

 「アダルト・チルドレン」だって、親との関係に於いて何の問題もな
 かった人って存在するんでしょうか?
 しかし自分はアダルト・チルドレンであるってことに「してしまえ」ば、
 今の自分の生きにくさも不幸な境遇も郵便ポストが赤いのも全ては親の
 せいにできますからね。

 最近何かと言えば「心のケア」と言いますが、心にだって自己治癒能力があるはずで、それを
 適正に鍛えないから些細なことで「傷ついた」と大騒ぎするひとが増えてるんじゃないで
 しょうか。だから「心のケア」が必要以上に「行きすぎる」ことは、返ってマイナス
 なんじゃないかと思ってしまうんですが。

 一方で本当の精神疾患を患っている人およびその周辺のひとたちの深刻さもこの本からよく
 わかります。かなり臨床症例が豊富です。

 「片付けられない女たち」が流行った頃、「自分もADHDではないか」という女性患者が増えた
 そうですがその多くは、

 「ADHDのせいにするんじゃない! お前がずぼらなだけだーっ!!」

 と言われるんじゃないでしょうか、もちろんあたくしも含めて。

 それにしても。
 よく「精神疾患チェック表」みたいなみたいなものがありますが、そういったものの設問の
 文章って、占いの文章と似てるなぁといつも思います。
 誰でも当てはまりそうなことばかり書いてあるような気がするところが。


 「狂気の偽装―精神科医の臨床報告」 岩波 明 ★★★★
146726.jpg  またしても好き嫌いの分かれそうな本です。

 タイトルの通りですが、その嫌いな10のひとびととは「笑顔の絶えないひと」
 であったり「みんなの喜ぶ顔が見たい人」であったり、まあ一般的には
 「いい人」に分類される人でありますが、

 そういう人たちが嫌いだーーーっ!
 
 と著者は叫びます。

 はっきり言って全く同感です。

 結局のところ「親切」な振る舞いも「偽善」に基づいた「自己満足」でしか
 なく、結果として「感謝」を要求するとか、
 
 「普通」という「マジョリティ」が即ち「正しい」とか、
 「自分がいいと思ったこと」イコール「相手にとっても間違いなく良いことである」などと
 勝手に思いこんでいたり(思ってるだけならともかく、行動してきたりとか)、

 そういうのが大嫌いなので、ああよくぞ言ってくれましたという感じ。

 ここに出てくる「10の人びと」は、あたくしにとっても「とても嫌い」な人びとでありますが
 しかし。本当はここまでで終わりにしたかったのですがしかし。

 やっぱりあたくしの中にも、自分で嫌悪するこの「10の人びと」の影が見え隠れするので
 あります。社会生活を営む上では、こういう要素が多かれ少なかれどうしても存在して
 しまうのではないか。その要素を全く認めないのは、この著者のような生き方をしている
 もしくはそういう生き方しかできない人だけではないか、と思ったりもします。

 でもこうやって声を大にて「嫌いだー!」と言ってくれるとなかなか爽快です。
 自分じゃそう思っても言えないし。
 

 「私の嫌いな10の人びと 」 中島 義道 ★★★★
415BGP45EqL._SL160_.jp<br />  賛否両論に激しく分かれそうな気がしますが、あたくしは
 「よくぞ言ってくれた!」と思います。学者とかではなくて、現役の精神科医
 の発言であると言うことが非常に重要です。

 著者は現在の日本を「被害者帝国主義」と呼んでいますが、まったくもって
 その通りだと思います。

 精神的成熟度が低く、なにかあればそれは「親のせい」「学校が良くない」
 「社会が悪い」と何でもかんでも他人のせい。

 それでいて自分は義務を果たさず(給食費払わない親までいる時代ですからね)
 権利だけを振りかざす。自分だけは常に正しい(と思いこんでおり)
 ちょっとの「バッファ」も許容できない。
 関わると面倒なので、学校なんかも最初からおもねってしまうから余計に増長する。

 この本ではないんですが、いつか本屋で、

 『自分はうつ病なんだから、もっと優しく、もっと配慮されてしかるべきだ』

 などという人はまさしく【擬態うつ病】だと思うのですが、こういう人たちも新しいタイプの
 うつ病として認知するべきだ! みたいな主張の本があって、かなりのけぞりました。
 …そこまでおもねってどーすんだよ。

 なんか日本人の美徳ってどんどん失われていくんですね。
 それで何が残るんですかね。あーやだやだ。

 
「心の傷」は言ったもん勝ち」 中嶋 聡 ★★★

31400927.jpg  単行本で刊行された当時読んで、今回再読してみましたが。

 なかなか凄まじいです。
 あたしも人を愛せないので、その恐怖心や負い目や無力感みたいのは
 判る「つもり」なんですが、おそらくここまでではない。

 「愛されない」のと
 「愛することができない」のと、
 どちらより不幸なのか。

しかしここまで「愛してくれ!」と叫ぶことは、きっとあたしにはできないなぁ。

ちらりと、本当に一瞬だけ出てくる三島由紀夫に関する考察が興味深い。

人は、パンのみにて生くるにあらず。


ひとを愛することができない―マイナスのナルシスの告白」 中島 義道 ★★★★★
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