bookshelf 『自死という生き方』 須原一秀 忍者ブログ
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NEOBK-681418.jpg  「自死」を肯定し、自ら「自死」することによってその論と人生を完成させた
 哲学者の著です。

 老年期を迎えると、今までのような生活(の質)が保てなくなる。また昨今の
 医療技術の進展により、(延命治療など)苦しい思いだけしてなかなか死ね
 ない。老衰で自然に眠るように死ぬなんてことは宝くじに当たるより確率が
 低い。だから、ある程度人生に満足したら、元気なうちに自分で死ぬ方が良い。

 ーというのが著者の主張であります。
 なるほど。確かにそう言う考え方もあるかもしれません。

 痛みや恐怖、家族や友人に対する配慮はどう乗り切るのかと言えば、
 「体が死を納得」できれば、たいした問題ではないそうです。つまり
 「何かに夢中になっているときには他のことは気にならない」のと一緒だそうで。

 しかし「死ぬことを体で納得する」というところが、いまひとつ実感として判らない。
 それは私が今のところ、「頭」でも「体」でも死ぬつもりがないからなのかもしれませんが。

 確かに、こういう考え方もあるかと思います。しかし全てに共感はしにくいなぁ。
 延命治療は望みませんが、ペインコントロールしながらモルヒネで眠らせてくれればそれで
 良いと思うのですが。

 それに。「死に夢中になっているから、残される家族に対して多少の罪悪感は持つものの
 それはたいした問題ではない(要約)」のだとしたら、やっぱりそれは自分本位の考え方
 なのではないかと、どうしてもそう思ってしまうのです。

 こういう生き方(死に方)もあるとは思います。しかし自分の大切な人がこのような
 死に方を選んだとしたら、私は自分の存在について相当懐疑的になるのではないかと。

 更に、ものすごく乱暴に言うと、
 「この先大変そうだから、今終わりにして『人生のいいとこ取り』をしよう」
 みたいな考え方には、ちょっと馴染めない。

 自死を全て否定するワケではないし、『かけがえのない命』なんて綺麗事を言うつもりも
 ありませんが、それでも、笑ったり泣いたり、喜んだり怒ったり落ち込んだりしながらも
 なんとか折り合いをつけていくもんじゃないのかなぁ。生きるってことは。

 人間だけが自殺する。
 それは人間だけが手にすることが出来た叡智か、
 それともこの上ない傲慢さか。 

 「死」というものが日常から切り離されて、概念で弄ぶだけになってしまった現代、
 きちんと「死」というものについて考える契機となるとは思います。
 なにしろ「死ぬのも大変」な世の中ですから。

 蛇足になりますがこの本、冒頭に「解説」が付されています。

 この本に限って、ですが冒頭に解説をつけたことにより、それが、「哲学者」による「自死論」、
 つまりは決して軽くも簡単でもないテーマへのイントロダクションの役割をうまく果たしている
 と思います。

 しかしそれはあくまで本書に限ったことであって、このスタイル(構成)が一般的に
 なるようなことには、絶対になって欲しくはありません。

 解説から読み始める人が少なくないらしい、ということに出版社が気がついて以来、
 解説は単なる「ストーリィ紹介」に堕ちてしまったように思います。

 本来解説とは、自分が気がつかなかった視点やら解釈やらを気付かせてくれるもの
 であって(従ってこのブログでもストーリィ紹介は極力排しています)、

 「読み終わったあとに読んで初めて意味のあるもの」

 だと、私は思っているので。


自死という生き方」 須原 一秀 ★★★★
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