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本はごはん。
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674cc476.png  執事小説。
 というジャンルがあるのかどうか知りませんが、とにかく執事小説です。

 相変わらず、上手いなぁと唸らせる構成と文章(翻訳の力も大きい)。
 透明な世界観を立ち上らせる文章に、近い過去、現在、遠い過去と縦横無尽に
 行き交いながらもなんのストレスも感じさせず、ストーリィにぐいぐい引き
 こんでいく構成。

 英国の正統派執事として長年主人に仕え、今は屋敷ごと買い取られ、
 アメリカ人の主人に仕えている主人公。その設定からしてすでに予感させる
 ものがありますが、彼が情熱をもって仕えてきた主人、勤めてきた執事という
 仕事、つまり彼の今までの人生について晩年になって正面から向きあう、
 というものです。

 彼が今までに手に入れたもの。その代わりに失ったもの。
 失ったことすら気付かなかったもの。そして、手に入れたと思っていたものが実は幻だったかも
 しれないこと。

 しかしストーリィはとても軽妙に、絶妙な面白味をあちこちにちりばめながら進んでいくので
 決して重苦しいわけではないのですが、それだけにこの切ない哀しみがより一層深く心に響いて
 くるのでしょう。

 それでもラストで彼は、新しい主人であるアメリカ人のために、ジョークを習得しようと前向き
 なのがすこしの救いでありますが、それに対しても「まじめに取り組む」という彼のやり方を
 変えられないところが、おかしみと哀しみを上手く表現していると思います。

 「彼自身」と、そして彼のような執事が活躍していた「古き良き時代の英国」の夕暮れ
 (なにしろアメリカ人が執事ごと屋敷を買い取る時代になってしまったのだから)の両方を
 重ね合わせたタイトルも秀逸。
 
 ストーリーにも設定にも奇抜なところは全くないのですが、透き通った哀しみが心に残る作品
 だと思います。


日の名残り」 カズオ イシグロ ★★★★
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1102906480.jpg  むむむ。
 これは、このタイトルはちょっと違うんじゃないでしょうか。

 タイトルからして、ERのインターンの話だと思っていたのですが、
 連作短編集なのですけれども、メディカルスクールを目指す恋人同士
 の破綻、メディカルスクールでの解剖学習をめぐるあれやこれやとか、

 その後もERそのものの話ではなく、ERに運び込まれた人の家族の話
 だったり、精神科や産婦人科ドクター、また航空救難ドクターに
 なってからの話など、そんな彼らを巡る話で(しかも彼らは個別独立
 して描かれる)、

 どれも話は悪くないのですが、タイトルはちょっと外れてるんじゃ
 ないかと…。

 翻訳がちょっと硬い感じでリズムを阻害されるときが結構あるんですが、
 全編通してちょっとひんやりした硬質な空気を感じます。

 「夜間飛行」がいちばん好きかな。


ER 研修医たちの現場から」 ヴィンセント・ラム ★★★
41014.jpg  実話で、映画化されるようですね。

 ハーバードのMBAを取得し、マーケティング・マネージャーという
 地位と高収入、そして妻と3人の子供をもつ幸せを手にしたものの、
 子供ふたりがポンペ病という難病に冒され、その病気に立ち向かう
 両親の記録です。

 ポンペ病は筋ジストロフィーと似ていて、徐々に筋力を失い最後には
 自発呼吸すらできなくなって死に至る病ですが、このポンペ病に
 対する治療薬がない(当時)。

 その状況で父親は患者会を作って資金を集め、そこから製薬会社へ投資し、その製薬会社の
 CEOにまでなってしまいます。このあたりとってもアメリカ的ですね。

 そして数々の困難を乗り越えながら、治療薬の早期完成と、子供達に治療を受けさせる
 ために奔走するのですが、時折弱音を(妻に)はきながらも力強くぐんぐん進んでいく
 あたりも、やっぱりアメリカ的強い父親です。

 ほんの数年で新薬開発までこぎ着けたバイタリティは、親の子供に対する愛と
 いうものの強さ故なのでしょうか。

 製薬会社のCEOになったものの、自分の子供達を新薬の臨床試験の対象とすることには
 さまざまな障害があって思うようにならず、会社の経営を預かるCEOとしての自分と、
 父親としての自分との狭間でジレンマに陥りながらも諦めないタフさや、

 そもそも自分の子供が難病にかかり薬がないとなったときに、製薬会社を作ろうという
 発想自体が自分にはないものだったので、もしかしたらこれもアメリカン・ドリームの
 ひとつかもしれないなどとも思う。

 メインのストーリィから外れますが、新薬、特に難病に対する新薬の開発は、現状はやはり
 こうなんだなぁ、と。技術情報、開発情報を元にベンチャーファンドが巨額投資。
 身売りする場合は投資額の5倍のリターンが基本。

 まあこの巨額投資が研究開発の元になるわけだし、利益目的だからこそ開発スケジュール
 なんかもシビアにコントロールされるという利点もあるわけですが、なんとなく危うさも
 同時に感じてしまうのはなぜでしょう。

 そしてこれも本書そのものの評価ではないですが、翻訳がちょっと…。
 もうちょっと頑張って欲しかった。


小さな命が呼ぶとき(上)」「小さな命が呼ぶとき(下)」 ジータ アナンド ★★★
I4062766035L.png  兵士としてベトナム戦争を体験した著者の体験記です。

 彼は家族から疎まれ、PTSDに悩まされ、ホームレスになりますが、
 学校に招かれて戦争の体験を生徒達に話したことから人生が変わります。

 タイトルは、最初に学校で話をした際、生徒から出た質問です。

 彼はこの質問の前に絶句してしまいますが、絞り出すように「YES.」と
 答えたあと、涙に暮れてしまいます。
 その彼に、子供達は癒すように寄り添ったそうですが、

 子供というのは全てを「理解」することはできないかもしれないけど、
 「感じる」ことはできるのだろうなぁ、と。

 著者の深い深い悲しみ、出口の見えない絶望、そんなものを確実に
 感じ取れるのは、大人よりむしろ、子供の方なのかもしれません。

 戦地はもちろん、沖縄基地での「アメリカ軍海兵隊の所行」もきちんと書かれており、
 クジラだマグロだと騒ぐ前に、こっちの方がよっぽど先だろうと思ってしまいますよ。

 著者はその後精力的に平和活動に従事し、日本にもたびたびやってきたようですが、
 亡くなったそうです。残念ですね。


ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 アレン・ネルソン ★★★★
10202.jpg  うーむ。
 これは書くのがすごく難しい。

 ミステリというか、サスペンスかな。
 ノスタルジィに包まれて語られる、幼い頃の姉と弟の、閉ざされた完璧かつ
 完結した世界と、そして緊迫した「今」との鮮やかな対比。

 その中で次第に明らかになる謎。

 設定は、乾くるみの「イニシエーション・ラブ」を思い出しました。
 全体の雰囲気は、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を
 想起させる感じ。

 正直なところ回想シーンが途中でちょっと退屈に感じないでもないのだけれど、
 それは罠であった。
 そして最期まで謎を引っ張ってったところはすごい。

 1点、どーしても引っかかるところが。
 うーん。
 もう一度読むか。

ソフィー」 ガイ バート ★★★★
46nennme.gif  3歳の時に事故で失明し、それから46年後に視力を取り戻した男性の
 ノンフィクション・ノベルです。
 
 3歳の時に失明しているので、目が見えたころの記憶は殆ど残っていないわけ
 で、目が見えないながらも様々なことに次々とチャレンジし、家庭を築き、
 「充分な幸せ」を感じており、「人生に足りないものはないと思っている」。

 そんなある日、「手術すれば目が見えるようになるかもしれない」と言われ、
 彼は、それは「他人の心を読める能力」を要るか要らないか、選択を迫られて
 いるのと同じだと感じる。

 そういう、目が見えるのが当たり前の生活からは出てきそうもない感覚が
 随所に出てきます。

 また過去に光を取り戻した数少ない症例の人たちの大部分が、光を取り戻すことと、その後の
 人生の幸せがイコールでなかったことや、

 手術で光を取り戻しても、目に映るそれが何であるのか考えなければ判らず、相当な疲労を
 伴うものであるとか、男性と女性の区別も難しいとか、
 
 当たり前に様々なものを見てきている自分からは想像もつかないような、後天的に(大人に
 なってから)光を取り戻した人の「視界」が展開されています。

 高リスクな状況で手術を受け、また拒絶反応によって再度失明の危機にさらされたり
 しながらも、次々と挑戦していくその熱意は、ちょっと常人外れなくらいです。
 
 脳(ニューロン)と視力の関係も判りやすく解説されおり、とても興味深く読みました。

 それにしても。奥様は偉いなぁと思う。障害を持つ夫に引け目を持つでもなく甘やかす
 わけでもなく腫れ物に触るような扱いをするでもなく、自己主張をしながら対等な人格
 として対峙しています。
 相手が障害者じゃなくたって、なかなか難しいことだと思うんですよ。


46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生」 ロバート・カーソン ★★★★
M038.JPG  なかなか重たい本ですね。
 白血病の姉を救うべく、完全適性ドナーとして生み出された
 デザイナー・ベイビーである妹。

 彼女は両親に愛されて育ちますが、その愛は自分が姉の
 完全ドナーであることから来る愛ではないのか、そう疑問に
 思っても仕方ないですね。

 彼女の視点だけではなく、父親、母親、姉、兄、弁護士など、
 この件に関わる人物の視点で順に、複眼的に展開されていく
 ので、誰かが決定的に悪いともかわいそうとも断定できない、
 上手い構成になっています。
 
 彼女は13歳になって、姉への臓器提供を拒否すべく弁護士を自分で調達して両親を訴え
 ますが、このあたりはかなりアメリカ的ですね。

 そして、白血病の娘(姉)も臓器提供サイドの娘(妹)も平等に愛していると言い切る母親の
 ちょっと傲慢にすら思える思い込みもアメリカ的なのかしら。

 恐らく、これは誰も裁くことの出来ない問題ですが、裁判を通してそれぞれが自分自身と
 家族を見つめ直していく過程が、上手く描かれています。

 裁判の結果どちらが勝利しても、彼らの苦悩は形を変えて続くはずでしたが、ラストは
 「やっぱりな…」と思いつつ、こういう形のピリオドの打ち方はさすがプロだと思うと同時に、
 ちょっと遣る瀬なく、かつ強制終了を食らったようにも感じます。

 この本はいろんな読み方が出来ると思うのですが、それは例えば、デザイナーベイビーや
 生体間臓器移植の是非についてはもちろん、親の「愛という名の支配」もしくは
 「愛を振りかざした無言の圧力」と、子供の自我との戦い、つまりは子供の自立の物語とか。

 ただ、彼女の「嘘」を考えるとき、それらは一転し、まったく別の世界が立ち上がってきます。
 タイトルの秀逸さと併せて、萩尾望都の「半神」を彷彿とさせるのであります。


私の中のあなた(上)(下)」 ジョディ・ピコー ★★★★
41UuxupcP8L._SL160_.jpg<br />  原題は「THE LIFE BEFORE HER EYES」。
 映画「ダイアナの選択」の原作です。
 映画が良かったので、原作も読んでみることにします。

 むーん…(以下、ネタバレが含まれています)。
 
 まず、小説を読んでみると、映画が非常に上手く構成されていることに改めて
 気づきます。原作のメッセージを損なうことなく、原作にないエピソードも
 盛り込まれており、

 映画と原作(小説)、両方ともレベルが高い作品だと思います。
 
 しかし。
 しかししかし。

 いちばん重要なポイントが、映画と原作(小説)では違う。

 生き残って大人になって、完璧な幸せな家庭を築き、しかしひたひたと闇が迫るように
 次第次第に周りも自分も壊れていく…という全体の展開や「選択の意味」は同じですが、
 「彼女の選択」が大きく違うのです。
 
 ここが違うと、極端な言い方をすると片方は「良心に従った死」で、もう片方は
 「良心を無視したが故の死」のようにずいぶんと意味が変わってしまうようにも思われ、

 映画のほうが、キーワードのひとつである「conscious(良心)」が、より強調された構成
 だと思います。たぶん、監督はそこに強いメッセージをこめたのかもしれません。

 いずれにしても「良心」の重要性を訴えていて、そこへ至るアプローチの違いなのでしょう。

 久しぶりに「もう一度観たい」と思った映画で、原作もまた読み返すと思います。

 これを読んで何かが引っかかった方には、「
月への梯子」をお勧めします。


春に葬られた光/」 ローラ ・カジシュキー ★★★★
60063b40.jpg  アメリカで100人以上を殺した殺人犯の独白形式のドキュメンタリー。

 この死刑囚の信任を得た作家が、1年以上刑務所に通い詰め完成した
 ものですが、殺人犯も自分の口で本当のことを語り残しておきたいという
 欲求があったようで、そのあたりがうまく一致したのでしょう。

 とにかく、文字を追うだけでも目を背けたくなるような残忍な虐待を
 繰り返し(それがたとえ幼児であろうと、また親類であろうと)、
 挙げ句の果てに殺してしまっています。

 更にそれらの行為に対する後悔の念、改悛の情もなければ、被害者に
 対する憐憫も同情も、ましてや反省などと言う感情とは一切無縁のようです。

 そういった過激な残虐性、他者に対する共感性の著しい欠如、などを考えると、
 やはり、コリン・ウィルソンが序文で、そして死刑囚の元に1年以上通い続けた作家が付記で
 述べているように、幼少時にうけていた虐待体験も併せて殺人犯が何らかの脳の器質的障害を
 負っていたのではないか、と思います。

 アメリカに於ける司法、刑務所の腐敗や警察捜査能力の低さなどについても辛辣に述べられて
 いますが、実際この死刑囚はもっとも監視が強力である死刑囚監房で殺人を犯していますから、
 まったく説得力があるというか。

 しかし日本と違うのは「司法取引」。例えば罪を軽くしてもらう変わりに殺人を認めるとか、
 全てを告白する変わりに死刑から無期懲役に求刑を軽くしてもらう、とかです。
 これによって、「無罪なのに無期懲役になった」仲間というのがでてきます。

 殺人犯の友人であったため共謀を疑われ、「自分は殺人を犯していない」といくら言っても
 信用してもらえず、挙げ句の果てに「このまま、否認したまま裁判になれば、まず死刑だ」と
 脅かされ、「いま殺人を認めれば無期懲役で済む」などと言われて殺人を認めてしまう。

 なるほど、「司法取引」はこういう使い方をされるケースもあるのか、と。
 たしかに「正しい」使い方をされれば司法取引も意義のあるものなのかもしれませんが、
 こういうウラの顔もあるのだということがよくわかりました。


死刑囚ピーウィーの告白―猟奇殺人犯が語る究極の真実」 ドナルド ギャスキンズ ほか ★★★★
310051.jpg  介護人をしている女性の独白形式の小説です。

 彼女が育った施設での日常やそこで出会った友人や先生、それからの
 それぞれの人生などが淡々と綴られていきます。

 どうもなにか背後にはヒミツがあるらしい、しかしそれはかなり早い段階で
 様々な単語やエピソードなどから殆ど想像がつきます。

 にも関わらず最後までぐいぐいと読ませる筆力はすごい。
 
 彼女たちは、諦めたのか受け入れたのか、それとも教育によってそう
 刷り込まれたのか。

 設定自体はちょっと奇異な感じがしますが、置き換えてみれば今の世の中にも
 当てはまることだと思います。

 独特な世界観と衝撃を与える作家だと思いました。


 「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ ★★★★
31994108.JPG  医者という職業のため多忙であるシングルマザーの母親とその娘が、
 すれ違いの生活の中でお互いにメモを書き冷蔵庫に貼る。
 その「メモによる会話」形式のストーリィです。

 こう言ってしまうと身も蓋もないのですが、ストーリィ自体は良くある
 話です。
 しかし「メモによる会話」という形式が最大限に活かされていると思います。

 「これを買ってきておいて」という買い物リストのメモなどの狭間から、
 母親が自分の身体に起こった不幸をどう娘に伝えるか逡巡する様子や、
 若い娘はその母親の逡巡に一向に気づかず、失くした鍵やお小遣いや、
 ボーイフレンドのことで大忙しである様なんかがよく伝わってきます。

 なにしろ「メモ形式」ですからあっという間に読めてしまうんですが、
 おそらくこれだと原文(英語)で読めるんじゃないかな。 


 「冷蔵庫のうえの人生」 アリス カイパース ★★★
32112371.jpg  一見、「体の贈り物」とはずいぶんと違うなぁという印象ですが、
 しかし淡々と見つめる視線はああやはりこの著者だなぁと思います。

 いろいろなカップルの、いろいろな愛の形を描いています。

 表題にもなっている短編は冒頭からなかなかショッキングですが、
 ふたりの関係性だけに閉じこもって生きていこうとする愛の狂気、
 そのふたりの閉じられた安全な関係をじわじわと侵略する「社会」や
 ふたりの、というより人間個人個人が抱えている「社会性」。

 そういった愛による狂気や関係性の壊れていく様を、
 独特の(それは例えば夢と現実の間を彷徨っているかのような)表現で
 描いていきます。

 なんともいえない切なさを漂わせた、ある種の「究極」なのかもしれない。


 「私たちがやったこと」 レベッカ・ブラウン ★★★
03467831.jpg  基本的に海外文学は得意ではないのです。
 実際、めったに読みませんし。

 しかし同時に、海外文学であっても深い感銘を受ける著作は少なくないのも
 事実で、結局のとこと生活習慣とか表出的な情動の違いがピンとこない
 というのを言い訳にして食わず嫌いをしているというのが本当のところ
 なのかもしれません。

 この作品は、突然の交通事故で妻を亡くした主人公が、それによって
 自分が知らなかった妻のもうひとつの顔を知ってしまうという
 ものですが、

 読み終わって思うのは、この夫と妻と、どちらがより罪深いのか。
 結局はどちらも思い上がっていたということなんでしょうけれど
 「思い上がり」と「愛」は何がどう違うのか。

 もちろんそのふたつはぜんぜん別物なんだけど、じゃあ自分も含めて一体どれだけの人が
 きちんと「認識」し、「実践」できているのだろうか。

 気がつけばいろいろと想いを巡らせています。


 「妻は二度死ぬ」 ジョルジュ・シムノン ★★★★
214931.jpg  ものすごく淡々と綴られ、静謐な文章です。
 そこに描かれているのは、「数ヶ月後にほぼ確実にやって来る死」に
 直面しながらも、とても暖かい何か。

 11編の短編が収められていますが、どれも HIV を発症し死を迎える人々を、
 ホームケア担当者の眼を通して描いたものです。

 HIV を発症した人の恋人やパートナー、仲間たちが、ボランティアや
 コミュニティ・サービスの手を借りて、HIV を発症してしまった人を
 ケアしていくのですが、やはり死を迎えてしまう。

 そしてしばらくすると、ケアをしていた恋人や仲間が発症してしまい、
 またほかの仲間たちがケアする。

 つまり(言葉は悪いですが)ケアと「看取り」がまるで連鎖していくかのような、
 HIV という病気の恐ろしさを、違う側面から見たように思います。

 それにしても。
 この静謐さ、この暖かさ。
 言葉にし難い何か。


 「体の贈り物 」 レベッカ ブラウン ★★★★★
 ba99415c.jpg  基本的に海外文学、とくにアジア文学はあまり読まないのですが、
 あまりにインパクトのあるタイトルで思わず手にとってしまいました。

 夫なんて一人でたくさんなんじゃないかと想像しているあたくし
 (経験がないので想像するしかないのですが)から見れば、
 「もうひとり夫がほしい」なんてまあ物好きなというか、
 元気だなぁというのが正直なところです。

 なんども別れようとしながら結局は妻に引きずられて夫ふたりに妻ひとり
 という変則家庭を続けるうちに、とうとう子供ができてしまうわけですが。

 子供ができたときにこの夫ふたりと妻ひとりという変則家庭は、ある種、
 妻にとって理想なのかもしれません。

 この本の中では、夫のひとりはばりばり仕事をして生活の基盤を築き、もう一人の夫は休職して
 育児を手伝っています。しかも妻は(子供ができるまではプロジェクトからプロジェクトを
 渡り歩く専門職で夫より高給だったのに)専業主婦。
 妻にとってこれ以上の天国があろうか!

 しかし「猟奇的な彼女」といいこの本といい、韓国の女性って強いんですかね。
 でもこれって、「妻」の理想をかなえるために一方(夫)に過度な(精神的)負担をかけて
 いるようにしか思えないし、なにより子供ができてもどちらの子供か明言するどころか
 DNA鑑定もあくまで泣き落としで拒否したり、どうしても好きになれません。

 それ以上に、それにいいように振り回されている夫に何とも言い難い不快感。
 そこまで甘やかしてどーすんだよ。
 それってほんとに愛なんでしょうか? 夫のそれも、妻のそれも。

 話は変わりますがこの本は、いたるところにサッカーの寓話が挿入されており、
 読み進むにつれ「ストーリィ」と「サッカー」がほぼ半々くらいのボリュームになってきます。
 このサッカーの寓話はサッカーに詳しくなくても楽しめ、またストーリィともうまく絡んで
 いるのですが、逆に言うとストーリィだけではここまで引っ張れなかったということの
 ようにも思えます。

 翻訳はあの蓮池さんですが、翻訳書を読んでいるとは思えない良訳でした。


もうひとり夫が欲しい 」 パク ヒョンウク ★★
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