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本はごはん。
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aee85917.png  この著者の本はほんとに外れがなくて、安心して読めます。
 インタビューを元に構成されたノンフィクション・コラム。

 淡々と生きる、もう老境に入った職人。
 落選に次ぐ落選を重ね、少し疲れながらも夢を追い続ける人。
 癌を患いながらも明るく生きる人など、21通りの人生の断片が掬い上げられて
 います。
   
 とにかく文章が上手い。個人的には、沢木耕太郎の文章を想起します。
 平易な言葉で、長すぎず簡潔な、そして体温を感じる文章。

 取り上げられているのも特別な人たちではなく本当に普通の人たちで
 そして「ノンフィクション」ですから感動の結末やオチがあるわけでも
 ありません。

 それでも心に残るのは、その人の人生を切り取る著者の目線の暖かさ故ではないかと思います。

 個人的には算数の先生の話がとても良かったです。私もこんな先生と巡り会えていたら
 これほどの数学嫌いにならなくてすんだんじゃないかと…(責任転嫁)。

 ふと、この著者が私をインタビューするとしたら、私の「どこ」もしくは「なに」に興味を
 ひかれるんだろうか?
 そしてどんな風に私の人生を掬い上げてくれるんだろうか? 
 そしてそれを読んだ私はどんな風に感じるんだろうか?   
 
 なんてことを思いました。

     
胸の中にて鳴る音あり」 上原 隆 ★★★★
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b73a745e.png  世の中に「完璧に健全な親子関係」などというものは、ないと思うのです。
 そんなものは幻想です。どこの家庭にだって多かれ少なかれ問題は
 あって、それをなんとか乗り越えたりやり過ごしたりしていくもの
 だと思うのです。

 一時期「アダルト・チルドレン」という言葉が流行して、街中誰も彼もが
 アダルト・チルドレンになってしまったかのように、ブログでも飽きるほど
 見かけましたが、その多くは責任転嫁としての「自称」アダルト・チルドレン
 であったように思います。

 しかしまあ、(本物の)アダルト・チルドレンほどでなくても、親子関係の
 誤解や歪みが性格形成上、または行動様式に何らかの影響を与える事は
 少なからず在る事でしょうし、その根本原因に気がつかずに痛い目に遭う、
 繰り返してしまう、ということもあるのだとおもいます。

 著者はヒプノセラピーを通して、母親への愛を求めて叶えられなかった幼い自分を認識し、
 そうして自分を立て直していきます。彼女はセラピーという手段を採ったわけですが、いずれに
 せよ自分の本当の言葉に耳を傾ける事が必要なのだろうなと思います。

 まあなかなか自分一人では難しいところでしょうからセラピストという職人が存在するので
 しょうけれども、相性というものもありますからね…。ただ、本当に自分がそれを必要とした
 時には、巡り会えるというか、巡り会っちゃうもんなんじゃないかとも思うのです。

 つまり、いままで封印してきた、というのは封印しなければ自分を保ってこれなかった
 と言う事なのだと思うのです。しかしその封印を解くきっかけはきっと自然にやってきて、
 それがつまり、封印を解いて受け止められる心の状態になった、ということの証左なのでは
 ないかと思うのです。

 著者の友人で新興宗教にはまってしまった人のことが出てきますが、結局物質的に満たされれば
 今度は精神的なものを求めてさ彷徨ってしまう現代の哀しさですね。
 物質も新興宗教も、結局のところ与えられるものを探回っているだけで、自ら創り上げる
 ものでないのに…と思うのは酷な事でしょうか。

 そして野次馬的な発想ですが、この本を読んだ著者の母親の感想はいかに。


母親に愛されたい娘たち」 井形 慶子 ★★★
cbba635c.png  吉原の最後を見届けた、松葉屋という茶屋の女主人による吉原回想録です。

 幼少の頃から茶屋の跡継ぎとして吉原で育てられた著者の目に映った、
 大正の終わりから吉原の灯が消えるまでの姿を、柔らかな語り口で回想
 しています。

 吉原というと江戸時代の絢爛豪華さ(しかしそれはほの暗さや寄る辺ない
 哀しみに裏打ちされたものであるのだけれども)が真っ先に思い浮かび
 ますが、昭和に入ってからの戦中戦後、そして法律改正などの激動の
 時代を中心に語られています。

 売春防止法が施行され、昔ながらの吉原が消えソープランド街となって
 からも松葉屋は料亭として、花魁ショーを取り入れたりしながら頑張って
 いたようですが、芸者さんや幇間さんたちの高齢化、後継者不在には
 とうとう勝てなかったようです。
 もう、歌舞伎や文学の中でしか触れる事が出来なくなってしまったんですね。

 300年続いた文化をきっちりと締めくくるために現れた人のように感じるのは私だけでしょうか。
 凜として背筋が通っていて、そして粋。これを格好いいと言わずして何と言うのか。
 

吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史」 福田 利子 ★★★
56e38cce.png  母親についてのエッセイですかね。
 解説が内田春菊。なんて豪華な組み合わせ。

 母娘の関係はもちろんそれぞれに違うのであろうけれども、面倒な関係の
 根本じゃないかと思う。

 母に対する、小さい時の想い、大人になってからの想い、母が呆けて
 からの想い。
 それらがまったくストレートにざくざくとテンポ良く綴られていきます。

 冒頭は母親から受けた仕打ちが続くのですが、やがて母親の良いところも
 きちんと掬い上げられていき、この著者の客観性の強さに驚かされます。
 普通は、書けないんじゃないか。

 嫌いなのに憎みきれない。嫌いなのに老人ホームに入れた事に対する罪悪感を拭いきれない。
 おそらく解決する事のないであろう葛藤。見なかった事、気がつかなかったふりをするのでは
 なく、正面から自分の心を見つめる強さ。

 そして、著者の母親に対する複雑な思いが現れているかのような構成。
 計算して、というより恐らく、自然とこういう構成になったように感じるのは文章もつ力と
 スピード感のせいなのだろうか。

 更に、相変わらずの絶妙な日本語。意志を持つ文章。

 さて非常に個人的なことであるのだけれど、私は幼少期の記憶がほとんど無い。
 病気とか、虐待の後遺症とか、そういうことでは一切無くて、地縁血縁いずれも薄く、さらに
 自分の過去に殆ど興味を持たない私は、中学生くらいまでの記憶がかなり曖昧だ。
 はっきり言って殆ど憶えてない。小学校の同窓会なんて言われたらもうお手上げだ。顔も名前も、
 誰一人覚えていない。先生なんて言わずもがな。

 それでも両親が離婚する間際の壮絶な夫婦喧嘩だけは憶えていたりするのだが、私も著者のように
 年をとったら思い出すのだろうか?
 そして更に年を取ったら今とは全く逆に、最近の記憶を無くして遙か過去の記憶の海に
 沈むのだろうか?


シズコさん」 佐野 洋子 ★★★★
59a9133c.png  遺稿、のようですね。

 なんと切ないタイトルか。
 妻を失った深い哀しみが端的に表れていると思います。

 妻との出会いから別れまで。決して文章量は多くないんですが、たとえば
 冒頭の短いエピソードで、著者の愛した妻の性格が見事に表現されて
 いたり、薄い本でありながらその人物描写やふたりの関係が詰まっています。

 もう何十年も前のふたりの出会いを著者はこう語る。
 「天から妖精が落ちてきた」と。

 その出会いの時の想いを忘れずに、いっしょに歳を重ねていける相手に
 出会えるということは何と幸せなことであろうと思うのと同時に、

 その幸せに奢ることなく、寄り添い愛を育てていく努力を忘れてはいけないのだろうと思います。

 抑制したのか、はたまた妻に対する想いに集約したのか、恐らく書かれていないことがたくさん
 あるのだろうなと思うのです。幸せとか本当の愛とか、そういうものは降ってくるものではなく、
 自分(たち)で創り上げるしかないのだから。

 どこまで思いを馳せることが出来るか。それも読書の醍醐味でしょう。


そうか、もう君はいないのか」 城山 三郎 ★★★★
9784167671051.jpg  エッセイです。犬猫を巡るものが中心。

 とても平易な言葉で綴られた文章には「毛深い家族」への暖かい眼差しが
 が溢れていますが、その合間合間に知性の高さが伺えます。

 「抱腹絶倒」の代名詞も持つ著者ですが、「ユーモア」と「知性」。

 このふたつは、著者の幼少時代の様々な経験、それもどちらかというと
 辛かったり、傷ついたり、傷つけたり、どうしようもない巨大な力の前に
 なすすべもなく立ちつくすしかなかったり、

 つまりは「哀しい経験」のうえに築かれたものではないかと、なんとなく
 そんな風に思うのです。

 必ずしも愉快ではない経験が彼女の中で知性と明るさとなって花開いた、そうすることの出来る
 強さを持ったひとだったのではないかと、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」などを読んでいると
 そんな風に感じるのです。


終生ヒトのオスは飼わず」 米原 万里 ★★★
41saWfCdWIL._SX230_.jpg   エッセイです。大人になっても「工作少年」。
 羨ましいと思う人も多いのではないでしょうか。

 ちょっと言い回しがくどいというか、まあエッセイですから好き勝手な
 言葉遊び的表現が少なからずあり、そのあたり好き嫌いがわかれるところ
 かもしれませんが、その合間に著者独自の価値観やものの見方などが展開
 されています。

 他の作品でも著者の「工作少年」振りは垣間見えていましたが、これを
 読むとそれが「かなりの筋金入り」であることがよく判ります。

 著者が子供の頃に通ったという「模型屋」のおじさん、おばさんの
 エピソードがもう、たまりません。

 そして同様の嗜好を持ちながらも踏みとどまっている彼にこの本を紹介するべきかどうか。
 非常に悩ましい。


工作少年の日々」 森 博嗣 ★★★
41g251n2shL._SX230_.jpg<br />  正直に白状しますと、まーったく期待してなかったのですこの本。
 しかし。
 面白いじゃないか…。

 NHK交響楽団で長いこと(30年超?)バイオリンを弾き、世界の著名な
 音楽家と共に音楽を作ってきた著者によるエッセイですが、

 楽器を奏でることができなくても、オーケストラのことも有名な指揮者も
 なにも知らなくても楽しめると思います。

 オーケストラというと何というか、ちょっと近寄りがたい雰囲気というか
 自分とは別世界の人たちのような気がしていましたが、

 「N響」のことを「N狂」と表現していたり、指揮者とオケの演奏者との
 ビミョーな関係とか、オーケストラの舞台裏があっけらかんと語られていて楽しいです。

 後半はディスクガイドにもなっていて、ちょっと聴いてみようかなという気にもさせて
 くれて、とにかく楽しい1冊でありました。


バイオリニストは目が赤い」 鶴我 裕子 ★★★
9784166607167.jpg  「洒脱な文章」とは、まさしくこういう文章をいうのではなかろうか。
 シニカルを装って逃げるのではなく、見なかったふりをするのでもなく、
 ユーモアを交えながら、時としてそのユーモアが辛辣な皮肉にもなっている。

 雑誌『諸君!』に匿名で連載されたものからの抜粋ですが、この30年間に
 起きた事ごとに対し、鋭い視線で切り込んでいます。
 
 なかでも繰り返し語られるのは「朝日新聞」に対する憤り。

 「今の世に新聞記者はいない。いるのは新聞社員のみである(抜粋)」という
 説には、ああなるほど、と素直にうなずいてしまう。やはりジャーナリズムは
 とっくの昔に死んでしまった。

 しかし著者がこれほどまでに朝日新聞に舌鋒鋭く切り込むのは、
 ジャーナリズムの復活を祈っているからなのではないか。
 それが絶望的なことであると知りながらも。

 闘病中とのこと。快復をお祈りしております。


完本 紳士と淑女 1980‐2009」 徳岡 孝夫 ★★★★
978-4-591-11195-6_o.jpg  はい、また「猫もの」に手を出しました。

 ウッドストックで夫と猫と暮らしている著者の、猫を中心としたエッセイ
 です。この著者の「玉手箱」という短編集を読んだことがあって、
 悪くないと思った記憶もあったので。

 結果からいますと、親ばか炸裂(まあこれは猫系のお約束)はもちろん
 ですが、猫のいる生活から透けて見えるのは異国での違和感や寄る辺のなさ、
 そして(時には積極的な)差別や悪意との遭遇。

 自分の経験と照らし合わせても、猫(に限らず犬なんかもそうかも
 しれませんが)は自分が弱まっているときに絶大なる存在感と絶対的信頼感
 で支えてくれますね。どうしてこうも一途に想ってくれるんでしょうか。
 人間なんて簡単に心変わりするのに。

 ウッドストックでの美しい自然と愛する夫、そして猫のいる生活。
 羨ましい。


愛しの猫プリン」 小手鞠 るい ★★★
610328.jpg  著者はベトナムからボートピープルとして脱出し、日本に
 帰化したそうで、苦労した経験やそこから得たものなどが綴られています。

 確かに「水と安全がタダである(めずらしい)国」として日本は世界の
 羨望を得ていたし、今もそうなのでしょう。

 しかし、「識る」ということと「実感する」ということのあいだには、
 やはり大きな隔たりがあるのだということを改めて感じます。

 「水と安全がタダ(同然)」で付与されている環境でのほほんと生まれ
 育った私には、そのありがたさを頭で理解することは出来ても、実感と
 しては「判らない」のです。失って初めて判る類ですねきっと。

 著者の前半生は本当に苦労が多く(ベトナム脱出に7回も失敗していたり)、
 そこから多くのもの/ことを得たのだろうと思うのですが、今ひとつ胸に迫って
 くるものがないのは何故だろう。
 ちょっと表面的というか、キレイにまとめてしまっている感じがしないでもない
 のです。

 あと、帯(表紙裏側)に、

 「帰化したことを全く後悔していない。なぜなら日本を深く愛するようになったから」

 とあるのですが、日本のどのあたりが愛しいのか、私にはいまひとつ伝わって
 きませんでした。
 すいませんきっと私の読解力が低いせいです。

日本人が知らない幸福」 武永 賢 ★★★
9784167750022.jpg  可愛い本ですね。

 アップルパイやアイスクリーム、桜餅などのジャンクフードが
 著者のエピソードとともに語られています。

 なんかスイーツ系が多いように思うのは気のせいかしら。

 様々なジャンクフードを紹介しつつその隙間に、
 「女の子って躊躇しない生き物だなぁ、って思う」など、
 面白いフレーズが挟まっています。

 「コロッケはできたてのものをお肉屋さんで買って、夕暮れの土手で
  愛犬とひとつづつ食べたい」

 というのがなかなかよろしいと思いました。


きらめくジャンクフード」 野中 柊 ★★★
942.jpg  ラジオ番組の中のひとつのコーナーを書籍化したもののようです。
 心が温まる系のお話がたくさん詰まっています。
 有名な(?)話もあります。
 実話を素に構成しているそうです。

 しかし恐らくこれは文章で読むよりも「ラジオで聴く」ほうが
 更に良いのかもしれません。





車椅子のパティシエ」 上柳昌彦のお早うGoodDay編 ★★★
9784167449049.jpg  この著者の名前をどこかで見たなぁと思ったら、三島自決の日に呼び出され
 檄文を託された人ですね。

 妻よりも自分の方が先に逝くものだとばかり思っていたのに、
 妻に先に逝かれてしまった著書が語る、正しく「妻の肖像」です。

 出会いやこれまでの生活、思い出などが、それはそれは美しい日本語で
 綴られていますが、若かりし頃、それは今よりも不便でお金もなかった
 時代であったわけですが、いきいきと、優しい眼差しで当時を回想して
 います。

 しかし「新聞記者」という職業柄もあるのでしょうが、
 「自分が死ぬこと」については著者は何度か思いを巡らせていますが、
 「妻が(自分より先に)死ぬこと」は思いもよらなかったようです。
 得てして、そんなもんなんでしょう。

 思うに、大切な人を失うことによって図らずも抱えてしまった大きな心の穴は決して埋める
 ことは出来ないのでしょうけれども、こうやってひとつひとつ思い出と想いをたどりながら、
 その圧倒的な不在や後悔、寂しさや孤独に少しずつ心と身体を慣らしていくしかないのかも
 しれません。

 どうも著者も悪性リンパ腫を患っているようで、回復を願って止みません。
 この美しい日本語を失うのはあまりにも惜しい。


妻の肖像」 徳岡 孝夫 ★★★★
610322.jpg  うーん…。
 斎藤美奈子の「妊娠小説」みたいな感じかと思ってたんですが…。

 すいません。どうしてもちょっと浅い気が。
 浮気をされた場合の男性の行動を、「黙認する男」「殺す男」「復讐する男」
 などパターン別に整理していますが…。

 なんというか、羅列だけなんだよなぁ。
 結論としては「浮気を見つけても、あまり騒ぎ立てず男の器量を示すべき」
 ということみたいなんですが、それもどうなのかなぁ。

 浮気に限らず、苦境にあるときこそそのひとの人間性が問われると思うんです
 けど、そういう深いところには一切立ち入るつもりはないみたいです。

 映画、歌舞伎、読書ガイドとしても薄いし、ちょっとどうなんでしょうか…。


寝取られた男たち」 堀江 珠喜 ★★
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