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本はごはん。
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32403859.jpg  なかなか興味深い本でした。

 三島が自衛隊への体験入隊を繰り返した際に、彼に接した自衛官達を
 取材し、彼らの目に映った三島由紀夫を追っています。

 そこには、ノーベル文学賞候補の、ちょっと狂気の混じったような
 派手できらきらした世界の三島ではなく、

 繊細で無邪気で、そして愚直なまでに真面目に努力する三島由紀夫、
 いや、平岡公威の姿があります。

 自衛隊への体験入隊は、三島に、自衛隊に対する更なる期待と同時に、
 絶望をも感じさせたのかもしれません。

 しかし三島が感じた期待は自衛官個人個人に担われている精神である一方、当時の自衛隊が
 既に備えていた自衛隊幹部の「役人体質」であるとするならば、三島の「悠久の大儀」は
 はじめから勝ち目がなかったのではないか。

 それでも立ち上がらないわけにはいかなかったのだろうし、もう止まれなかったのだろう
 けれど。


「兵士」になれなかった三島由紀夫」 杉山 隆男 ★★★★
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32289599.jpg  三島晩年の担当編集者であった著者による三島本。

 三島についてはいろんな人が書いていますが、

 「ひとりの死者も出さなかった安田講堂攻防戦(警察、学生共にひとりの
  死者も出なかった)の学生達への、あてつけに、ひとりの学生を道連れ
  にするアイディアを思いついた」

 という記述に、唖然としてしまいました。
 もし「あてつけ」が必要だったとしても、 世界的にも著名な三島が、
 切腹というショッキングな方法で自決することで充分でしょう。
 なにも学生を道連れにする必要などない。

 つまり「学生を道連れにすること」で「あてつけ」ようとしたという
 論法はまったく的外れにしか思えないし、何より故人に対して
 失礼極まりないのではないか。

 結局、週刊誌三流ライターの下衆の勘ぐりなのではないか、そう思われても仕方ないのでは
 ないかと。
 この記述が早い段階で出てくるため、事実関係以外の著者の推論部分はかなり疑問を持って
 読むようになってしまいました。

 まあ、職業柄、ほんの一部を見てさも全てを知っているかのように書かなきゃならないんで
 しょうが、この著者もそれなりに三島に近いところにいたのでしょうけれど、三島のことは
 何にも判ってなかったんだなぁ、というのが正直な感想です。

 一方で、週刊誌ライターであるためか、当時の世相やそのなかにある三島由紀夫「像」と
 いうものを、たとえば「今で言えば木村拓哉並の人気」など、判りやすく紹介していると思います。

 またユングやプラトンが三島に与えた影響を一生懸命探っていますが、このあたりは難しいなぁ。
 ユングやプラトンが三島の頭の中でどのように形造られたのか、例え三島が生きていてもそれを
 知ることはできないのではないかと。

 句読点がかなり違和感があります。


平凡パンチの三島由紀夫」 椎根 和 ★★★
4309407714.jpg  面白かった(楽しいとか、笑えるという意味ではありません)。

 三島の二・二六事件三部作といわれている「英霊の聲」「憂国」
 「十日の菊(戯曲)」に加え、「二・二六事件と私」というエッセイも
 入っています。

 「英霊の聲」と「憂国」は、三島の理想やファンタジーや幻滅や、
 どうしても断ち切れない想いみたいなものが、かなりストレートに現れて
 いると思います。

 それに対して「十日の菊」は、かなりシニカルかつ辛辣なトーンで、ひとつは
 死に時を逃してしまった人間の悲劇を通り越した喜劇、つまりは三島の美意識を、

 もうひとつは、怨念を胸に抱きながらも善意(と自分が信じる)行動を繰り返しながら、悲劇の
 本質を理解しないがために悲劇をも性懲りもなく繰り返してしまう「大衆」を描いており、

 後者については最後に掲載されているエッセイを読む限り、三島は「気性」と片付けていて、
 つまり死に時を見定め始めた三島は「大衆(=日本人)」に対して諦観を持つに至った、
 もしくは大衆に対して諦めはじめたことにより自分の死に時を見定めることになった、
 ようにも見えます。

 文学作品として相変わらず完成度は高いと思いますが、それにしても難しい。
 確かに「天皇の人間宣言」、それは日本人が培ってきた精神の死を意味するものだったの
 かもしれない。

 しかしながら、残念ながら万人が三島ほど深い精神性や思考力を持っているわけでもないのが
 事実でもあり、また、三島が理想とする、

 「天皇は人間だけれど、その振る舞いに於いて神でなければならない(要約)」

 というのは、かなり過酷な要求でもあるように、戦後に生まれ溢れかえるモノに囲まれて
 育った私などは思います。

 しかし二・二六や特攻隊は事実であり、彼らや三島が文字通り命を賭して訴えた言葉を
 我々は軽んじてはいけないと思うのです。


英霊の聲 オリジナル版」 三島 由紀夫 ★★★★★
51PP9SM38VL._SL160_.jpg  これは以外に面白い話であった。どこまで本当の
 ことなのか、にわかには信じがたい部分がなくはないのだけれど。
 (二・二六事件後、自刃した河野大尉の亡霊を見たとか夢で会ったとか)。

 著者は過去の「二・二六事件」を通して三島と繋がっていきますが、
 この段階では三島はまだ、分岐点の手前にいたように感じる。
 文学者として生きていくのか、自分の信念と熱情に身を委ねるのか。

 この著者と出会ったことも含め、またそれ以外の沢山のことが
 三島を二・二六とその思想に収斂していってしまったようにも思う。

 著者と三島は親密というほどでもなく疎遠と言うほどでもなく、程良い
 距離感で三島を見ていたから書けた作品かもしれないが、

 ただ同時に、何の根拠もなくただふと思ってしまうのは、著者は全てを著したのだろうか?
 ということが、どうしても頭をよぎる。


熱海の青年将校―三島由紀夫と私」 原 竜一 ★★★★
105003.jpg  長編です。言うまでもなく作品の完成度はとても高く。

 良人の女性問題でさんざん悩まされてきた妻が、良人の死後良人の実家に
 身を寄せ、舅の情人となりながらも、若い下男に惹かれていく…という
 ものですが。

 主人公の未亡人が、何とも破滅的な人の愛し方、生き方をするというか、
 つまり彼女も自分自身しか愛していないわけです。そして自分が生きて
 いるという実感を「苦悩」によってしか得られなくなってしまっている。

 だから彼女に苦しみを与え続け、苦悩させ続けた良人が亡くなってしま
 うと、新たな苦悩の種を見つけずには居られない。愛の対象に求める
 ものがどうしても「苦悩」になってしまう。

 衣食住に何の不安もない彼女は、ひたすらに精神世界で言語を弄ぶことができる立場ですが、
 彼女が好意を寄せた若い下男は「愛」という概念をそもそも持っていません。
 このすれ違いが最大の悲劇であり喜劇でしょう。「愛」どころか、彼女は自分が期待した
 「苦悩」さえも得られなかったのですから、ああいうラストになってしまうのでしょう。
 
 女性のもつ残酷さや底意地の悪さなども巧みに表現されていて、構成も含め「巧み」だなぁ
 と思います。


愛の渇き」 三島 由紀夫 ★★★★★
102203.jpg  三島由紀夫の父が、息子について綴った本です。

 これを読む限り、社会性を備えた、時には立ちはだかる壁にもなる父親の愛、
 献身的で優しい母親の愛、とバランスのとれた両親であったように思え、

 でも、強烈な個性で平岡家(三島の本名)を支配する祖母の存在が、
 この家庭をちょっと特殊な環境にしてしまった…。

 しかし果たしてそうなんだろうか、読み進めるうちにそんな気もしてくるの
 です。

 病身の祖母のもとにぴったりと引き寄せられ支配されながら育つ。
 祖母なりの愛し方だったのかもしれませんが、その愛は真っ先に「祖母自身」
 に向かっており、孫(三島)ですらその手段のひとつのような、そんな愛され方、

 そして両親もそれに(抵抗はしたようですが)抗い得ない状況、
 そのありように子供は何も感じないはずはないと思うのです。

 話は変わりますが、9歳の時に誘拐されてから9年強監禁され続けた「新潟少女監禁事件」。
 この少女が救出されてから語った言葉はたとえば、

 「九年間、私がいない間に流れている川があったとして、私が戻ってきて またその川に
  入りたいんだけど、私が入ったがために水の流れが止まったり澱んだり、ゴミがつまったら
  嫌だから、私はこっそり見ているだけで入れない」

 と、非常に詩的(かつ聴いている方の胸が潰れてしまいそう)な言葉であり、これはある特殊な
 環境下におかれ続けることにより、「思考」を深く探ることを余儀なくされた者が到達する感覚、
 思考、表現なのではないかと思うのです。
 
 三島の場合、それに天性のものが加わり相乗して「三島文学」を築き上げたのではないか、
 とそんな風に思います。

 いずれにせよそんな環境の中で、三島は非常に家族思いな人となったようですが、両親とも
 その事実には深く感謝するものの、その要因については「思いやりのある子だったから」としか
 思い至っていないようです。

 その根源は「孤独」だったのではないか。物心ついたときから彼を支配してきた(環境に起因する)
 「孤独」だとしか思えないのです。

 子供の頃の三島を父は、普通なら泣いたり、キャッキャと喜ぶような場面なのにまったく
 無表情で、能面のような顔をしていた、と回想し、「まったくその謎は解明できませんでした」
 と書いています。

 このあたりから既に三島のひとつのテーマであった「父親対息子」の萌芽がかいま見れるよう
 に思うのは穿ちすぎでしょうか。

 ユーモラスに綴ったり、毒を含んだ言い回しであったり、シニカルに顔をしかめた風に書き
 ながらもその行間には息子を失った哀しみが滲んでいます。
 肉親だからこそ知る三島のエピソードにも触れることができます。

 しかし最後まで、息子の「本当の聲」を聴くこと、「本当の姿」に触れることはなかったのでは
 ないか、とも思ってしまうのです。


伜・三島由紀夫」 平岡 梓 ★★★★
31798040.JPG  1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で三島由紀夫が自決直前に
 撒いた「檄文」、以前にも触れた通りそれは、

 「熱烈で悲壮な【日本という国】へのラブレター」

 だと思うのですがそのなかに、

 「我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、
  国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り
 (中略)、政治は矛盾の湖塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
  国家百年の計は外国に委ねられ…」

 とあり、また死の数ヶ月前に書かれた「私の中の二十五年」には、

 「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国
  が極東の一角に残るのだろう」

 と、40年も前にここまで的確に現在の日本を見通していたのかと感嘆するのでありますが、

 この著書の中には石原慎太郎との対談の中での三島の発言が引用されており、そこにある

 「ポスト・インダストリアゼーションのときに、日本というものも本質を露呈するんじゃ
  なかろうか」

 という三島の発言にはもう驚嘆も通り越してしまいます。

 この本は、楯の会第6班副班長だった著者が三島との日々を振り返ったもので、楯の会の隊員
 からみた三島由紀夫が描かれています。

 楯の会では三島の指示のもと、「憲法改正案」の作成にも着手していますが、その研究会で
 著者が提出した原稿のなかに、

 「人間本来の脆弱さを社会に押しつけ、自己を社会の被害者と規定することにより、被害者で
  あるという理由だけで自己の正義を主張する欺瞞と甘えが罷り通る日本ではなく…(略)」

 という文章があります。当時著者は21歳。まったく、なんというレベルの高さだろうか。

 戦後、「豊かになりたい」と願ったことは非難されるべきことではないと思います。
 しかしいつの間にか、不必要な豊かさを追いかけ続け、気がつかないうちにそれと引き替えに
 大切なもの失ってしまったのかもしれません。

 そのあたりを見抜いていた三島は、まるでギリシア神話のカッサンドラを想起させもするのです。


果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの」 井上 豊夫 ★★★★★
51351BW8KXL._SX230_.jpg  著者自身による自薦短編集の2作目です。

 やっぱりこの作品集は表題にもなっている「真夏の死」でしょう。
 我が子をなくしたという事実の受け止め方や消化の仕方の、男親と女親での
 違いを見事に描ききっているように思います。

 死を受け入れるまでには心理的にいくつかのプロセス
 ー「否認」「怒り」「取引」「抑鬱」など、そして最後に「受容」ー
 を経過すると言われていますが、それが日常のなかでとても上手く心理描写
 されています。
 
 この作品のラスト、それは「受容」を表現しているものと思ったのですが
 著者の解説によるとどうもそれだけではないようです。

 つまり「受容」とは即ち「新たなる宿命の待望」であって、裏を返せば、
 「待望」できるようになることが「受容」できたということの証なのかもしれません。

 結局、人間は「宿命」を背負ってしか生きられない。
 というのが、この解説を書きながら自分の死を数ヶ月後に定めた三島の、ひとつの結論
 なのかもしれません。


真夏の死」 三島 由紀夫 ★★★★
01229194.jpg  自選短編集1作目です。

 タイトルにもなっている「花ざかりの森」は、もともと三島には修辞が多い
 傾向にあると思うのですが(それはもちろん美しい日本語であるのですが)、
 この作品はそれを顕著に感じます。正直なところ、すこしいじりすぎの
 ような、練り回しすぎのような気もするんですが…。

 そしてやはり「憂国」ですが、これって三島のファンタジーなんじゃないか
 と思ったら著者解説を読むとやっぱりそうなんですね。自身の手で映像化も
 したようですが、文章表現以上の世界を映像で表現できるとは思えないほど、
 この作品の完成度は高いと思います。

 1点、夫の自決の意志をしっかりと受け止めた妻に対して夫は、「今まで自分が施してきた
 教育の成果に満足」し、「妻のその反応が愛ゆえであると思うほど馬鹿な良人ではかった」
 とあります。まったくこういうところが三島の一筋縄ではいかないところなんでしょうか。

 「海と夕焼け」については著者自身が語っているように、彼のテーマが凝縮しているのでしょう。
 「信じるものが起こらない現実」の意味を考え続けるような。

 個人的には「女方」が文学作品として、また三島の美意識、言葉に対する感覚みたいなものが
 「歌舞伎」という舞台とよく融合していてすばらしいと思います。
  
 「詩と少年」の解説で自ら書いていることが非常に興味深いです。


 「花ざかりの森・憂国」 三島 由紀夫 ★★★★★
04355602.jpg  三島由紀夫関連で読みたい本があるのです。

 しかしよく考えてみると、以前から三島に興味を持ちつつも三島自身の著書を
 数冊読んだ経験しかなく、また「楯の会事件」についても概要をなんとなく
 知っているという程度の知識しかないことに気づき、まずは事実関係を
 おさえるべく「ドキュメンタリー」と銘打ってあるこの本から入りたいと
 思います。
 
 冒頭に有名な「檄文」(三島が自決直前にバルコニーからばらまいたビラに
 書かれていた文)が掲載されていますが、この文章がもう、
 良いとか悪いとか、正しいとか間違ってるとか、好きとか嫌いとかそれ以前
 に、それらを判断させるいとますら与えず、
 
 ものすごく強い強いエネルギーを発しながら迫ってくるため、頭がくらくらしてきます。
 それを押して「檄文」を読み通してみると、これは…

 「ものすごく熱烈で、ものすごく悲壮な恋文ではないか」

 と言うのが正直な感想です。いったい何が彼をしてここまで書かせしめたのか。

 本書は多数の資料と当時の時代背景をきちんと整理してあり、「楯の会事件」についての
 事実をきちんと纏めながら、(結局のところ推論となってしまうのかもしれませんが)三島の
 心理的変遷を丁寧に追いかけています。

 一連の流れについては理解したんですが、でもまだ判らない。

 文学者としての三島と、楯の会隊長としての三島、このふたつの顔が並立すること自体には
 さしたる矛盾も疑問も感じないのですが、でも判らない。
 もちろん他人のことが100%判るなんてことはないことは100も承知ででも
 判らなさすぎる。

 しばらく追いかけます。
 

三島由紀夫と楯の会事件」 保阪 正康 ★★★★
51FjCXyXn3L._AA240_.jpg  ジャンルは「小説」に入れておきましたが、正しくは「戯曲」ですね。
  先日、劇団四季の鹿鳴館を見まして、ちょっと引っかかるモノがあって、
 たしか遙か昔あたくしがまだ小娘であったころ読んだことがあったはずの
 鹿鳴館を手に取りました。

 あたくしごときがあーだこーだ言うには恐れ多い作品ではありますが、
 三島は、この舞台を演じる俳優にもそれを見る観客にもとても高いハードルを
 課しており、もしかしたらそのハードルを越えられる俳優も観客も、
 現代の日本にはもう殆どいないのではないかもちろんあたくしも含めて。

 もしくは言い方を変えれば、文学というのはこういう水準のものを文学と
 言うのであって、このくらいのものが普通であって、
              それに引き替え昨今の(以下略)。

 ため息が出るほど美しい日本語の海。
 人間の持つ業と愛憎の全てが見事に交錯する構成。
 完璧としか言いようがない。


鹿鳴館」 三島 由起夫  ★★★★★
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