bookshelf 『伜・三島由紀夫』 平岡梓 忍者ブログ
本はごはん。
[245]  [244]  [243]  [242]  [241]  [240]  [239]  [238]  [237]  [236]  [235
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

102203.jpg  三島由紀夫の父が、息子について綴った本です。

 これを読む限り、社会性を備えた、時には立ちはだかる壁にもなる父親の愛、
 献身的で優しい母親の愛、とバランスのとれた両親であったように思え、

 でも、強烈な個性で平岡家(三島の本名)を支配する祖母の存在が、
 この家庭をちょっと特殊な環境にしてしまった…。

 しかし果たしてそうなんだろうか、読み進めるうちにそんな気もしてくるの
 です。

 病身の祖母のもとにぴったりと引き寄せられ支配されながら育つ。
 祖母なりの愛し方だったのかもしれませんが、その愛は真っ先に「祖母自身」
 に向かっており、孫(三島)ですらその手段のひとつのような、そんな愛され方、

 そして両親もそれに(抵抗はしたようですが)抗い得ない状況、
 そのありように子供は何も感じないはずはないと思うのです。

 話は変わりますが、9歳の時に誘拐されてから9年強監禁され続けた「新潟少女監禁事件」。
 この少女が救出されてから語った言葉はたとえば、

 「九年間、私がいない間に流れている川があったとして、私が戻ってきて またその川に
  入りたいんだけど、私が入ったがために水の流れが止まったり澱んだり、ゴミがつまったら
  嫌だから、私はこっそり見ているだけで入れない」

 と、非常に詩的(かつ聴いている方の胸が潰れてしまいそう)な言葉であり、これはある特殊な
 環境下におかれ続けることにより、「思考」を深く探ることを余儀なくされた者が到達する感覚、
 思考、表現なのではないかと思うのです。
 
 三島の場合、それに天性のものが加わり相乗して「三島文学」を築き上げたのではないか、
 とそんな風に思います。

 いずれにせよそんな環境の中で、三島は非常に家族思いな人となったようですが、両親とも
 その事実には深く感謝するものの、その要因については「思いやりのある子だったから」としか
 思い至っていないようです。

 その根源は「孤独」だったのではないか。物心ついたときから彼を支配してきた(環境に起因する)
 「孤独」だとしか思えないのです。

 子供の頃の三島を父は、普通なら泣いたり、キャッキャと喜ぶような場面なのにまったく
 無表情で、能面のような顔をしていた、と回想し、「まったくその謎は解明できませんでした」
 と書いています。

 このあたりから既に三島のひとつのテーマであった「父親対息子」の萌芽がかいま見れるよう
 に思うのは穿ちすぎでしょうか。

 ユーモラスに綴ったり、毒を含んだ言い回しであったり、シニカルに顔をしかめた風に書き
 ながらもその行間には息子を失った哀しみが滲んでいます。
 肉親だからこそ知る三島のエピソードにも触れることができます。

 しかし最後まで、息子の「本当の聲」を聴くこと、「本当の姿」に触れることはなかったのでは
 ないか、とも思ってしまうのです。


伜・三島由紀夫」 平岡 梓 ★★★★
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
bar code.
search.
※ 忍者ブログ ※ [PR]
 ※
Writer 【もなか】  Powered by NinjaBlog