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本はごはん。
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7d20e4c0.png  警視庁捜査一課の刑事だった著者による、トリカブト殺人事件や
 お受験殺人事件、オウム真理教事件など、実際の事件のことはもちろん、
 日常捜査や庁内のことなども詳しく紹介されています。

 何度も表彰も受けられたようだし、文中からも優秀な刑事であったことが
 伺われ、本署を面白く読みながらも、刑事を退職された事を少し残念にも
 感じましたが、

 著者が退職するきっかけとなった親友達の相次ぐ死。
 そして著者も退職してから僅か3年、46歳の若さで亡くなってしまった
 という事実が、刑事という職業の過酷さを物語っているように思います。

 事件解決というプレッシャーのみならず、1日24時間1年365日、
 精神的拘束(いつ呼び出されるか判らないからいつもスーツ。スーパー
 へ行くのもスーツ)、それに耐えているのはひとえに、

 各個人個人の責任感とか熱意とか刑事としての使命感で、もしそれだけに頼っているのだとしたら、
 あまりにも酷ではないか(刑事の処遇について良く知らないので判らないのですが)。

 最近は医学部を出ても眼科や耳鼻科への志望者ばかりで、外科や産婦人科などへの希望はどんどん
 減っていると聞きます。

 刑事にしても医者にしても、個人の使命感だけに頼るのではなく、なんとかそれを支えるシステム
 を作れないもんでしょうか。

 文中にも時折登場する「刑事50訓」(巻末に全文掲載)、これには刑事だけではなく、一般にも
 通用するものが多く含まれていると思います。そしてこの50訓は、「いつのまにか存在している」。

 つまり、現場の名もないたくさんの刑事達が積み上げてきた集大成のようなものであって、
 当たり前の用に享受している日常は、このように決して表には出てこない人たちに支えられていて、
 それが綿々と受け継がれているということに日本も未だ捨てたもんじゃないのかも、と思いたい。


警視庁捜査一課刑事」 飯田 裕久 ★★★★
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93a5c4c8.png  映画の専門学校に通う主人公。
 ひょんなことから卒業制作に行方不明の自分の父親を探すドキュメンタリー映画
 を制作することになり、その一連とその後を描いています。

 最初はとても軽いノリで仲間とワイワイ始めたものの、次第に脱落する
 仲間がでてきたり、父親探しの意義を追求せざるを得なくなったり、
 そしてついには、映画の撮影よりも父親を捜すことそのこと自体に
 のめりこんでいきます。

 捜索が進むに連れおぼろげに浮く上がってくる父親の人物像は、

 どうも褒められた人ではなかったらしい、
 いや、小悪党らしい、
 いやいやかなり悪い奴のようだ、

 と、変化していくのですがそれでも父親の姿を追うのはやはり、自分のルーツに対する
 探求心なのかそれとも。

 期待以上におもしろかったです。なんというか、独特の文章センス。
 カッパのエピソードなんてもう秀逸。
      
 謎が解ける日はくるのでしょうか。
    
  
蒸発父さん―詐欺師のオヤジをさがしています」 岸川 真 ★★★
d87ca9dd.png  40歳を少し過ぎたばかりの妻が突然くも膜下出血で倒れ、亡くなるまでの
 10日間の、夫による記録。
 
 著者は紛争地帯を中心に取材を重ねているジャーナリストで、他人の死を
 取材している以上、身内の死から目を背けることはできない、という信念
 から妻の死と真正面から対峙しています。
 
 それは、他人の死と向き合うことよりもとても難しいことなのではないかと
 思います。その最たるものはまだ幼い(11歳?)の娘に対しても
 母親の絶望的な状況について正直に話していることからも見て取れます。
 
 娘に、奇跡を信じ願わせるという方法もあったかもしれません。
 自分の希望も込めて「お母さんはきっと良くなる」と言いたくもなった
 でしょう。

 でも著者はあえてその道を避け、妻の容態を正直に告げています。恐らく、著者の選択は
 娘にとって、そのときはとても辛いものであっただろうと思いますが、後々、誤魔化さずに
 きちんと母との最後の時間を過ごせるように真実を話してくれた父親に感謝するのではないかな。
 
 著者が今までに訪れた紛争地域の様子が各章に挟まれています。紛争地で目にしたさまざまな、
 そして多くの「死」と、今、著者が直面している現実。死とは、生とは何だろうと考えさせ
 られます。
 
 圧倒的な、抗いようのない哀しみに押しつぶされそうになりながら
 先々の金銭的不安など、著者の正直な心情も吐露されています。 
 
 この本を著すこと自体が少しでも著者の慰めになっていればいいと、心からそう思います。     
     
  
妻と最期の十日間」 桃井 和馬★★★★★
c5f46573.png  家族が事件の加害者になってしまい、引っ越しや転職、そして悪質な嫌がらせ
 などを受けなければならなくなってしまった、残された家族の悲劇を紹介
 しています。

 マスコミは関係者を追いかけ回した挙げ句に煽るような報道ばかりするし
 (それは被害者の関係者であっても同じく)、最近はネットに個人情報が
 流れてしまいますから、引っ越し転職そして子供が虐めにあうなど、
 確かにそれはもう「迫害」に近いのじゃないかとも思います。

 加害者の家族と言ったってたとえば兄弟や親の親戚までそんな目に遭わされ
 るのはどうかとも思う。のだけれど。

 この本は加害者家族の受けた被害面を主にクローズアップしているので、
 そこだけみていると「何もそこまで…」とは思うものの、少年犯罪を
 犯した子の親は、さすがに責任があるんじゃないかとも思うのだが。

 実際この本にも書かれているけれど、殺人を犯してしまった未成年の子供の父親、世間から
 叩かれまくって「辛い」。しかし被害者の名前を「憶えてない」。
 それは自分の子育てについて自省もしていなければ、被害者およびその遺族に対しても何にも
 考えてなかったってことじゃないんでしょうか。

 そういう親も実在する以上、ある程度「親」は叩かれる事も必要なんじゃないかと逆に
 思えてしまいます(あくまで「親」であって、親以外の関係者まで追い詰めるのはどうかと
 おもうけど)。

 また、ネットの暴走の危険性を指摘していますが、これはネットだけの問題ではなくて
 「暴走するネット」に負けじと「更に煽るマスコミ」という構図ができあがっているように
 感じます。

 ネットについてはこの一面だけで語る事は出来ず、むしろ「教育」の方が必要なのではないかと、
 それも「ネット特有」の教育ではなくて、「当たり前の教育」ができてないからこんな風に
 なるんじゃないかと思うのですが。ネットは別に特別な場所ではなくて、基本は日常生活の
 延長線上にあるものだと思うのです。

 しかし前述のように、被害者の名前すら覚えていない親もいるようですし、嫌がらせ電話を
 かけてくるのは「30~40代の男性が中心」だそうで、今の日本人の民度ってこんなもんなのかと、
 ちょっと暗澹たる気持ちになります。

 新書だから仕方ないのかもしれませんが、もうちょっと深掘りして欲しかった。
 加害者家族そのものの状況もそうだし、少し紹介されている日米の相違、日本の伝統的社会意識
 からのアプローチなど、そのあたりを総合的に深める事によって「あるべき姿」を模索するしか
 ないんじゃないでしょうか。

  
加害者家族」 鈴木 伸元 ★★★
8780160d.png  大学1年生の時に交通事故に遭い、記憶を失くしてしまった
 青年のドキュメンタリーです。

 記憶喪失、というのはドラマなどでよくありますが、記憶をなくすということは
 例えば自分が誰であるのかとか、今まで何をしてきたのかとか、家族とか、
 そいういった記憶が欠落する事であり、

 日常無意識にしていること、例えば字を読むとか、車やごはんを認識するなどの
 日常記憶については保持されているものだと、なんとなく思い込んでいたの
 ですが、

 この青年のケースはそういった基本的な知識さえもすべて、すっかり失って
 しまったようです
 (一概に記憶喪失と言ってもいろんなケースがあるんでしょう)。

 チョコレートの包装紙を外す、ということが判らない。
 このキラキラしたとてもキレイなものはなんだろう? と思えばそれは「ごはん」というものらしい。
 もちろん、字も読めない。お金の事も判らない。

 赤ん坊に戻ってしまったかのような、18なのに再度、生き直さなければならないようなこの状況は
 本人もちろん、家族も大変な思いをした事だと思います。そのなかで、大学に復学させてしまう
 母親はすごいとしか言いようがない。

 基本的に本人の回想でありますが、要所要所で母親の回想が挟まれており、その時々の彼を
 周りから見た状況が客観的に綴られているのが良いと思います。
 
 一方で、まあ記憶喪失というのはまだ解明されていないところが多いのだとは思うのですが、
 意識を取り戻した直後は自分の名前を漢字で書けていたのに、その後すべての記憶を
 なくしてしまったりしており、主治医などによる医学的見地からのコメントがあると
 (説明不能な部分は説明不能でいいので)もっと良かったのになぁと思います。
 
 非常に興味深いのは、この青年、芸術学部に所属しており絵が好きだったようですが、
 記憶をなくしてからも絵を描いており、それが非常に緻密です。
 こういう「好きな事」とか「得意な事」というのはやはり記憶に限定されないという
 ことなんですかね。

 そして最後の解説にある「愛は記憶に基づくのか」。
 非常に難しいテーマであります。
      
  
ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記」 坪倉 優介 ★★★★
68ca4b89.png  
吉原花魁日記 光明に芽ぐ日」の続編。前作は郭の中で綴られた日記でもあり、
 辛いとか悲しいなど著書の心情が中心に綴られていましたが、本作は吉原を
 脱出したあとに書かれた回顧録的なもので、朋輩の花魁の事や印象に残って
 いる客の様子などが中心に描かれています。

 当時の風俗や、風変わりな客の描写など興味深く読めるのですが、監獄の
 ような入院生活や、21歳でもう子供も望めぬまでに健康を害さなければ
 ならなかった環境で生きざるを得なかったことに胸が痛みます。

 彼女のように自由をもとめ声を挙げる花魁の増加や、社会運動の高まりに
 よって、名ばかりであった自由廃業が認められるようになっていくわけ
 ですが、ここには書かれていませんが、自由廃業後も結局社会の中で
 生きていく事が出来ず(実家に帰っても周りの眼や、経済的な面で居場所が
 なかったり)自ら郭に戻るしかなかった女性たちも少なからずいたようで、
 なんともやりきれない想いがします。

 著者は柳原白蓮を頼って吉原を脱出し、その後も彼女(や彼女の夫、友人たち)の世話になった
 ようですが、この柳原白蓮という人はどういう人なんだろう、あとで調べてみようと思っていた
 ところ、つけっぱなしにしていたTVで偶然「柳原白蓮特集」が始まったので見てみました。

 ものすごい美人ですね。はかなげでしかし意志のある眼が印象的です。彼女もまた信念の人
 だったのだなぁと思いました。彼女が書いた文章がこの本の冒頭に載っていますが、
 とても美しく強い日本語だとおもいます。


春駒日記 吉原花魁の日々」 森 光子 ★★★★
86bafa26.png  何かと言えば「ウザい」を連発する、我慢も努力も放棄して好き勝手に
 生きているようにも見える家出少女たちですが、彼女たちの取材を通して
 見えてくるのは、現代のひずみそのもの。

 児童施設に収容される過半数が親からの虐待。しかしその少女たちを現在の
 福祉では守る事ができず、結局彼女たちは虐待から逃れるために家出する。
 
 虐待から逃れるために家出。
 ↓
 生きていくために援交。
 ↓ 
 そんな状況をどうにかしようと法律改正、未成年の深夜のネットカフェ
 入店禁止など。
 ↓
 いままでのようにネットで客とコンタクトしにくくなり、闇の未成年デリヘルへ。

 なんとうい悪循環。そしてこれらには、ドラッグだの組織だの、または知的障害をかかえて
 いたり、様々な問題も付随しています。

 家庭で愛を知る事が出来ず、援交でその(愛の)面影を得ようとしている少女。
 いじめられたことを、自分が変わる事(しかしそれは悲しいかな自分の性を売ること)で何とか
 克服しようとしている少女。
 寂しいのに寂しいと言えず、信じたいのに信じられずに苦しんでいる少女。

 このひずみを是正するには時間がかかるだろうなぁ、と溜息もつきたくなりますが、それでも
 何もしなければ何も変わらず、更に自体は悪化していくばかりなんでしょう。


家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生」 鈴木 大介 ★★★★
a129224f.png  大正時代末期、吉原に売られた女性の日記です。
 究極のドキュメンタリーですね。

 家の貧しさ故に「お酒の相手をすればいいだけ」という言葉を信じ、吉原に
 売られてしまいます。そして吉原の、自分が従事しなければならない仕事の
 内容を知るごとに、激しい怒りと不安と哀しみと憎しみが彼女を襲います。

 とても素直に彼女の感情が綴られているように思います。初見せに上がる
 ことを恐怖しながらも、当日、支度を終えた自分に羨望の眼差しを送る
 先輩花魁たちに密やかに得意げな気持ちになったり、

 初めて客を取ったあとの絶望や、

 当初彼女の憎悪は周旋屋に向けられていたのですが、もしかしたら母は
 吉原がこういうところだと知っていて売ったのではないかということに
 思い至ってしまい、そう思う自分の心を責めたり、

 彼女の心の軌跡が丁寧に綴られていると思います。

 身売りの際の証文には彼女の借金総額しか記載されておらず、売られた後で借金の返済と必要経費
 を引かれたら手元には1割くらいしか残らない契約形態であることを知らされたり、実際には借金を
 重ねなければ暮らしていけない仕組みになっていたり、これが今からたった90年前のできごとだと
 いうことに驚きます。

 貧しさ故に売られたということや当時の時代背景からすると恐らく、著者は小学校しか出ていない
 のではないかと考えますが、それにしては文章がしっかりしているなぁというのも正直な感想です。

 吉原脱出後、周りの支援者たちが(日記に)手を入れた可能性も考えられますが、もしそうだと
 しても、逆境のなかで日記を書き続け、そして売られた女として吉原に染まってしまったり、
 ずるずると堕落することなく脱出という手段で自分の未来を切り開いた著者の強い意志と想いは、
 一切損なわれていないと思うのであります。


吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日」 森 光子 ★★★★
9784334035709.jpg  日本で10年ぶりに実施された宇宙飛行士採用試験の
 ドキュメンタリーです。

 最終試験に残った10人は、宇宙ステーションを模した施設、それも80平米
 程度の密室に、いきなり1週間放り込まれます。初めて逢った人たちと。

 そこで様々な課題をこなしていくのですが、24時間監視カメラにさらされ、
 一挙手一投足がすべて評価の対象となる、つまりは日常の生活態度も含めて
 試験されるプレッシャーはいかばかりなものか。

 そして試験はそのままアメリカのNASAに会場を移して続きますが、
 そのなかで誰もが失敗したり落ち込んだりしながら、それでも「宇宙」と
 いう夢を目指していきます。

 この本は宇宙を目指す人たちの人間ドラマであると同時に、近年、事業仕分けなどでやり玉に
 挙がりやすい「未来への投資」関連事業の在り方についても考えさせられます。

 そして「採用」という行為の在り方について。
 私がとある企業の採用責任者をしていた時、特に新卒対象者に口が酸っぱくなるほど言った
 のは「等身大(自然体)であれ」ということ。

 誰でも自分を良く見せたいという気持ちがあるし、そう思うのは無理もないことなのですが、
 自然体で話せるかどうか、自分の言葉で語れるかどうか。それがいちばん重要だと考えて
 いましたが、本書の中でもまったく同じことが語られています。

 つまり、選抜の種類、レベルなどが違っても、本質は一緒だということなんですね
 きっと。
 
 通常知ることのできない世界をかいま見せてくれたことは高く評価出来るのですが
 (NHKで放送したドキュメンタリー番組の書籍化なので)、書籍化に当たって最終候補者の
 背景など、もうちょっと深く突っ込んでもよかったのではないかしら。

 TV番組をそのまま書籍にしました、という感じで、素材が素材だけにちょっと勿体ないように
 思います。


ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験」 大鐘 良一 小原 健右 ★★★
610373.jpg  現役(?)無期懲役囚により「死刑絶対肯定論」です。

 BL級刑務所(凶悪犯かつ長期刑受刑者対象刑務所)にて服役中の著者が
 描き出す「受刑者の姿」それは「反省しているのはせいぜい1〜2%」で
 かつ「被害者のせいで自分はこんな目に遭っている」と考えている者が
 大多数、と。

 しかも「加害者の人権のインフレ」のため、受刑者は安穏と刑務所のなかで
 笑って暮らしている、と。

 ちょっとそれは本当なのかと思いたくもなるのだけれど、具体的記述が
 多く、こちらから想像する壁の中と、実際の壁の中とには相当なギャップが
 あるのだろうと認めざるを得ないのではないか。

 私は少なくとも死刑廃止論者ではないが、熱心な死刑存続論者というわけでもなく、ただ、
 「死刑」が存在することの意味、というものをきちんと考えずに世界的時流で廃止にして
 しまうのはどうかと思う程度なのだけれど、

 この著書には論理的に「死刑肯定」の理由を積み上げていて、死刑廃止論にいつも漂って
 いる(と感じてしまう)「感情論」や「自己満足的発想」が一切排されており、
 それなりに説得力がある。

 また、「死刑の賛否単体」ではなくて、(すべての課題に対して解決案が提示されている
 わけではないけれども)矯正教育のありかたや刑務所のシステムなど、包括的に考察され
 ているところが評価できると思います。

 結局のところ日本は、教化教育も刑罰も中途半端だってことですね。
 でもまず変わらないんだろうなあ。裁判員制度だって、言い訳のためにやってるように
 見えるのは、私だけでしょうか?

 この著者と同じく当事者でありながら対照的な立場である元刑務官の著した「死刑と無期懲役
 とセットで読むと面白いかと思います。


死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張」 美達 大和 ★★★★
NEOBK-281572.jpg  1992年、市川で起きた家族4人殺害事件のノンフィクションです。
 逮捕された当時19歳の男に、面会や手紙を通して迫っていきます。

 反省の色は全くなく限りなく他罰的で、自己中心的な様子を見ていると
 なんとも暗澹たる気持ちになってきます。

 ただ、何度か出てくる「彼の計り知れない心の闇」という表現にはちょっと
 疑問を感じたりします。4人も殺して反省するどころか平気でいられる
 からには、ものすごい心の闇があるのだろうと思いたくなる心理は
 判らないではないけれど、

 心の闇なんて誰だって持ってるものであって、この加害者の場合は
 心の闇ではなくて、なにか大切なものの「喪失」状態なのではないか。
 なんでもかんでも「心の闇」で片付けてしまうならそもそも取材を重ねる
 必要はないのではないか。

 併せて、前半部分はともかく、真ん中あたりから著者が前面に出てくるわ、繰り返される
 記述が多いわでちょっとどうなんでしょうか。
 事件と加害者を追ったノンフィクション、というよりも、著者自身のノンフィクション
 のように感じます。

 そんなこんなを考えると、一体著者はどこまで加害者の心に迫ることができたのかしらと
 思ってしまうのです。


19歳 一家四人惨殺犯の告白」 永瀬 隼介 ★★★
34441484.jpg  ボクサーたちのノンフィクションです。

 頂点まで上り詰めながらも目に障害を負ってしまい、それでもボクシングから
 離れられない元チャンピオン、自分の存在価値を認められない孤独な少年、
 友人を事故で死なせてしまった不良両年などがあたつまる小さなジム。

 そこで彼らはストイックというよりはむしろ愚直とも言えるような努力を
 重ねて頂点を目指していきます。

 「天才」とは何かと考えた時に、これは私の個人的な定義でありますが、
 ひとつは「努力を努力と思わない」こと。これは言い換えれば、
 他人から見れば「努力」としか見えないことも、本人にとっては「楽しい」と
 思えるほど「夢中になれることを見つけられる」ということでもあります。

 そしてもうひとつは「運」ではないかと。

 「運」以前に、努力を努力と思わないほど夢中になれることに出会えること自体が、かなり
 難しいことじゃないかと思います。

 彼らをボクシングへと導いたのは「孤独」であったと思いますが、孤独と真っ正面から対峙した
 ことが彼らを「努力を努力と思わない」までにボクシングに集中させたのではないかと思います。

 この著者の作品は初めて読みましたが、ちょっと説明過多かな。正直なところはもうすこし
 「余白」もしくは「行間」が欲しいと思いますが、なかなか良い作品だと思います。


魂の箱」 平山 譲 ★★★★
202399b.jpg  そういえば、うつ病を患っている人の手記だとかブログだとかはよく見る
 けれど、躁病を患っている人の手記はあまり見たことがないなぁと。

 で、この本ですが。
 躁病を患い、投薬治療を続けているものの数年おきに発症してしまう
 著者の躁病体験記、とでもいうのでしょうか。

 躁病を発病すると、その人は王様のような万能感につつまれるという
 ことは知識として知ってはいましたが、では具体的にどんな行動を
 取るのか、ということがここにはどっさり綴られています。

 これを読んでいると、躁病の発病した状況は、薬物中毒患者と似て
 るんじゃないか、という気もするんですが、薬物も躁病の経験もない
 ので私には断言できません。

 お金がなくても次々と買い物しまくる(100万円単位)とか、ヤクザにも平気で喧嘩売るとか、
 しかもそれは海外で、ついには刑務所まで経験するところまで突っ走るとは、恐ろしや躁病。

 しかし周りの人も困りますよね…いや本人がいちばん大変だとは思うんですけど。どうも著者は
 発病するとタイに行きたくなるように見受けますが、確かにあのくらいおおらかな国であれば、
 ちょっとヘンな外国人として受け入れてくれるのかもしれません。少なくともこのぎすぎすした
 日本よりも。

 しかし著者の病状が快復するのはいつも日本の医療機関を受診してからのようですので、
 精神医療についてはやはり日本が一歩先を歩いているのでしょうか。

 正直に書きますと、結局はいろんな形で表出する万能感、思考の拡散、妄想などのオンパレード
 なので、ちょっと飽きてくる感も否めませんが、なかなか貴重な書だと思います。


躁病見聞録―この世のすべては私のもの」 加藤 達夫 ★★★
1102917655.jpg  どこからか手に入れた捜査報告書と、捜査関係者および犯人ではないかと
 疑われながら自殺してしまった人の周辺に取材を重ねたドキュメンタリー。

 これを読む限り、この該当者が犯人なのかなぁとも思いますが、そして
 グリコは果たして裏取引に応じたのか、いずれにしても重要な鍵を握ると
 思われる人物が自殺してしまっている限り、これ以上明らかになることはな
 いのでしょうか。

 「捕まったら(その捕まった仲間は)死ぬことになっている」という
 「かい人21面相」の言葉を、自ら実行して自殺したのだとしたら、
 
 そして少なくともグリコ・森永事件は、これを読んでも単独犯の犯行
 とは思えず、とすれば、事件に係わった人間が多ければ多いほど、
 誰かから「漏れる」リスクは格段に上がるはずなのに、いまだに共犯者が
 一人も出てこないのは、この結束力はどこからくるのだろうか。

 そしてそして。
 日本の警察の組織力って、この程度のものなんですかね。つまらない縄張り意識と保秘の名目の
 元の情報ブロック。ミスにミスを重ね失態がマスコミに漏れれば弱い立場の者をスケープゴート
 に仕立て上げ自殺にまで追い込む。

 ひとりひとりは頑張っているのでしょうけれど、組織力としてどうなのか、と。

 よく取材しているとは思いますが致命的に文章が。とてもプロの文章とは思えない。
 日本語もところどころ引っかかる。

 何よりも、取材を重ねてきた著者にとっては自明のことかもしれないが、初めて読む読者に
 読ませるための文章になってない。特にプロローグの構成、凝ったつもりかもしれないが
 読みにくいだけ。そしてそのあとの構成もなんだわかりにくい。ちょっとびっくりです。

 知られていなかった事実を取材を重ねて世に出したという点では一読の価値がありますが、
 ドキュメンタリーの質としてはちょっと疑問。勿体ないなぁ。


グリコ・森永事件「最終報告」真犯人」 森下 香枝 ★★★
129752.jpg  数年前、40代も後半の男が、10歳の女の子を誘拐して沖縄で捕まった
 事件ですが、この事件を記憶していたのは当時の報道で、

 「主導していたのは10歳の女の子の方だったらしい」

 とあったのが強い印象を残しているからだと思います。

 この事件について、当時10歳の女の子を除き(さすがに会えなかった
 らしい)、加害者当人やその家族に対して綿密な取材を重ねて書き上げ
 られています。

 まず気になるのはこの加害者(である40代後半の男性)、著者の取材申し込み
 を受け入れ、ものすごい量の手紙を送ってくる自己顕示欲の強さ。

 そして彼の主張は、いみじくも彼が刑務所内で得た評価「自分を正当化しすぎている」
 「まるでヒーロー気取り」以外の何物でもないように感じます。

 10歳の少女を救いたかったと言う気持ちが全くなかったわけではないでしょうが、
 それよりも自分が救われたかったということとそして何より、性欲に負けただけというか、
 彼の性癖が少なからず影響しているように思います。

 少女の家族もみんな少しずつ歪んでいて、そんな中で少女が生きて行くために彼女が学んだ
 処世術はとても悲しいものであるとも思います。

 この著者の作品は始めて読みましたが、本作はとにかく構成が素晴らしい。


帰りたくない―少女沖縄連れ去り事件」 河合 香織 ★★★★
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