bookshelf 『ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記』 坪倉優介 忍者ブログ
本はごはん。
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8780160d.png  大学1年生の時に交通事故に遭い、記憶を失くしてしまった
 青年のドキュメンタリーです。

 記憶喪失、というのはドラマなどでよくありますが、記憶をなくすということは
 例えば自分が誰であるのかとか、今まで何をしてきたのかとか、家族とか、
 そいういった記憶が欠落する事であり、

 日常無意識にしていること、例えば字を読むとか、車やごはんを認識するなどの
 日常記憶については保持されているものだと、なんとなく思い込んでいたの
 ですが、

 この青年のケースはそういった基本的な知識さえもすべて、すっかり失って
 しまったようです
 (一概に記憶喪失と言ってもいろんなケースがあるんでしょう)。

 チョコレートの包装紙を外す、ということが判らない。
 このキラキラしたとてもキレイなものはなんだろう? と思えばそれは「ごはん」というものらしい。
 もちろん、字も読めない。お金の事も判らない。

 赤ん坊に戻ってしまったかのような、18なのに再度、生き直さなければならないようなこの状況は
 本人もちろん、家族も大変な思いをした事だと思います。そのなかで、大学に復学させてしまう
 母親はすごいとしか言いようがない。

 基本的に本人の回想でありますが、要所要所で母親の回想が挟まれており、その時々の彼を
 周りから見た状況が客観的に綴られているのが良いと思います。
 
 一方で、まあ記憶喪失というのはまだ解明されていないところが多いのだとは思うのですが、
 意識を取り戻した直後は自分の名前を漢字で書けていたのに、その後すべての記憶を
 なくしてしまったりしており、主治医などによる医学的見地からのコメントがあると
 (説明不能な部分は説明不能でいいので)もっと良かったのになぁと思います。
 
 非常に興味深いのは、この青年、芸術学部に所属しており絵が好きだったようですが、
 記憶をなくしてからも絵を描いており、それが非常に緻密です。
 こういう「好きな事」とか「得意な事」というのはやはり記憶に限定されないという
 ことなんですかね。

 そして最後の解説にある「愛は記憶に基づくのか」。
 非常に難しいテーマであります。
      
  
ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記」 坪倉 優介 ★★★★
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