bookshelf 『ハーモニー』 伊藤計劃 忍者ブログ
本はごはん。
[495]  [494]  [493]  [492]  [491]  [490]  [489]  [488]  [487]  [486]  [485
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

d647b42e.png  「虐殺器官」と緩く繋がっているとも言える本作。

 虐殺器官より更に未来。現在のAR(拡張現実)やウエアラブルコンピュータ、
 または最先端医療などが更に発展していった先には、このような未来も
 あり得るのかもしれないと思わせる見事な筆力。

 その未来は、健康体を維持することが高い価値を占めている社会。
 コンピューターで自分の健康状態もリアルタイムにチェックされ、
 自分の「社会的評価を含めた個人情報」が見事に開示された社会。
      
 そんな社会は息苦しいと、抵抗を示す少女たち。
 私の肉体は私の物だと叫ぶ少女たち。

 「虐殺器官」に私は、

 > 言葉と肉。罪と赦し。生と死。遺伝子と魂。手応えのない生に、ありふれた死。
 > 一人歩きをはじめるシステム。ぶつかり合う正義。
 
 と書いたのですが、非常に似たテーマを扱っているように思います。
 というか、同じテーマを反対側から表現しているのかもしれない。

 「虐殺器官」は「(誰かを)守るために(誰かを)殺す」
 「ハーモニー」は「(自分を)守るために(自分を)殺す」

 向きは反対だけれども両者は基本的に同じなんじゃないだろうか。
 そしてどちらの物語でも、大多数のひとたちは現在の自分の環境に甘んじて「幸せ」を享受する。
 その幸せの裏にある「犠牲」は見なかった事にする。

 そもそも「幸せ」とは何か。
 「幸せじゃない状態」があるから「幸せ」もあるのかもしれない。
 「不幸」もないかわりに「幸せ」もない世界。それを「幸せ」と定義する事だってできる。
 つまり「絶対的な幸福」というものは存在せず、すべては主観の問題なのに、一人歩きを始めた
 システムがそれを決めてしまう。それにすべてを委ねていつの間にか自分で考える事を放棄して
 しまう人々。その究極のかたち。

 「虐殺器官」で非常に印象的だったセリフ、

 「肉体がDNAの支配から自由ではいられないのに、なぜ心はDNAから自由だなんて
  信じられるんだ?(要約)」

 長い年月をかけて肉体を環境に適応させ、そしてある程度の医療技術も進歩した現在、
 DNA が本格的に心に介入する段階に入ったのかもしれないとすれば、このあと人間は
 どのように変遷していくのであろうか。

 更に。
 
 池澤夏樹「キップをなくして」では「死」について、
 
 「人の心は、たくさんのちいさな魂の素みたいなものが集まってできていて、
  学級会のようなものを開いて、ひとの行動を決めている。死ぬとそのちいさな魂の素
  みたいなものはばらばらになって、そのひとの人格(魂)は薄れていく(要約)」
 
 浅倉卓弥「君の名残を」では武蔵の死の場面で、
 
 「武蔵はすでに自分の形すらなくしていた。己の名さえ忘れたそれは輪郭を失い周囲に溶けて
  いく。そして傍らの同じ何かと彼我の境なく交じり合い、仄白い川に同化した(要約)」
 
 と描かれています。

 仮に「死」というものを上記のようなものだと定義した場合、この「ハーモニー」の、
 「自意識を失うこと(=魂を失う事)」によって完全に調和された世界に生きるひとたちは、
 果たして生きていると言うことができるのでしょうか。
 
 もしくは完全なるハーモニーは死によってしかもたらされない、ということなのでしょうか。

  
ハーモニー」 伊藤 計劃 ★★★★★
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
bar code.
search.
※ 忍者ブログ ※ [PR]
 ※
Writer 【もなか】  Powered by NinjaBlog