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本はごはん。
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06276417.jpg  自薦短編集です。
 所々に著者特有の「死」とか「孤独」などが顔を出すんですが、いかんせん
 短編集だからか、ミステリのほうが強く前面に出てきますね。

 これはこの著者の全作品にわたって言えることだと思いますが、
 「あちらがわ」と「こちらがわ」がとてもシームレスで、
 それはとても甘く、危険でしかしとても心地よい酩酊にも似て、

 本能的な恐怖と同時に全てを委ねてしまいたくなるような
 優しい誘惑に満ちているように感じます。

 「キシマ先生の静かな生活」の最後から4行目。
 その意味をもう少し考えてみます。


僕は秋子に借りがある-森博嗣自選短編集-」 森 博嗣 ★★★★
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33724_170.jpg  本論以前に、語り口とか論旨の展開の仕方とかで誤解というか、
 どちらかというとマイナスのイメージを与えかねないような気がします。
 文体も論旨もかなり硬派で、「判りやすい」=「良い本」のような傾向が
 あるなかでは敬遠されそうな。

 ドキュメンタリーは事実の客観的記録なんかじゃない、という当たり前の
 ことを言っています。そこには当然撮影する側、編集する側がどう見せたい
 かという意図が完全に入っている、と。不党不遍の表現なんてありはしない、
 と。

 この主張自体が、読み手に不快感をももたらすのではないか。それぞれは
 恐らく「客観的記録」を見て「自覚的」に判断しているという意識を持って
 いるのであろうから。

 しかし実はそれは「客観的記録」なんかじゃなくて、極端な話、「こう思わせたい」
 「こう感じさせたい」という作り手の意図にまんまと乗ってるんですよ、と言われてるも
 同然。しかしそれが真実。

 例えば報道だって、最近流行りの「事業仕分け」、蓮舫議員と国立女性教育会館の女性館長
 との「バトル」といって繰り返し報道されるのは、「私の話も聴いて下さいよ!」と
 女性館長が叫ぶところばかり。
 
 実はこのあと、この女性館長が延々と「総論」(つまりは各プロジェクトの目的やその評価
 ではなく、女性教育の必要性ばかり)延々と持論を展開した部分については殆ど報道されて
 いません。

 誰も女性教育の必要性を否定しているわけではないと思うんですが。どのくらいの予算を
 かけて、何を目標に据えて事業を展開するかということを議論する場に於いて、
 「今なぜ女性教育が必要なのか」という議論を持ち出すことは、はっきり言って的外れです。

 しかしそこは報道されず、例の「私にも発言させて下さい!!」の部分だけ繰り返し繰り返し
 報道され、蓮舫議員の非礼ぶりばかりが強調されているようにも感じられるのです。

 つまり報道ひとつとったって、どこを切り取ってメディアに載せるかによって与える情報、
 印象は大きく変わってくるものであり、ドキュメンタリーであれば何を言わんやです。
 
 今のTVが国民総白痴化を目指しているようにしか思えないなか、つまり著者の言うように
 世の中が「白か黒か」「善か悪か」の単純二元論になりつつあるなかで、その
 「白と黒の狭間にあるもの」を表現するのがドキュメンタリーだと、そうあって欲しい
 と思います。


それでもドキュメンタリーは嘘をつく」 森 達也 ★★★
00431024.jpg  常々、小説家という職業の方々は同業他者の作品をどのように読んで
 いるものであろうか、と思っていたので手に取ってみました。

 同じ意味を持つ言葉の中でも、何故この言葉を選んだのだろうとか、
 漢字で表す場合とひらがなで表す場合の違い、
 または同じ「きく」ということでも「聴く」または「聞く」と表す場合の
 違い、そして、
 

 小説を読んでいて感じる、
 「ああこの説明過多は、作家は読者に誤解(誤読?)されることを
  恐れているのだな」とか
 「ああこの作家は、『ついてこれるやつだけついて来い!』という
  スタンスだな」とか

 「ああこの作家(作品)は、どちらを突き詰めることも出来ず結局双方から逃げてしまったな」とか
 「ああこの著者は読者の読解力をまったく信じていないのだな」など、

 読みながら頭の中で自動処理していた事々を、夏目漱石などの名作を例にきちんと整理して
 くれています。

 そういう意味では「新しい発見」はあまり無かったんですが、

 文章というものは作家の手を離れた時から一人歩きをはじめ、読者は自分の読みたいようにしか
 読まないし、自分の理解の範囲でしか理解できないということを、

 「読者は読みながら小説を書く。読者の数だけ小説は書かれる」

 と表現していて、なるほどこれは上手い表現(言い換え)だなぁと感心しました。

 太宰の「人間失格」については説明がまどろっこしい(一般的には丁寧と言う)けど正鵠。

 樋口一葉の「たけくらべ」に付されている付記に驚いた。
 「雅俗折衷体は樋口一葉にしか書けない」という文章を文字通りに受け止めるひとがいるのか。
 それは先達に対する尊敬の念と「たけくらべ」という作品に対する賞賛の表現であることすら
 (いくら抜粋とはいえ)理解できないほど、国語力は落ちているのか。

 林芙美子の「放浪記」に対する著者のひっかかりが、私には全然理解できない。

 何故かと考えてみれば作家というイキモノは文体を「計算しているのか」。
 著者は「文体には作家の明確な意図がある」と考えているように見受けるのだけれど、

 太宰の読点の打ち方も樋口一葉の動詞ではじまり台詞で終わる文章も、もともと作家の
 中にある「リズム」みたいなものが、身体から渾々と湧き出てくる抑えがたい鼓動みたいな
 ものがあって、

 推敲するということはそのリズムを更に尖らせたり凸凹をつけたりして磨き上げること、
 つまりは最も自分にぴったりくるリズムに仕上げることなんじゃないかと思うのだけれど、
 それって「明確に意図」していて、「明快に言語化」できるとは限らないんじゃないかしら。

 と、思ったりするのだけど。


小説の読み書き」 佐藤 正午 ★★★
4c49d44cc5a38a621d69bfe3aa9b37cab8a5cc91_1.jpg  「本当の贅沢とは何か」を追求した本です。

 富(Wealth)と贅沢(Luxe)の違い、ヨーロッパの歴史の変遷と
 価値観のシフトなど、「贅沢」の背景にあるものや、贅沢の「変遷」も
 きちんと整理されています。

 中世ヨーロッパ、禁欲生活の最たる場所であった修道院から、贅沢の極み
 である高級ワインが生み出されたとか、

 シャネルの原点は、彼女が多感な時期を過ごした修道院、それも一切の
 装飾を廃した自然かつシンプルな環境と生活態度であったとか、

 いずれも、「贅沢」からほど遠いところから「最高級の贅沢な品」が
 生み出されているというのが面白い。

 著者の言う本当の贅沢とは「閑暇」で、王侯貴族時代にいちばんさげすまされていた「労働」が
 産業構造の大変化とともにいちばん尊いファクターとされるようになって、本来の「贅沢」は
 我々の前から姿を消してしまった(著者はスーツを「贅沢の葬送のための喪服」と表現する)
 ということのようだけれど、

 大量消費時代やバブル経済も経験し、それなりにブランドだのラグジュアリーだのとひととおり
 の経験を経て、「本当の贅沢」に気づき始めている人は多いんじゃないだろうか。

 しかし本書の中で白州正子が言うように、「贅沢」と意識せずに(精神的に)贅沢な生活を
 することがいちばん贅沢なんじゃないかな、と思う。


贅沢の条件」 山田 登世子 ★★★
288002-2.gif  なかなか面白い主張でありました。

 「アラカン」って何だそりゃ? とおもったら、「アラウンド還暦」だ
 そうですよ。
 ここまでくるともうどうなんだろうと思いますが、まあそれは良いとして。

 冒頭では世のおばさま方がなぜ韓流だの、なんちゃら王子だのに熱狂するのか、
 ということについて著者の考えが展開されていますが、なかなか面白い。
 なるほどねぇ、とも思う。

 社会(特に職場)で「支配ー被支配関係」に置かれている男性は、その関係性
 を家庭にも持ち込んで、会社では被支配者だけれども、家庭では支配者になろう
 とするというのは、DVが連鎖してしまうのと同様な理論なのかもしれません。

 そして家庭で長いこと「被支配」層に置かれていた女性が、韓流だの何ちゃら王子だのに
 熱狂するのも、無意識のうちに自分が「支配層」のポジションに立つことでもあるらしい。
 これも連鎖か。

 著者の言うように「巧妙に隠されてはいるけれど、そこ(韓流とか王子に熱狂するおばちゃん
 たち)には【性欲】も含まれている」のだとすれば、結局は親父が若い愛人を欲しがるのと
 同じように、おばちゃんも見目麗しくて何でも言うことを聴いてくれる、つまりは支配できる
 若いツバメが欲しいという、身も蓋もない、しかしそれなりに説得力のある結論ですね。

 しかし中盤から展開されているの著者のカウンセリングを通しての「症例」を見ると、
 中高年男性のコミュニケーションスキルの低さというか、他人に対する共感能力の著しい欠乏に、
 ため息が出てきます。

 まあ著者はカウンセラーですから、幸せな人はカウンセリングなんかに行かないし、そういう
 意味では不幸の実例ばかり積み重なってしまうんでしょうけれど、それにしても酷い。

 著者は、「女性が男性化し男性が女性化」してきている現代の兆候は良い傾向で、男性はもっと
 女性化すべきだという。

 しかし。男性化だとか女性化だとか以前に、弱い者に対して暴力を振るうのはもってのほかで
 あるとか、他社への共感だとか想像力だとか、そもそも人として大切なでも当たり前のことを
 ちゃんと教育できる社会であるべきではないかと思うのだけれど。
 

選ばれる男たち―女たちの夢のゆくえ」 信田 さよ子 ★★★
4166605828.jpg  読み終わると溜息が出ますよ。

 この国は年間2,000億円を超える税金を「犯罪者」のためにつぎ込み、「更正」
 のためのプログラムを実施していますが、再犯率は50%を超えるとか。

 一方で、裁判の時は「一生をかけて償います」と言っておきながら、裁判が
 終われば賠償金どころか治療費さえ支払わない加害者も多いとか。

 確かに現状の「更正システム」は、性善説に基づいた「犯罪者を真人間に変え
 られる」という思想であり、たしかにそういうケースもあるかも知れませんが
 一方、これはかなりおこがましい考え方でもあるように思うし、現状、
 個人的に見聞きする範囲ではやはりどうしても被害者の人権より加害者の
 人権の方に重きを置かれているようにしか思えない事象が多すぎるように思うのです。

 著者の訴える「人権論」はちょっと過激なところもありますが、「賠償モデルへの転換」とか
 「付帯私訴(刑事裁判と民事賠償審理を同時に行うこと)」の導入など、真剣に検討すべき提案も
 多いように思います。

 歴史的な背景、譜の部分も含めたアメリカの現状なども踏まえた上での著者の主張は明快で、
 一読の価値はあると思います。


 「この国が忘れていた正義」 中嶋 博行 ★★★★
02963708.jpg<br />  もう20年前に書かれた物ですが、何で当時気がつかなかったんだろう?
 ああもっと早く読むべきだった(自分が若かったウチに)と悔やまれます。

 しかしほんと天才ですこのひとは。噛んで含めるようにやさしく丁寧に
 (そのあたりがちょっとまわりくどく感じるところでもありますが)、
 しかし突っ込みようのない論理展開。美しいとしか言いようがない。

 「シェルブールの雨傘」と「風と共に去りぬ」の解説なんてほんと秀逸です。
 とくに「風と共に去りぬ」は大好きな映画なのですが、この解説がいちばん
 しっくりきます。

 タイトルは「貞女への道」ですが、「恋」、つまりは人間としての成長論ですね。
 「そうそう、そうなのよ!」と読みながら思い、そしてそれをこれほど美しく言語展開できなかった
 自分の凡庸さを思い知り、激しく落ち込むのでありました。


 「貞女への道」 橋本 治 ★★★★★
21g7RsOgKlL.jpg<br />  読んでみたら実用書でした。いや実用書だろうとは思ったけど、論文とか
 レポートを書くためには、どのように本を読むべきかと言うことが中心。
 なので、文学にはあんまり触れられていません。

 いちばん期待していた本との出会い方とか探し方は、既に自分が実践して
 いることばかりで、新しいアプローチ方法は発見できませんでした。

 読書の段階を、「学校読書」→「若年読書」→「青年読書」→「成熟読書」と
 区分けするのは、なるほどなぁと思いました。
 少し前にここで取りあげた「カラフル」なんて、若年読書で読むべきだと
 思います。
 そして(「カラフル」も含め)ほんとに良い作品は、成熟読書の段階で新たな発見を
 もたらしてくれる物だと思うのです。

 しかしこの本は『論文を書くための読書術』なら異議はないですが、
 『打たれ強くなるための読書術』という内容ではないように思います。

 まあ、本を読む意味や目的は人それぞれでしょうし、同じ人でも時期によって変わるでしょうし、
 それで良いと思うのですが。
 
 
 「打たれ強くなるための読書術」 東郷 雄二 ★★

41XJ7XCwPgL._AA240_.jpg<br />  中村うさぎという作家は、ファンタジー小説は読んでいませんで
 したが、買い物依存で出てきた頃はすこし読んでいました。その後
 ホスト→整形→風俗と変遷していく毎に、少しずつなんとなく
 読まなくなっていたのですが。

 この本は女性がおこした、または巻き込まれた事件について、
 彼女たちの心理を著者が推測した「仮説集」で、 
 ノンフィクション、ルポルタージュとは言えません。

 それぞれの仮説はそれなりに説得力があり、そう感じるということは
 自分にも思い当たる節があると言うことを認めている以外の何物でも
 ないという痛い事実を認識せざるを得ないのですが。

 「女という病」というタイトルですが、結局のところ人間は性別にかかわらず
 「承認欲求」を満たすために生きているのであり、女性の特性としてその
 「承認欲求」は「愛される」という形(方法)で満たそう、満たされるべきだとする傾向が高く
 (または無意識のうちにそうすり込まれているケースが多く)、
 「承認欲求」が「愛される」という形で満たされない、または致命的にその道が断たれると、
 症状として「女という病」が発症するのではないかと思います。

 思っていた以上に面白い本でしたが、連載していた当時のページ数の問題からか、
 各事件とも致命的に短い。もう一歩掘り下げていただきたいところ。
 

 「女という病」 中村 うさぎ ★★★

16771708.jpg  こと「評論」に関しては、全くこの人の右に出る人はいないと思います。
 独自の切り口。高い分析力。明快な論点。判りやすい表現。
 「妊娠小説」しかり、「紅一点論」しかり、「読者は踊る」しかり。

 この「文壇アイドル論」は、80年代くらいの文芸作家がテーマなので、ああ、
 この本を読んだ頃は●●だったなぁとか、懐かしさも味わえます。

 そしてそして「なんとなくクリスタル」がきっちり解説されているのを
 みると、相変わらずこの本は誤解されているのだなぁと思いました。


 「文壇アイドル論」 斎藤 美奈子 ★★★★★
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