bookshelf 『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』 森達也 忍者ブログ
本はごはん。
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33724_170.jpg  本論以前に、語り口とか論旨の展開の仕方とかで誤解というか、
 どちらかというとマイナスのイメージを与えかねないような気がします。
 文体も論旨もかなり硬派で、「判りやすい」=「良い本」のような傾向が
 あるなかでは敬遠されそうな。

 ドキュメンタリーは事実の客観的記録なんかじゃない、という当たり前の
 ことを言っています。そこには当然撮影する側、編集する側がどう見せたい
 かという意図が完全に入っている、と。不党不遍の表現なんてありはしない、
 と。

 この主張自体が、読み手に不快感をももたらすのではないか。それぞれは
 恐らく「客観的記録」を見て「自覚的」に判断しているという意識を持って
 いるのであろうから。

 しかし実はそれは「客観的記録」なんかじゃなくて、極端な話、「こう思わせたい」
 「こう感じさせたい」という作り手の意図にまんまと乗ってるんですよ、と言われてるも
 同然。しかしそれが真実。

 例えば報道だって、最近流行りの「事業仕分け」、蓮舫議員と国立女性教育会館の女性館長
 との「バトル」といって繰り返し報道されるのは、「私の話も聴いて下さいよ!」と
 女性館長が叫ぶところばかり。
 
 実はこのあと、この女性館長が延々と「総論」(つまりは各プロジェクトの目的やその評価
 ではなく、女性教育の必要性ばかり)延々と持論を展開した部分については殆ど報道されて
 いません。

 誰も女性教育の必要性を否定しているわけではないと思うんですが。どのくらいの予算を
 かけて、何を目標に据えて事業を展開するかということを議論する場に於いて、
 「今なぜ女性教育が必要なのか」という議論を持ち出すことは、はっきり言って的外れです。

 しかしそこは報道されず、例の「私にも発言させて下さい!!」の部分だけ繰り返し繰り返し
 報道され、蓮舫議員の非礼ぶりばかりが強調されているようにも感じられるのです。

 つまり報道ひとつとったって、どこを切り取ってメディアに載せるかによって与える情報、
 印象は大きく変わってくるものであり、ドキュメンタリーであれば何を言わんやです。
 
 今のTVが国民総白痴化を目指しているようにしか思えないなか、つまり著者の言うように
 世の中が「白か黒か」「善か悪か」の単純二元論になりつつあるなかで、その
 「白と黒の狭間にあるもの」を表現するのがドキュメンタリーだと、そうあって欲しい
 と思います。


それでもドキュメンタリーは嘘をつく」 森 達也 ★★★
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