本はごはん。
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出たのを機に読んでみました。
障害者の犯罪と性に対して、マスコミは長い間タブー視してきており、
それを私に顕著に印象づけたのは「レッサーパンダ事件」でありました。
犯人が捕まってからぴたりと報道が止まってしまったので。
「自閉詳裁判」を読まなければ、犯人が障害者であったこと自体、
未だに知らなかったかもしれません。
この著書を読むと、刑務所が障害者のひとつの受け入れ施設になっている
ことが「現実」であることがよく判ります。罪を犯し、福祉の手当ても
受けられず、刑務所しか居場所がなくなってしまったひとたち。
この本の冒頭に、
「俺たち障害者は生まれたときから罰を受けているようなものなんだから罰を受ける場所は
どこだって良いんだ」という刑務所の中の障害者の言葉がありますが、この切ない言葉に
彼らの寄る辺なさがにじみ出ているように思います。
また、聴覚障害者との意思疎通の難しさ、などもよく表現されています。
手話はひとつではないのだそうです。
そして聾唖者だけで組織されている暴力団があったり、聾唖者が聾唖者をターゲットに犯罪を
犯していたり、やはり被害者にも加害者にもなってしまいやすいのが障害者を取り巻く現実
なのかもしれません。
いままでマスコミをはじめみんなで「なかったこと」「みなかったこと」にしてきた問題を
テーブルの上に上げたことに大きな意味があると思います。著者は具体的施策にも奔走して
いるようですが、得てしてこの手の問題は「総論賛成、各論反対」になりやすい要素を
はらんでいると思うので、ちゃんと考えなければならない問題だと思います。
「累犯障害者」 山本 譲司 ★★★★
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彼女の生涯を描いた、確か大和和紀のコミックだったと思う。
今でもストーリィはもちろん、場面場面の画まではっきりと覚えている
くらいだから、当時の私にとても強い印象を与えたのだと思う。
基本的に恋愛ストーリィで(少女向けコミックだからそりゃそうなんで
しょう)、婚家に嫁として認めてもらえず苦労もするんだけど、
社交界の花形になっていくというある種のシンデレラストーリィで、
しかし伯爵が死んでしまった後、一人で領地を切り盛りする自立した女性へ
成長するという、まあ女性のある種の理想の生き方、みたいな描かれ方で
あったように思う。
この本では、「イメージ」と「(判明している)事実」の違いがきちんと指摘されています。
確かにこの時代(明治)、異人との恋愛というのはちょっと考えにくいかも。
しかしそれでも、伯爵に大事にされてそれなりに幸せな時期が確かにあったように思う。
伯爵の心の内に住む人が別に居ようと。
思うに彼女のいちばんの苦難は、子供たちとの不仲、子供たちとの間にできた溝だったんじゃ
ないかと思う。確かに彼女の子供たちは、文学者として立ったり、現EU構想の基となる
理念を提唱したひとであったりみんな優秀なんだけど、
母としての彼女は幸せだったのかどうか。
そして子供たちは子供たちで、それぞれ辛酸をなめる。
しかし自分や家族、家柄に傷がつきそうなことは一切書き残さず(伯爵が数十年にわたって
書き続けた日記も、彼が死んでわずか数時間のうちに焼き捨てている)、文字通り地獄まで
持って行くかのような覚悟はさすが明治女の気質なのか、薄っぺらい感情をブログに書き殴って
ぺらぺらな自尊心を何とか保っている自分の精神的未熟さを改めて思い知る。
「ミツコと七人の子供たち」 シュミット村木 眞寿美 ★★★
切り離されてしまった、ということを良く聴きます。
かれこれ30年くらい前、地方に住む祖父母は自宅で死を迎えましたが、
今は殆どの人が病院で死を迎えるようだし私もきっとそうなんでしょう。
しかしまあ、まだ平均寿命まで結構あることもあって、自分の死とか
自分のお葬式なんてまったく想像が付きません。
そんなにお葬式にもたくさん出席しているわけでもないし、
「どんな葬式がしたいか」と言われても、まったく…。
この本には、いろんな人のいろんなお葬式スタイルが紹介されているので、
そのなかで「ああこれはちょっと自分には合わないなぁ」とか
「こんな感じなのがいいなぁ」とか、様々なケースを参考にしながら組み立てるのがいいのかも
しれません。
しかし、(生前葬を除き)自分の葬式は自分で仕切れませんからねぇ。
生前契約しておいたとしても、「ああ、そこはちょっとそうじゃなくて…」なんて
だめ出ししたり、修正したりできるわけじゃないですし。
そもそもお葬式というのは、残された人のためにあるものだと思っているので、派手派手しすぎない
範囲で好きにやってくれればいいよと思っています。(本音はお葬式やんなくていいよと思っている
けど、そういうわけにもいかないかもしれないから)。
ああ希望を言うとすると、白い菊じゃなくて、白いバラかもしくはカサブランカ(どちらか安い方
で良いです)オンリーがいいです。
あと、愛用のアクセサリーはしていきたいんですが、最近釜が傷むとかで、棺のなかにあんまり
いろいろ入れさせてもらえないって聴いたなぁ。
それにしても。
思った以上にエンバーミングは流行っている(?)というか、利用する人が多いみたいだ、
と思いました。
しかしやっぱりピンとこないなぁ。
「死出の門松―こんな葬式がしたかった 」 高橋 繁行 ★★★
思うので、そちらのカテゴリーに入れておきます。
地下鉄サリン事件の実行犯のひとり、元外科医の林郁夫の裁判傍聴記が
中心です。サリン事件を「(取調中に)自首」したことにより、実行犯の中で
唯一、死刑を免れています。
いわゆる「マインドコントロール」下にある人を取り戻すのは大変なことで、
ある宗教に帰依してしまった娘を取り戻すのに、父親のジャーナリストは
相当な苦労をしたのも有名な話です。
林は教祖の呪縛をひとりで解けたのは何故なんだろう。
留置されて教団と切り離され自分で考える時間ができたからなのか、それで
前々から見ないふりをしてきた矛盾と向き合わざるを得なかったのか。
本人が言っているとおり「被害者の立場に…」というのはちょっとキレイすぎる
ようにも思うのですが、そういうことも影響したのかもしれません。
しかしどうも、すべての宗教がそうだというわけではないですが、少なくともこの教団に関しては、
信者は「逃げ」てきているのではないかと。
自分の頭で考えることを止め、ひたすら信じ崇拝し、言われたことだけをやればいい。
それはある種の逃げであると思うけれど、そこに安住できればそれはそれである種の幸せなのかも
しれません。
しかし。
辛いことを乗り越えようとじたばたとあがくことも、
答えの出ることのない問いを自らに問い続けることも、
試練であるけれどもそれは同時に、権利でもあるのではないか。
とも思ったりもするのです。
「慟哭―小説・林郁夫裁判」 佐木 隆三 ★★★★
まったく気がつきませんでした。
今回はタイトル通り、ちょっとホロリとしてしまうようなお言葉集です。
しかし、ひとこえかける裁判官と、そういうことは不要と思っている(?)
裁判官と人それぞれのようですね。
ただ、飲酒運転で前の車に突っ込んで、その車を海に転落させてしまい、
父親と母親が必死に子供3人を助けようとしている中逃走し、水をたくさん
飲んで飲酒をごまかそうとした事件の判決が、まったく納得できません。
何のために危険運転致死傷罪をつくったんだか。せっかく法律を作っても、
現場が適用にびびってるとしか思えません。
「だから(民間の処罰感情を反映させるために)裁判員制度を導入したんじゃないか」
と言うのかもしれませんが、それってどうなの? あんたらプロじゃないんですか?
と思ってしまうのはあたくしだけでしょうか?
今回、海外の裁判官のお言葉集が面白かったです。
「裁判官の人情お言葉集」 長嶺 超輝 ★★★
事件の裁判を追った記録。
著者の主観は極力排除されていて、ひたすら裁判を傍聴し、淡々と記録を
追っています。
考えさせられるのは、現状の法規範と、処罰感情の折り合いの付け方です。
逮捕監禁致傷罪での刑は最長10年。それでは少女が監禁されていた期間と
ほぼ同じ。そりゃーないよねぇ、と思う。
まあ、もともとそんなに長期間にわたる監禁を想定していなかったのだろ
うけど(実際、この事件の後に逮捕監禁致傷罪の最長刑は15年に引き上げ
られたらしい)。
検察は数千円の万引きの前科を引っ張ってきて、そうすると窃盗の最長刑10年の半分、5年の
刑期を合算できるらしく、合計して15年の求刑。
心情的には15年でも短いと思う。最低でも少女が監禁されていた期間の倍くらい必要じゃない
かと思う。
しかし法規犯では、最長刑は10年。検察が「合算技」を繰り出して15年(求刑)。
よく言えば柔軟に法解釈して適正刑に落ち着いたと言うことなんでしょうけど、結局コトが
起きた後にしか対応(法改正)出来ないのは仕方ないんでしょうかね。
この事件も警察の初動捜査に大きな落ち度があったらしく、その後改善されたという
ことですが…。
「新潟少女監禁事件 密室の3364日」 松田 美智子 ★★★
我ながら不思議です。
歴史ものは好きなんですが、20世紀後半に於ける東欧の民族紛争
問題については、恥ずかしながらちゃんと理解しているとは言えず、
そういえば当時、よく新聞を賑わせていたなぁ、という程度のもので
しかありませんでした。
相変わらず歯切れの良い文章でテンポ良く読ませてくれます。
行方の判らなくなってしまった友人を捜し出す過程も感情移入しながら
読めますし、至る所に、思わず線を引きたくなるような印象的な
フレーズも出てきます。
しかし同時に、ものすごいショックを受けます。
自分はなんとまあ、脳天気に生きてきたんだろうと愕然とします。
10代前半の子供たちが、それぞれの国や民族や歴史を背負って健気に成長し、そしていまだに
それらを引きずって生きて行かなきゃならない。
表題にもなっている「嘘つきアーニャ」が体現している理想と現実の矛盾、これには感情的に
受け入れ難いものがありますが、では自分がその立場であったとき、毅然として特権を払い
のけることが出来るのかといえば、それには甚だ自信がない。
「私は後悔しています。亡くなられたあなたのお父上もきっとそうでしょう」
友人の父親から言われたこの言葉を、著者はどのように消化したのでしょうか。
何とも深く考えさせられる一冊です。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 米原 万里 ★★★★★
北尾氏の傍聴スタイルは、大事件を追うのではなく、小さな事件をひろいあげる
処にありますが、最後まで見届けるわけではないので結果的に判決はどうなった
のか不明な裁判も結構あります(結果が付記されているモノもありますが)。
やっぱり、いくつかは判決まで追っかけてレポートして欲しいなぁという気が
しないでもない。大事件でなくていいから。
しかし北尾節というか、相変わらずですね。独特の風合い、というかインパクト
のあるイラストと併せてなかなか楽しめます。
しかしちょっと気になるのは、
「やはり裁判というのは被告人が主人公だ(被害者は証人にならない限り出てこれない)」
みたいな記述があって、まあ法改正で被害者が求刑したり出来るようになってきたらしい
ですがそれでも、この記述はある現実の一端を示しているのでしょう。
反省の色もなく身勝手な理論を平気で振りかざし、思わずこの本のタイトルを叫びたく
なるような被告人も結構いますが、それなりの「演技」のできる被告人が傍聴人も含めた
裁判官その他関係者の「心情」を獲得できる余地があるのだとすると、裁判員制度は
ちょっとキケンなような気がしてしまいます。
「裁判長!これで執行猶予は甘くないすか」 北尾 トロ ★★★
面白くないはずはありません。
行きつけのバーのママ「バァさん」を中心に回想録は展開していきます。
ちょっとノスタルジックな雰囲気ですが、
「ジャーナリズムが生きていた時代」だなぁと思います。
「古き良き時代」といってしまえばそれまでですが、当時の全てを肯定する
つもりはないです。しかし何というかジャーナリズムというのは、それを
担う人のなかに多少未熟だろうが荒削りだろうが、その人なりの「芯」が
なければそれはジャーナリズムたり得ないのではないか、などと思いました。
はっきり言ってここにでてくる「バァさん」とは私は絶対にお付き合い
できない自信があります。しかし著者を含め彼女に関わる人たちは
「優しい」というよりもとにかく「度量が深い」。
残念ながら環境は大きく変わり、今に生きる私はこの著書の「当時」は生きられないでしょうし、
「バァさん」も今の時代だったら当時とはまた別の大きな苦労をすることになるのかも
しれません。
「警察(サツ)回り」 本田 靖春 ★★★★
できないのであろうことは仕方のないことなのでしょうが、この本ではその
心情の一端を垣間見ることができます。
量刑相場についてはいまひとつ納得できない部分もあるんですが、確かに
「刑の公平性」については必要な部分もあるのかもしれません。
また、刑が先か立法が先か、という問題(法律制定当時は強姦罪より窃盗罪の
方が重罪であると世論も認知しており、法律上も窃盗罪の方が重罪であるが、
最近は強姦罪の重罪性が認知されてきているのに法律は古いまま)など、
法律制定当時と現在では環境も世論も大きく変わってきている中で、
法律が変わるまで現状法規の枠内で裁くのか、それとも法解釈をどこまで
広げるべきなのか、など様々な問題も提起されています。
おしなべて言えるのは、どの裁判官も相当に悩みながら判決を下しているということなんで
しょう。ひとりの裁判官の下した判決に対する他の裁判官の反論などもきちんと挙げられて
いたり、判決の背後にあるものやその意味がきちんと解説されているのがとても良いと思います。
ただ、裁判の全容、例えば警察とか検事とか弁護士とか、はたまた陪審員制度まで見据えた
日本の裁判制度の全体にまでは話が及んでいるわけではないところがすこし残念ではありますが、
冒頭に挙げたとおり、裁判官の胸中の一部を垣間見られるだけでもなかなか面白かったし、
いろいろと考えさせられます。
そして正直なところ、裁判官によって刑の軽重は変わってしまう可能性があるんだな…
という気がしたのも事実です。
「ドキュメント 裁判官―人が人をどう裁くのか」 読売新聞社会部 ★★★
かけてだったと思うから、「特捜部事件」のすこし前からだったと思う。
本当に「タブー」というものが存在しない雑誌で、皇室モノを読んで
のけぞったのを覚えている。あとナンシー関が連載が好きだったなぁ。
編集部の内側とか実情なんかもおもしろいのだけれど、この時代を振り返る
という意味でもとても面白かった。
大きな事件だけではなく、当時の出版業界はまだまだ元気で、バブルが
はじけたといってもまだ、メディア業界は(いろんな意味で)元気だった頃の
匂い。
もうこういう雑誌は出ないだろうなぁ。
「噂の女」 神林 広恵 ★★★
結構丁寧に追っているとは思うんですが、1冊に14件の事件が取りあげ
られているというところからも判るように、ひとつひとつの事件に割かれて
いるページが短かい。
今の時代、ネットで裁判状況なんかもかなり詳しく読めたりしますので
本にはやっぱりそれ以上の物を無意識に期待しています。
そういう意味では、渋谷のセレブ妻が夫を殺害した事件なんか特に、
ちょっと薄い感じで残念です。
逆に言えばどの事件もコンパクトに纏められていて全体像は掴みやすいん
ですが、ちょっとワイドショーチックな感じがしないでもない。
一方で、中国人妻が、自分の子供の幼稚園友達である幼児2人を刺殺して
しまった事件は、あまり報道されなかった(ように思う)部分や、背景にある
文化的思想的違いなどについても検証されていて、良かったと思います。
事件の背景にはそれぞれの家庭との確執が横たわっていたりするわけですが、どこの家庭にも
多少なりとも確執はあるわけで、その「確執」と「行為(殺人)」の間にはそれなりの壁も
あるんじゃないかと思うんですが、その「壁」を超えさせてしまうものって何なんだろう、
と考えてしまいます。
もちろん、そのひとそのひと、それぞれなんでしょうが。
「悪魔が殺せとささやいた―渦巻く憎悪、非業の14事件」 新潮45編集部 ★★★
ドキュメンタリーです。
犯人の男は自閉症という障害を持っていたようですが、メディアで報道される
こともなく、裁判は「自閉症」という障害を認めずに進行していく様を丹念に
追っています。
障害者だから減刑されるべき、という論調にあるのではなく、被害者遺族の
感情にも寄り添いながら、障害を持つ者が事件当事者となった場合の公平な
裁判のあり方、について考察しながら論を進めています。
愛されて育ちながら突然生命を奪われた女子大生と、この事件によって
見いだされ、福祉の手当てを受けながら短い生を終えた、末期ガンを抱えた
レッサーパンダ男の妹。この二人の女性の存在がなんとも運命的です。
総じて「渾身のドキュメンタリー」という感がありますが、残念なのは文中にちらちらとその
影を認めつつ、最後まではっきりとは書かれなかった、被告人が「ある人と知り合ってから
(自分は)変わった」「結婚したい」と言っている女性の存在です。
まあプライバシーの問題もあるでしょうし、弁護団や支援団体と意見が合わなかったのかどうか
判りませんが、この女性の存在はおそらく大きな影響を持っていたであろうと想像され、
そのあたりについて言及がないのは残念です(文庫版後書きには少し出てきます)。
しかしこの手のドキュメンタリーで共通してあぶり出されるのは、ひとつは「裁判」そのものの
ありかたで、つまり「裁判」とは真実を明らかにして罪の重さを「刑罰」にあてはめるもの
ではなく、より重い罪を追求する検察側とより軽い罪を目指す弁護側との闘いであって、
その闘いの前に「真実」は下手をすると作り替えられもする、ということです。
それからメディア。
この本でもメディアの報道についての批判が書かれていますが、最近のメディアに関わる人たち
は、このような批判を見ても何とも思わないんじゃないかしら。
ひと昔前のメディアに関わる人間であれば、激怒しそうなことでも、
「だって世間がそうなんだから仕方ない」とか平気で言いそうな気がする。
現在のメディアは、そのくらい末期的なんじゃないかと思ってしまうのです。
つまり、現代はコマーシャリズムはあっても、メディアは既に死んでいるのではないか、と。
「自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」」 佐藤 幹夫 ★★★★
サービスの達人たちを紹介しています。
もちろんみんな「お客様の立場にたって」いろいろ考えて行動して
いらっしゃる訳で、でもこれって、頭では判っていても実行するのは
なかなか難しいことだと思います。
「お客様」とひとくちに言ったところで人それぞれなわけだし、つまりは
個別かつ瞬時に客を見極めて、そのひとに合ったアプローチでサービスを
提供しなきゃいけない。かなり頭を使うんですよね。
相手の立場に立って考えるということは、しっかりした「観察力」の上に
「想像力」があって初めて可能になることであって、これって相当難しい
ことだと思うのです。
あと、これを読んでいて、あるクライアント(の社長)が言っていたことを思い出しました。
雑談中のことで、どんな話の流れからそうなったのか記憶が定かではないですが、
「邪念が混じると(ビジネスは)失敗するよね。」
つまり、軸をぶらしてはいけない、と。
そういう意味でも、ここに登場する人たちはまったくぶれがなく、そして誠実です。
伝説のゲイバーのママの話と、靴磨きの源ちゃんの話が特に好きです。
「サービスの達人たち」 野地 秩嘉 ★★★
ギャチュンカン北壁への挑戦を中心としたドキュメンタリーです。
しかしまあ、あまりにも凄まじくて、もう呆然とします。
奥様は結婚前の登山で重い凍傷にかかり、手足の指20本のうち18本の
第一関節から先を失っています。
それでもご主人と一緒にクライミング(氷の崖や岩肌をよじ登る)しながら
登るんですよ。
指先をちょっと包丁で切った(というか削った)だけでぎゃーぎゃー騒いでる
あたくしは…。
ギャチュンカンでも雪崩や吹雪に遭い、死んでもおかしくないような状況に
次々とおそわれ、それでも二人で生還します。
ご主人も少なくない手足の指を失い、奥様も残っていた手の指を全て失います。それでも、
また山を、壁を目指すんですね。
もう精神力云々とかでは説明のしようもないように思います。
やっぱりそれほど山が好きなんでしょうね。
そこまで好きなことに出会えたことは幸せなことなのかもしれません。
登山やクライミングについては素人ですが、簡潔な文章でとても判りやすく、まるで本人が
書いているかのようです。
「登山隊が登頂成功」というニュースを見たりすると、よく「第一次アタック隊」とか
出てきて、なんでみんなで登頂しないんだろう、登頂させてもらえないのってどうなの
かしら、などと思っていましたが、登山スタイルの種類やその違いなどもきちんと
解説されています。
ドキュメンタリーとして秀逸ですが、しかしほんと、唖然とするほど凄まじい人たちです。
「凍」 沢木 耕太郎 ★★★★
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