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本はごはん。
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9784480065438.jpg  元刑事による、いろんな事件のケース集。
 捜査二課勤務が長かったようですが、自殺や泥棒、火災現場など、
 捜査二課担当である知能犯罪以外にもたくさんのケースが取り上げられて
 います。

 ただ、「あんな事件やこんな事件」はたくさん乗っていますが、後日談や
 「刑事論」は殆どなく、そう言う意味ではケース集以上のものではなく、
 一方で説教臭さや自慢話が鼻につく、ということもなく、
 
 現場の刑事の日常というのはこんなかんじなんだろうなぁ、というのが
 よくわかります。こういう刑事さんは、著者も杞憂するように減って
 きているんでしょうかね…。



刑事魂」 萩生田 勝 ★★★
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41014.jpg  やっぱり…。
 そうじゃないかと思ったんですが、売春「論」にまでは至っていません。
 残念ながら。

 10年くらい前と今との日本(のみ)における風俗産業の変化について、
 ドキュメンタリーを交えたエッセイ、という感じでしょうか。

 分析と言っても、経済状況の悪化と援助交際を初めとする素人の売春行為の
 蔓延による風俗産業の衰退とか、風俗産業に係わる女性の意識の変化
 (バイト感覚)という程度の言われるまでもないことで、しかも論拠となる
 データも一切ないので「論」と言うにはあまりにも無謀かと。

 また、各章に分かれているものの、書かれ方がエッセイの域を出ていない
 のもなんとも残念なところ。

 そして最大の疑問は、誰に読ませたいのかよく判らない。
 現役風俗譲? 風俗譲予備軍? 男性? 風俗ユーザー?
 それとも業界に警鐘を鳴らしたい?

 なんとなくお局様的なお姉様が、「昔はこんなんじゃなかったわ。まったく今時は…」
 とボヤいているような。

 業界のことはそれなりに判りますので、興味のある方には読みやすくていいんじゃないで
 しょうか。


売春論」 酒井 あゆみ ★★
131005.jpg  事件物の読み物、とでも言うんでしょうか。
 実際にあった事件の、行間と当事者達の感情を作家が想像力で埋めて
 読み物にしたと言っていいのかな。

 良くも悪くも軽く読めます。
 正直ちょっと浅すぎだけど、週刊誌の連載だからこんなもんなんでしょう。

 ただ、前作の「黒い報告書」を読んだときにも思ったんですが、
 どの程度の「事件に関する」取材がなされているのであろうか、と。

 というのも「読み物」であるということはつまり、被害者側に軸足を置いて展開
 するのかそれとも加害者側に置くのかによって、事件の印象ががらりと変わって
 しまうと思うのです。

 ぜんぶが架空の話ならともかく、実際の事件がベースになっているわけですから
 そのあたりちょっと、どうなんだろうかと。

 作家陣のバラエティが魅力でつい読んじゃうんですけどね。
 「黒い報告書・クラッシックス」と題された昭和30年代に著された新田次郎、笹川佐保の
 作品がやはり、さすがという感じです。


黒い報告書 2」 「週刊新潮」編集部 ★★★
fe21d306.jpeg  2匹の猫を見送った著者の記録です。
 
 猫に限らず、大切な人や動物を持つ人には共感できる部分が多いんじゃ
 ないでしょうか。
 こんなふうに奪われるのならなぜ与えたのだ、と呪いたくもなる気持ち。

 しかし哀しいけれどそれでも、出会えて一緒に過ごせた喜びの方が
 ずっとずっと大きいから。
 そう思ってなんとかやり過ごすしかないのですけれどね。

 それにしても。
 やっぱり猫って不思議です。
 


猫の神様」 東良 美季 ★★★★
9784480065339.jpg  刑務官経験者による本です。
 刑務所の現場で起きていること、そして検察やマスコミの報道の在り方まで
 現場の目線で著された良書であると思います。

 著者によれば「変われない人間はいない」そうです。そうかもしれません。
 矯正教育の重要さも訴えています。確かにそうだと思います。矯正教育の
 成果が出れば再犯率は減り、犯罪発生率と社会コストの抑制も可能になるかも
 しれません。

 今のまま終身刑を導入することに対する危険性も訴えていますが、「死刑廃止」
 については、著者も訴えている「冤罪」や「刑務官の人手不足による重労働化」
 「お粗末な矯正プログラム」や「出所後の社会内処遇」などなどの問題に対する
 対応策を検討してからでないと、単に「死刑廃止」だけを論じでも片手オチだし
 付随する問題はそのままで死刑制度だけ廃止って言われても、ちょっと賛成し難い。

 そして冒頭の「変われない人間はいない」、ですが。
 確かにそうかもしれませんが。酷い言い方をすればそれは、人を殺してそして税金で再教育
 してもらえるってことになりかねませんかね?

 自分が被害者遺族だったら、それって受け入れられるんだろうか。
 正直なところ疑問です。

 神戸の「酒鬼薔薇事件」、あれだってそうそうたる心理療法士やらの専門家を何人もべったり
 貼り付けて、数億円のコスト(もちろん税金)と聴いたことがありますが、はたして被害者側
 にはどのくらいの保障がされたんでしょうか?
 おそらく桁が足りませんよねきっと。
 
 目に見えやすい「死刑」を単品でとらえて是非を検討するのではなく、現実の、現場で起きて
 いる問題を地道にひとつずつ解決していくことのほうが、そういった積み重ねが大事なんじゃ
 ないかと、そんな風に思うんですが。


死刑と無期懲役」 坂本 敏夫 ★★★
31856098.jpg  当時、日本で唯一の救急精神病棟(千葉)での3年間の取材を元に書かれて
 います。
 
 人間、「知らない、判らない」もの(こと)に対しては、根源的な
 恐怖を感じるものなのではないかと思います。精神病にしてもしかり。

 昨日までふつうだったのに、いきなり町中で奇声をを発したり
 ガラスをがんがん壊し始めたら、それは驚くと同時に「恐怖」に
 包まれてしまうのではないかと思うのです。

 精神病そのものおよび、その治療の実態がきちんと伝わってこない、
 実際それは「入院」という名のもと、薬漬けにして長期間隔離するだけで
 あった日本の精神医療の歴史に負うところが大きいわけですが、

 本書を初めとし、精神病のメカニズムやその治癒率の向上など、現在では解明、改善されて
 きているという情報が少なからずあるなかで、それでも単に
 「精神病患者」=「怖い」=「隔離」、あるいは、「電気ショック」=「全て悪」という
 思考に走るのだとすればそれは単なる「無知」なるが故と言われても仕方ない、そういう
 社会への転換期にあるように思います(ちなみに「電気ショック」という言い方は今は
 しないそうです)。

 同時に、この千葉の救急センターでは、確固たる理念の元、彼らの信じる医療を実践し、
 そして成果も上げていますが、一方で古色蒼然たる精神病院も少なからずあるのだろうと
 思われ、「全般的な質の底上げ」が必須であることは言うまでもないことですが。

 相変わらず綿密な取材を重ねた上で緻密に構成されており、安心して読めます。
 「精神病患者のほうが恐怖に支配されている」というのは驚きました。
 
 「文庫本のためのまえがき」に書かれているエピソードがなんとも印象的です。


救急精神病棟/a>」 野村 進 ★★★★
978-4-04-868125-4.jpg  同書によると、「在宅死」は少しずつ増加の傾向にあるそうです。
 まあ、「病院死」が必ずしも「スパゲッティ状態」とは限らないでしょう
 けれども、それでも病院よりも勝手知ったる自宅の方が、私はいいなぁ。

 しかし「看取る」経験、機会がどんどん失われていった結果、看取る「技術」
 が失われつつあるそうで、この本には看取る「技術」や「覚悟」が紹介されて
 います。

 目前に死が迫っているときのサインとして、尿が出なくなることや呼吸の変化
 があげられていますが、呼吸の変化は3段階あって、それぞれ詳しく説明され
 ています。
 
 いろんな看取りのケースが紹介されていますが、もうちょっと整理して
 欲しいなぁというのが正直なところ。当然この問題に不可分でついてくる
 「臓器移植」や「延命措置」などの問題や、

 「在宅死」が少しずつ増えている要因のひとつに、「行き場がない」(=入院できない、
 退院を促される)などの問題があることも、ほんとうにさらりとしか触れられていないし、

 とにかくいろんな付随する問題がきちんと整理されておらず、ただただ経験談や取材内容が
 羅列されているだけのようにしか見えません。

 この本で紹介されている「死のサイン」を正しく受け止め対処することも大切ですが、病院で
 死ぬか自宅で死ぬか、それ自体が問題なのではなくて、本人がどこでどんな風に最期を迎えたい
 のか、そしてその希望を実現するためにはどうすればいいのかが重要で、

 だからこそ、ドキュメンタリーといっても、関連する要素ももう少し整理して展開して
 欲しかった。

 まあ、それ以前に「死生観」が何より重要ではあるんですけれども。
 

看取りのとき かけがえのない人の死に向き合う」 高橋 繁行 ★★★
0d78ef44.jpeg  少年鑑別所の教官経験のある著者による、少年鑑別所で出会った少女たちの
 物語。実話ベースの小説、でしょうか。

 うーん。難しいですね。
 言ってしまえば著者は(過去の自分の苦い経験から)少女側に立っていて、
 それこそ公務員の事なかれ主義的な考え方や、事務的な扱いをする同僚や
 上司に対して憤りを感じていますが、

 若さ故の熱意、ということもあるでしょうが、著者は少女達に昔の自分を
 重ねていて、自分が救われる方法を一生懸命探しているようでもあります。

 それが著者なりの対応のしかたとなって、少女達には確実に届いたよう
 ではありますが。

 ただこの著者は1年で退官してしまったようで何とも残念です。
 自分の無力さを痛感してのことらしいですが、そもそも神様じゃなんだから、他人なんか
 救えないと思うんですよ。本気でそう思っていたとしたらそれこそ傲慢です。

 少年鑑別所の教官に限ったことではないですが、救いたいとか助けたいとか思いながら、
 時には何も出来ない自分の無力さに打ちひしがれながらも、それでも続けていくことが
 大切なんじゃないかと、そんなふうに思うのです。
 

窓から見える小さな空―少年鑑別所の少女の叫び 」 西街 守 ★★★
32321658.jpg  私的には非常に面白い本でありました。

 もちろん「光クラブ」の顛末は知っていたし、一般的解釈で理解して
 いましたが、初めて明かされた事実や、何よりある種の「三島論」的
 要素も加わっているのは予想外の収穫でありました。

 まず、自殺当初、当時の識者達がこぞって「アプレゲール型犯罪」と、
 ひとつのカタにはめ込んだコメント(要は自分には全く理解不能なんだが
 判ったような顔をして何も判っていないコメント)を出しているのは、

 近年少年の凶悪犯罪が相次いだとき、所謂「コメンテーター」がしたり顔で
 「少年の心の闇」という言葉をを連発していたのを想起させます。

 個人的感情を切り捨て、誰の目にも明らかな契約や法律のみに従って生き、
 その生き方に破綻を来して自殺したというのが表面的な解釈ではあるけれども

 では彼に「個人的感情」の一切を捨てさせ、まるで悪役を演じるかのような生き方をさせた
 原因と、それを貫徹せしめたものはいったい何だったのだろうか。

 それは著者の言うように「戦争への怒り」だったであろうし、同時に、それ(人間的感情)
 を捨てきれない自分への怒りもあったのではなかろうか。

 (主に)戦時中の体験を通じて「人」や「国家」に対し絶望し、しかしそれでも求めてしまう
 自分の心。自分は「情」を求めているのではなく、「経験」を求めて女性とつきあったなど
 の発言のウラに、実は「情」を求めてでも得られず、

 もうこの上はますます「個人的感情」を切り捨てて、少なくとも更に切り捨てたフリをして
 生きていくしかないという挫折感、もしくは諦観があったようにも感じられるのです。

 戦時中という非常事態では、理不尽な思いをしなかった人の方が極少数だと思いますが、
 大多数の人間が戦時中に受けた理不尽や不条理を忘れたふりをして生きていけたのに対し、
 彼はそれができなかったのでしょうし、

 戦後の日本の変わりように疑問を感じた人も少なくは無かったのでしょうが、それを
 豊かさと引き替えに不問に付した人が大多数であったのに対し、そうきなかったのが
 三島由紀夫なんでしょう。

 三島がこの「光クラブ」事件をモデルに「青の時代」という小説を著していますが、
 著者はこの「青の時代」が「限りなくノンフィクションに近い小説」と推理していて、
 つまり三島と「光クラブ」の山崎が、友人といえるかどうかはともかく、かなり近しい
 交流があったことも掘り起こしており、

 ではなぜ三島が(「青の時代」で)山崎の「最期」を描かなかったのか、もしくは
 「描けなかったのか」。
 それはやはり、「自分と同じ匂い」を感じていたからではないかと、そう思うのです。

 あ、著者も「あとがき」で書いていますが、所謂「ホリエモン」と呼ばれている人の事件と
 この「光クラブ」は似て非なるものだと思います。前者からはどうしても「哲学」が
 (私には)感じられません。


眞説 光クラブ事件 戦後金融犯罪の真実と闇」 保阪 正康 ★★★★★
9784480065117.jpg  うーん、この問題は一言で何が悪いとかどこに責任があるとは
 言えない問題ですね。

 かなりしっかりと調査されており、現在の高校中退の実情とその背景になって
 いるものについてレポートされています。

 親から生活態度をはじめとする基本的な教育を受けることが出来ず、学力も
 身に付かず、高校は所謂「底辺校」に進まざるを得ず、しかし経済的理由や
 学力不足(高校生でも九九が言えないなど)で中退してしまう。

 そして奔放な性生活の末若くして子供の親となり、貧困家庭を築くことに
 なる、という貧困の連鎖。もちろんDVやネグレクトなんかの問題も。

 もちろんその貧困やDVやネグレクトなどの負の連鎖を打ち切らなければ
 ならないと思いますが、著者の提案する「高校の義務教育化(=無償化)」と
 「高校の職業訓練校化」は果たして解決になるのかちょっと疑問に思います。

 底辺校の中退は必ずしも経済的理由だけではなく、「本来身についているはずの生活態度
 (歯磨きとか洗髪とか)が身についていない」とか「基礎的な学力(それこそ九九とか)」
 が不足していることが大きな要因になっているように本書からは見受けられます。

 だとすればこのあたりを強化、というか引き上げなければ、いくら高校が義務化(無償化)しても
 または職業訓練校化してスキルを身につけられるとしても、そもそも続かないんじゃないか。

 「(高校を中退した)殆どの若者が、異口同音に「夢などありませんよ」と語っていたが、
  そういう社会は公正な社会といえるのか」

 と書いていますが、全て社会の責任なんでしょうか。そこには社会の責任があると同時に、
 親の責任、個人の責任もあるんじゃないかと思うんですが。

 ドキュメンタリーとしては秀逸な部類だと思いますが、救済プログラムだけではなく、同時に
 (再)教育プログラムがセットになっている必要性を感じます。


ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所」 青砥 恭 ★★★★
129161.jpg  捜査一課担当記者、警視庁クラブキャップなど、長年刑事事件取材を
 担当してきた記者による事件ドキュメンタリーです。

 宮崎勤事件、有楽町三億円強盗事件、そして半分以上がオウム真理教事件に
 割かれています。

 捜査の指揮官はもちろん、現場の刑事からも取材を重ねており、事件解決に
 いたるまでの彼らの執念や血の滲むような努力、そして時に彼らが払わな
 ければならない少なからぬ犠牲などについてレポートされています。

 特に、地下鉄サリン事件の折、詳細が判らないままとにかく現場に飛び、
 サリンを浴びながらも入院を拒否、点滴と注射だけで捜査本部に戻る刑事が
 こんなにいたのかと驚きました。

 ひとりひとりの刑事たちの、熱い思いを抱いた献身的な捜査については本当に頭が下がる
 思いですが、オウムの上九一色村一斉捜索が予定されていたその日に地下鉄でサリンが
 撒かれたたという事実。
 
 直前に一斉捜索は延期されていましたが、もし予定通りに一斉捜索されていたら。
 多くの刑事、警官が上九一色村に投入され、都内が手薄になった状態でサリンが撒かれて
 いたら。著者のいうように、情報が漏れていた可能性について、捜査していないわけは
 無いと思うんですが、捜査結果はどうだったのか。

 また、国松長官狙撃事件、事件後に犯行を自供した元警官? 元刑事? だかの件もどう
 なったんだか…。

 そのあたりの真実が、いつか日の目を見ることがあるのでしょうか。


捜査一課秘録」 三沢 明彦 ★★★
123918.jpg  確かに「事実は小説より奇なり」とは言いますが。

 以前、死刑判決がおりた元ヤクザが、獄中から、自殺や事故として処理され
 ていた事案が実は殺人事件であったとして告発したーということがあった
 のは確かに覚えています。
 その一連の事件の「当事者」によるノンフィクションです。

 「当事者」とは新潮45の編集者で、死刑囚から事件を告白され、ウラを取り、
 警察にもレポートを提出して動かし、雑誌に掲載するという一連まで、
 そしてその後の裁判、判決までも追っています。

 借金でどうにもならなくなっている人を、事故または自殺に見せかけて殺し、
 保険金や不動産を手に入れるーそれも何度も。

 そしてどれも「事件」としては扱われておらず、解剖すらされていなかった
 ケースもあるという現実。

 闇に葬られてしまった事件というのも、まだ結構あるのかもしれません。

 既にジャーナリズムは死んでしまった(と私は思っています)が、マスコミにはまだこういう
 役割が残っているのだなぁ、とも思いました。

 著者はあとがきで「ジャーナリズムは死なない」と言っていますが、一方で報道調整やら
 世論誘導やらに手を染めている限り無理でしょう。

 そして何よりも、このケースはマスコミがその能力を最大限発揮し成果を出せた
 「非常に上手くいったケース」ですが、そうでない「無辜の人」にその能力が凶器となって
 襲いかかる可能性とその制御について触れられていないのが残念です。


凶悪―ある死刑囚の告発」 「新潮45」編集部 ★★★★
136452.jpg  「十年不倫」の姉妹編だというのでとりあえず読んでみましたけれども…。

 この本はタイトル通り、10年ものの不倫をしている男性を中心に
 インタビューしたものです。ルポルタージュの質自体は悪くないと
 思うんですが、まあここに出てくる男性達の、

 甘えと逃げと責任回避と薄っぺらい見栄のオンパレードにはちょっと辟易…。
 よくもまあ根気強く話が聴けたものだと感心してしまいます。

 まあ不倫しながらも真剣に考えている人は(いたとしても)語らない
 でしょうが。

 同時に、やっぱり男性は、自分の言葉で自分を語ることが下手なんだなぁ
 ということ。年齢層が若くなるとそうでもなくなってくるようですが。

 逃げ続けて人生終わるのもまあその人の人生ですけれどもね。


十年不倫の男たち」 衿野 未矢 ★★★
Book_Photo_9_0.png.jpeg  TV金沢がドキュメンタリー番組として放送したものを書籍化した
 もののようです。

 この病院では末期患者の願い、それは「娘の結婚式に出席したい」とか
 「パチンコへ行きたい」とか「姉に会いたい」とか人それぞれですが、
 そういった願いを病院を挙げて実現するのだそうです。

 同時にそういった行為が病院経営を激しく圧迫しているそうで、そりゃ
 そうでしょう、と思います。現在の医療制度は、「患者の精神状況の
 改善による病状の好転」とか「残された日々の生活の質(クオリティ)」
 なんかは一切認めていませんし。

 にもかかわらず、患者の願いをかなえる「おでかけ」に救急車まで動員し、
 勤務中および勤務明けや休暇日のスタッフまでが付き添う体制が作れて
 いたり、患者が病室を茶の間のようにしてしまうことすら受け入れる要因の
 ひとつは、

 この病院が地域の人々の出資を基に成り立っているからだろうと思う。それが利潤追求よりも
 地域の人たちへのサービス還元へと向かわせる。

 そしてもうひとつ、こちらのほうが大きな原動力になっていると思うのだけれど、医師や
 看護師達が揃って「患者との『おでかけ』は楽しい」と感じていること。
 本当にそう思っていなければ休日を返上して、高いリスクを伴う患者の外出に付き合えない
 だろう。

 地域、患者、患者の家族との信頼関係を確立しているということも、訴訟を恐れて医療が迷走する
 この時代、とても貴重だと思う。
 
 それにしても。
 今の時代、死ぬのも大変です。


笑って死ねる病院」 テレビ金沢 編 ★★★
9784166607136.jpg  「まえがき」に、高校生(=平成生まれ)の親類から、「明治時代」
 「大正時代」と言うのに、どうして「昭和時代」と言わないのか、と
 問われたと書かれています。

 確かに「昭和時代」という言葉はまず耳にしませんし、なにより違和感がある。
 それは著者が言うように、まだ「昭和の記憶が生々しく残っている」人たちが
 多いからなのかもしれません。

 だとすると、人口の過半数を平成生まれが占めるようになって以降、
 「昭和時代」という言葉が定着するのかもしれませんね。

 この本はタイトル通り、昭和の時代に書かれた遺書が集められています。
 「昭和初年〜開戦まで」「開戦〜昭和20年まで」など、年代別に整理
 されており、

 遺書だけではなくその時期の時代背景や個人のエピソードなども纏められていて奥行き感が
 あり、なによりも「昭和という時代」が「遺書」を通してくっきりと浮かび上がってきます。
 
 それにしても。
 昭和は64年まで(64年は7日間)でしたが、なんと激動の時代だったのでしょうか。
 これだけのことと、これだけの変化が、たった64年のあいだに起こったということが
 なんとも信じ難いような、軽い目眩にも似た感覚を覚えます。


昭和の遺書―55人の魂の記録」 梯 久美子 ★★★
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