bookshelf 『眞説 光クラブ事件 戦後金融犯罪の真実と闇』 保阪正康 忍者ブログ
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32321658.jpg  私的には非常に面白い本でありました。

 もちろん「光クラブ」の顛末は知っていたし、一般的解釈で理解して
 いましたが、初めて明かされた事実や、何よりある種の「三島論」的
 要素も加わっているのは予想外の収穫でありました。

 まず、自殺当初、当時の識者達がこぞって「アプレゲール型犯罪」と、
 ひとつのカタにはめ込んだコメント(要は自分には全く理解不能なんだが
 判ったような顔をして何も判っていないコメント)を出しているのは、

 近年少年の凶悪犯罪が相次いだとき、所謂「コメンテーター」がしたり顔で
 「少年の心の闇」という言葉をを連発していたのを想起させます。

 個人的感情を切り捨て、誰の目にも明らかな契約や法律のみに従って生き、
 その生き方に破綻を来して自殺したというのが表面的な解釈ではあるけれども

 では彼に「個人的感情」の一切を捨てさせ、まるで悪役を演じるかのような生き方をさせた
 原因と、それを貫徹せしめたものはいったい何だったのだろうか。

 それは著者の言うように「戦争への怒り」だったであろうし、同時に、それ(人間的感情)
 を捨てきれない自分への怒りもあったのではなかろうか。

 (主に)戦時中の体験を通じて「人」や「国家」に対し絶望し、しかしそれでも求めてしまう
 自分の心。自分は「情」を求めているのではなく、「経験」を求めて女性とつきあったなど
 の発言のウラに、実は「情」を求めてでも得られず、

 もうこの上はますます「個人的感情」を切り捨てて、少なくとも更に切り捨てたフリをして
 生きていくしかないという挫折感、もしくは諦観があったようにも感じられるのです。

 戦時中という非常事態では、理不尽な思いをしなかった人の方が極少数だと思いますが、
 大多数の人間が戦時中に受けた理不尽や不条理を忘れたふりをして生きていけたのに対し、
 彼はそれができなかったのでしょうし、

 戦後の日本の変わりように疑問を感じた人も少なくは無かったのでしょうが、それを
 豊かさと引き替えに不問に付した人が大多数であったのに対し、そうきなかったのが
 三島由紀夫なんでしょう。

 三島がこの「光クラブ」事件をモデルに「青の時代」という小説を著していますが、
 著者はこの「青の時代」が「限りなくノンフィクションに近い小説」と推理していて、
 つまり三島と「光クラブ」の山崎が、友人といえるかどうかはともかく、かなり近しい
 交流があったことも掘り起こしており、

 ではなぜ三島が(「青の時代」で)山崎の「最期」を描かなかったのか、もしくは
 「描けなかったのか」。
 それはやはり、「自分と同じ匂い」を感じていたからではないかと、そう思うのです。

 あ、著者も「あとがき」で書いていますが、所謂「ホリエモン」と呼ばれている人の事件と
 この「光クラブ」は似て非なるものだと思います。前者からはどうしても「哲学」が
 (私には)感じられません。


眞説 光クラブ事件 戦後金融犯罪の真実と闇」 保阪 正康 ★★★★★
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