bookshelf 『死刑囚ピーウィーの告白―猟奇殺人犯が語る究極の真実』 ドナルド ギャスキンズ ほか 忍者ブログ
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60063b40.jpg  アメリカで100人以上を殺した殺人犯の独白形式のドキュメンタリー。

 この死刑囚の信任を得た作家が、1年以上刑務所に通い詰め完成した
 ものですが、殺人犯も自分の口で本当のことを語り残しておきたいという
 欲求があったようで、そのあたりがうまく一致したのでしょう。

 とにかく、文字を追うだけでも目を背けたくなるような残忍な虐待を
 繰り返し(それがたとえ幼児であろうと、また親類であろうと)、
 挙げ句の果てに殺してしまっています。

 更にそれらの行為に対する後悔の念、改悛の情もなければ、被害者に
 対する憐憫も同情も、ましてや反省などと言う感情とは一切無縁のようです。

 そういった過激な残虐性、他者に対する共感性の著しい欠如、などを考えると、
 やはり、コリン・ウィルソンが序文で、そして死刑囚の元に1年以上通い続けた作家が付記で
 述べているように、幼少時にうけていた虐待体験も併せて殺人犯が何らかの脳の器質的障害を
 負っていたのではないか、と思います。

 アメリカに於ける司法、刑務所の腐敗や警察捜査能力の低さなどについても辛辣に述べられて
 いますが、実際この死刑囚はもっとも監視が強力である死刑囚監房で殺人を犯していますから、
 まったく説得力があるというか。

 しかし日本と違うのは「司法取引」。例えば罪を軽くしてもらう変わりに殺人を認めるとか、
 全てを告白する変わりに死刑から無期懲役に求刑を軽くしてもらう、とかです。
 これによって、「無罪なのに無期懲役になった」仲間というのがでてきます。

 殺人犯の友人であったため共謀を疑われ、「自分は殺人を犯していない」といくら言っても
 信用してもらえず、挙げ句の果てに「このまま、否認したまま裁判になれば、まず死刑だ」と
 脅かされ、「いま殺人を認めれば無期懲役で済む」などと言われて殺人を認めてしまう。

 なるほど、「司法取引」はこういう使い方をされるケースもあるのか、と。
 たしかに「正しい」使い方をされれば司法取引も意義のあるものなのかもしれませんが、
 こういうウラの顔もあるのだということがよくわかりました。


死刑囚ピーウィーの告白―猟奇殺人犯が語る究極の真実」 ドナルド ギャスキンズ ほか ★★★★
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