bookshelf 『免疫の意味論』 多田 富雄 忍者ブログ
本はごはん。
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ISBN4-7917-5243-0.jpg<br />  しばらく、いや、ずいぶん前に買ったのですが、これも読んでいませんでした。
 名著だとの評判は嘘じゃなかった。「面白い」という形容詞は、こういう本に
 対して与えられるべき物だと思います。1993年初版発行で、2006年には46刷り
 というこの手の本にしてはかなりの爆発ぶりも頷けます。

 難解な免疫システムを非常にわかりやすく解説してあり、それは会社での組織論
 なんかにも適用でき、つまりはある種の普遍的真理なのかもしれません。

 この本は様々な読み方が出来(これは名著のひとつの条件であると
 思うのですが)、私はメインテーマの「免疫学の理解」のほかに、
 (気がついたら)ふたつの読み方をしていました。 
 
 ひとつは「組織論」としての読み方で、
 T細胞とB細胞とマクロファージは「免疫部」で、部長はT細胞、花形はキラーT細胞チーム、
 免疫部管理系がヘルパーT細胞チーム。
 B細胞は免疫部制作チーム。各チーム間の連絡係は「サイトカイン部」在籍のインターロイキンが
 兼任、というように組織化して考えると、この組織の脆弱性はどこにあり、リスクはどの当たりに
 潜んでいそうか。

 そしてもうひとつが「アイデンティティ論」として。
 かなり乱暴に言い切ってしまうと、
 
 ■一卵性双生児は遺伝子上は同一人物である。
 ■しかし、B細胞が抗体パターンをランダムに生成したり、感染症等に対する免疫経験により、
  一卵性双生児であっても、免疫パターン上の「個性」が確立する。
 ■この免疫「超」システムがよって経つところは「自己同一性」であり、この「自己同一性」を
  保つのが免疫部の仕事であるが、そもそも「自己」は時間や環境によって変化してしまうし、
  「免疫部」が常に「自己」と「非自己」を完全に認識し分けるのは「不可能」である。
 ■従って免疫学上にも絶対の「自己」という物は存在せず、自己とはつまり
  自己の「行為そのもの」である。

 だそうですよ。
 びっくりというか、やっぱりというか。
 遺伝子上でも免疫学上でも「自己」なんてアイデンティティはなくて、結局のところ「何を為すか」
 というところにしかアイデンティティはないという結論は非常に興味深い物であります。 

 いろいろ考えさせられる本です。「免疫学」でこんなに考えされられることになるとは
 思ってもいませんでした。名著です。

 (注:この本が出版された当時はまだ解明されていなかったことのいくつかが、現状では
    解明されています。B細胞の生成場所とか。)


免疫の意味論」 多田 富雄 ★★★★★
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