bookshelf 『原島弁護士の愛と悲しみ』 小杉 健治 忍者ブログ
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02990900.jpg<br />  読んでみたら、ミステリだった。

 短編集ですが、ふたつはオチが予測できてしまった。
 しかしそれにしても、警察モノ、法廷モノ大好きなあたくしですので
 面白く読めましたよ。

 こういう題材だからなのか、ちょっと文章が堅めな感じもしないでも
 ないですが(感情過多な小説よりは全くこっちのほうがいいですが)。

 表題にもなっている短編ですが、前々からちょっと疑問に思っている
 「弁護士のありかた」みたいなモノを、また考えさせられます。

 確かに冤罪なんかはあってはいけないけれど、とにかく被告の罪をちょっとでも軽くさせることが
 使命みたいな。極端な話、弁護士次第で死刑にも無罪にもなってしまうのなら、その人の犯した
 「罪という事実」をどう認識すればいいんでしょう?

 また障害者と地域社会との共生がテーマになっている短編がありますが、これを読みながら
 「免役の意味論」を思い出しました。

 免役は外部から侵入したウイルスや病原菌と戦うけれど、全のウイルスを殲滅してしまうわけでは
 なく、ある程度のラインにまで減少したらばあとは共生をしていく。そうして共生することにより、
 「自己」と「非自己」のバランスを取っており、逆説的に言えば「非自己」があるから「自己」が
 認識できる。しかし近年の公衆衛生の向上などにより、免疫学上では「無菌状態」に近い環境が
 出来てきたことにより、「自己」と「非自己」のバランスが崩れてきて…。

 上記はかなりおおざっぱに要約していますが、つまり多様性を失いバランスを崩した免疫は、
 攻撃対象ではないはずの「自己」を攻撃したりさまざまな機能障害をおこしつつある、という
 ことです。

 「自分からみて」異質なものは排除する。存在を認めない。子供にも見せない。
 死刑は隔離された密室の中。
 確かに排除しちゃうのがいちばん簡単だし手っ取り早いですけどね。
 しかしそうやってどんどん多様性を排除していった社会って、どうなるんでしょう?

 排除すべきモノがなくなったら?
 排除すべきモノを自ら創り出すしかないですね。


原島弁護士の愛と悲しみ」 小杉 健治 ★★★
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