bookshelf 『となり町戦争』 三崎亜記 忍者ブログ
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4-08-746105-X.jpg  うーん。これはなかなか、野心的な作品ですね。
 タイトルや設定の大胆さにつられて読むと、ちょっと肩すかしを食うかも
 しれません。

 タイトル通り、自分の住む町が隣町と戦争を始め、いつの間にか主人公も
 戦争に巻き込まれていくのですが、これが巻き込まれているんだかいないん
 だか判らない。つまり、自分も「戦争の当事者」のひとりであるにも
 かかわらず、「戦争の実感」が全く感じられない。

 「戦争の影響」はある。間違いなくある。しかしそれも、実感できる、
 つまりははっきりと認識される影響はごくわずか、それも極個人的なこと
 でしか実感されない。

 恐らく多くの人は、「これは小説の中の話で、それも、となりの町との戦争
 だから実感も自覚も出来ないだけで、本当の戦争は違う」と思うかもしれま
 せんが、恐らく著者は、「本当の戦争だってこんなもんだ」ということを言っている。

 別章で出てくる「24時間営業のコンビニが林立する中でエコを声高に叫ぶ矛盾」もまったく
 同じ構造。

 何も自覚も実感も出来なくても、今のこの世に生まれ今のこの世に生きている我々は、誰かの
 血と死の上に安穏とした世界を築いているのだということ。

 「戦争は、日常と切り離された対極にあるのではなく、日常の延長線上にあるのだ」。

 「なぜ戦うのか」と問われた戦闘員が、
 「そうしてでも守りたいものがあるからじゃないでしょうか」と答えますが、続けて、
 「わたしのそれ(=戦ってまで守りたいもの、守るべきもの)は何だったか、もう忘れて
  しまいましたけれど」と。

 つまりは、いつの間にか当初の目的は薄れ、戦うこと、殺し合うこと自体が目的化してしまうのが
 戦争ということなんでしょう

 著者の野心(いや、意欲?)は大いに評価するのですが、それを「小説という作品」に昇華
 するという意味合いではもう一声期待したいところであります。


となり町戦争」 三崎 亜記 ★★★
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