bookshelf 『愛新覚羅浩の生涯―昭和の貴婦人』 渡辺みどり 忍者ブログ
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205307.jpg  ずいぶん前に、本人の著作である「流転の王妃の昭和史」を読んだことが
 ありますが、第三者の目から書かれた本書を読んでみます。

 国家を挙げての政略結婚とも言える、満州国皇帝溥儀の弟、溥潔に嫁いだ
 皇族とも縁続きの良家のお嬢様の波瀾万丈の人生ですが、それにしても
 なんとも美しい人ですね。

 彼女の波乱の人生に思いを馳せるとき、どうしても同時に思い起こされる
 のは彼女の長女、慧生の人生です。

 学習院大学の同級生であるボーイフレンドと天城山で自殺してしまいますが、
 果たしてこれは「心中」だったのか、それもと男性側による「無理心中」
 だったのか。

 真相を知ることはもちろんできませんが、ここに引用されている慧生が男性に宛てた手紙を
 読むと、彼女も孤独だったのだな、と思う。

 恐らく子供時代がなかったんじゃないだろうか。浩自身も「手のかからないとてもよい子」で
 あったと回想しているが、それは「子供らしくない子」ということとイコールだ。

 「子供らしい子供時代」を持てなかった子供は、生き急ぐと同時に、自分の中に着々と
 孤独を育んでしまう。ふくれあがる「孤独」はいつも、出口を切望して止まない。
 ボーイフレンドと出会った彼女は、一気に「出口」めがけてなだれ込んでしまったのではないか。

 しかし一方で、「孤独」+「恋」=「心中」という方程式が、どうしても彼女にしっくり
 来ないのも事実で。(心中を覚悟した手紙がありますが、それをもってして「心中」だとも
  言い切れないと思うのです)。

 母親の浩は、終戦後2年間も慧生の妹、嫮生をつれて中国の牢獄を転々としなければならず
 (慧生は日本にいた)、やっとの思いで帰国したものの戦後の日本を生き抜くのに精一杯、
 父親はソ連に拘留中とあっては、慧生がこれだけの孤独を抱え込んでしまったことについて、
 誰も責められるものではなく、陳腐な言葉ではあるけれど、時代に翻弄された一家、という
 ことに尽きるのかもしれません。

 唯一の掬いは、晩年の溥潔と浩が仲むつまじく暮らしたということと、妹の嫮生が幸せな
 家庭を築いたということですが、その幸せを手に入れるまでに受けなければならなかった
 試練の多さに、呆然としてしまいます。


愛新覚羅浩の生涯―昭和の貴婦人」 渡辺 みどり ★★★
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