bookshelf 『もしも、私があなただったら 』 白石 一文 忍者ブログ
本はごはん。
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32083811.JPG  やっぱり白石作品の魅力は、背景にビジネスシーンがしっかりと描き込まれて
 いるところだと思う。それがリアリティを支えていると思うのですが、それを
 背景の一部としてちらりと使うより、「ビジネス・シーンそのもの」をベース
 にして展開した方が、より著者の言いたいことが伝わるんじゃないかしら。

 つまり簡単に言えば、この著者は「恋愛小説」より「ビジネス(企業)小説」
 を描いた方が面白い。

 そのあたりは「草にすわる」でも感じたことだし、この
 「もしも、私があなただったら」は、「草にすわる」と同じテーマを扱って
 いるように思うので、余計にそう感じるのかもしれません。

 で、この作品ですが。いちばん気になったところだけ。

 「もしも、私があなただったら」どうして欲しいだろうか、と考えることはとてもいいことなの
 かも知れないけれどでもそれは同時に、ちょっと危険なのではなかろうか。
 ややパラドックス気味で判りにくいんですが、
 「もしも、私があなただったら、こうして欲しいんじゃないか」で終わればいいんですけど、

 「私が想像するあなたの希望」=「あなたが想像する私の希望」
 つまり、
 「私の希望」=「あなたの希望」

 みたいな図式が出てきて、そりゃあそういう図式が成立するのいちばんハッピーでありますが、
 いつもいつも必ずしもそうはならないだろう現実的に、と思うのですが。
 そのあたりを無視して、「私の希望」=「あなたの希望」みたいに短絡的になっちゃうと、
 それは悲劇(喜劇)の始まりになってしまうんじゃないかなぁ。

 「相手のためを思って」というのは確かに耳障りの良い言葉でありますが、現実には得てして
 それが「一方的な押しつけ」つまりは「傲慢さ」みたいなものであったり、またそれが
 「相手のためを思って/良かれとおもって」なのだからと免罪されてしかるべきである
 というような、ある種の言い訳、免罪符のように使われている現実もるのじゃないかと
 思うのです。

 このあたり、難しいですけどね。

 
 「もしも、私があなただったら」 白石 一文 ★★★
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