bookshelf 『イスラーム世界の女性たち』 白須英子 忍者ブログ
本はごはん。
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416660340X.jpg  イスラム教という宗教、そしてその世界の生活様式については全く知識がなく
 果たしてそんな状態でこの本を読んで面白いだろうかと多少不安にも思った
 のですが、そんな心配はまったく杞憂でとても興味深い本でありました。

 「妻は4人まで娶ることができる」。これは私から見れば限りなく悪法である
 と思っていましたが、この発想はそもそも、
 「それまで無限に妻を迎えることができたが、4人までに【制限】した」
 ものであるとか、

 全身黒ずくめで目だけ出しているあの女性の衣装、あれもそもそもは
 上流階級の婦人が大衆に姿を見せないため、また他部族から自分の部族の
 女性達を守るためのものであったとか、なるほどと思うものばかりで
 そういう決まりができたのにはそれなりの理由があったのですね。

 しかしそれらのそもそもの「理由」となった原因が解消、もしくは緩和されつつある現代でも
 その「掟」だけが残り、そもそもの理由とは違った意味づけをされて「利用」されている
 ようにも感じます。

 つまり本来の意味が薄れ、その制度が手段として使われるようになってきているのではないか、と。
 
 興味深く思ったのは「国の成熟度はその国の女性の教育の度合い、成熟の度合いに比例する」
 みたいな表現があって、たしかに西洋でも日本でも女性の地位が男性と同等になったのは比較的
 最近の話だし、

 宗教や地域に限らず、女性というのは「半人前」的な扱いをされてきたことが多いことを
 考えると、国の成熟度と女性の自立度というのでしょうか、それは関連していると考える
 こともできるのでしょう。

 しかし「国の成熟度」とは何で測るのか。
 旧来のイスラムの価値観と、日本を含めた西側の価値観とでは相当に異なることは間違いない
 とおもいます。

 そのほか女子割礼や古今のプリンセスの波乱の人生など盛りだくさんですが、
 同じ時代に同じ女性に生まれながら、場所によってこれほどまでに違ってしまうものかと
 驚愕もする本であります。

 それにしても。

 「女子割礼を受け入れることによって教育を受けさせてほしいとか、結婚後も働かせてほしい
  という交渉の切り札として使う」

 というのは、したたかと言うよりも、何とも哀しいと思いました。


イスラーム世界の女性たち」 白須 英子 ★★★★
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