本はごはん。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
遙か昔、小娘の時に「青春の蹉跌」を読んで以来の石川先生です。
48歳のおやじのささやかな抵抗です。
抵抗する前から、抵抗しきれず有るべき場所へ帰ることが判って
いながら、ささやかな抵抗を試みます。
世代感の違いというか、当時の48歳と今の48歳はちょっと違うとは
思うんですが、抱えている物というか漠然とした不満というか、
そういうものは今も昔もあまり変わらないように思います。
そしてそれは、男性にも女性にも共通の物で、
「こんなはずではなかった」
「本当の自分はこんなではない」
ということから始まる。
ひとつまえの中村うさぎの「女という病」で、男も女も「承認欲求」を満たすために生きており、
女性は「愛される」という手段でその「承認欲求」を満たそうとする傾向が高いのではないかと
書きましたが、男性の場合の「承認欲求」を満たす手段は、上手い表現が見つかりませんが
「頼られる」ということなのではないかと。
そしてその「頼られる」ためには、腕力であったり経済力であったり影響力(カリスマ性も含め)
であったりとか、つまりは「POWER」を必要とするのではないか、と。
(あ、ヒモもそうですよ。ヒモというのは女を依存させてなんぼですから)。
で、女性の場合は「愛されない」ことが致命的になったときに「女という病」を発症し、
男性の場合は「頼られる」ためのパワーが足りないときに、それを何とかして手に入れようとして
「男という病」を発症するのではないかと思ったりしました。
そんなことをつらつらと考えながら、しかしまだちょっと浅いのでもう少しこれは考えてみたい
テーマであります。
あ、あとこの本を読んでいて、マーク トウェイン の「不思議な少年」を思い出しました。
「四十八歳の抵抗」 石川 達三 ★★
48歳のおやじのささやかな抵抗です。
抵抗する前から、抵抗しきれず有るべき場所へ帰ることが判って
いながら、ささやかな抵抗を試みます。
世代感の違いというか、当時の48歳と今の48歳はちょっと違うとは
思うんですが、抱えている物というか漠然とした不満というか、
そういうものは今も昔もあまり変わらないように思います。
そしてそれは、男性にも女性にも共通の物で、
「こんなはずではなかった」
「本当の自分はこんなではない」
ということから始まる。
ひとつまえの中村うさぎの「女という病」で、男も女も「承認欲求」を満たすために生きており、
女性は「愛される」という手段でその「承認欲求」を満たそうとする傾向が高いのではないかと
書きましたが、男性の場合の「承認欲求」を満たす手段は、上手い表現が見つかりませんが
「頼られる」ということなのではないかと。
そしてその「頼られる」ためには、腕力であったり経済力であったり影響力(カリスマ性も含め)
であったりとか、つまりは「POWER」を必要とするのではないか、と。
(あ、ヒモもそうですよ。ヒモというのは女を依存させてなんぼですから)。
で、女性の場合は「愛されない」ことが致命的になったときに「女という病」を発症し、
男性の場合は「頼られる」ためのパワーが足りないときに、それを何とかして手に入れようとして
「男という病」を発症するのではないかと思ったりしました。
そんなことをつらつらと考えながら、しかしまだちょっと浅いのでもう少しこれは考えてみたい
テーマであります。
あ、あとこの本を読んでいて、マーク トウェイン の「不思議な少年」を思い出しました。
「四十八歳の抵抗」 石川 達三 ★★
PR
この記事にコメントする
category.
new !
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(07/23)
(04/25)
(04/22)
(04/21)
(04/20)
(04/19)
(04/18)
(04/15)
(03/03)
(03/01)
(02/28)
(02/24)
search.
archive.