bookshelf 『「女縁」を生きた女たち』 上野 千鶴子 忍者ブログ
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6031710.gif  ひさしぶりに「うえちづ」先生です。
 相変わらずきちんとデータを整理した上で理論的に展開しているので
 読みやすい。
 20年前、時間とお金にそこそこの余裕を持つ主婦たちが、ネットワークを
 活かしてさまざまな地域活動などをしていた当時の検証レポートと併せて、
 当時うえちづが予測した20年後と今の「現実」も比較しています。

 その活動のひとつの重要な資源となったネットワークを、著者は「女縁」
 と名付けています。地縁でも血縁でもない「女縁」。この縁(ネットワーク)
 を活かして、主婦は「家庭」から飛び出し、自己実現を図っていったという
 ことなんでしょう。

 しかし、あれです。論旨とか検証結果はよくわかるんですが、判らない。
 何が判らないって、自分にこういう価値観がないから判らない。生活費やら
 子供の教育費やらは全て夫の稼ぎに頼り、自分は働かず(働いても女縁活動費の数万円)
 「勉強会」やら「朗読会」やら。そして夫が定年になると邪魔者扱い。

 どうも「高収入の夫」を持ち働く必要はなく、しかし「自己実現」のために活動する資金は
 夫の収入には頼りたくない。でも誰でも出来る単純作業で時給も安い「パート」なんか
 したくはないし、「ピアノの先生」とか「翻訳」とか、ちょっと知的で効率よくお小遣い稼ぎ
 をしながら地域活動などに打ち込むアクティブな「主婦」、ではなくて「いち女性」、と
 いうのが目指すところみたいに見えます。

 いやまあ、夫も仕事を口実に家庭では生活無能力者になるパターンもあるようですから
 お互い様なのかも知れません。「勉強会」なんかも、地域の福祉面や教育面の向上に繋がる
 ケースもあるみたいだし、一概に全てを否定するつもりはありませんが。

 しかし。いちばん不思議なんですが、なんで夫婦で一緒に遊ばないんでしょうか?
 もちろん別々の趣味を持っているとは思いますがどうして「いつも」別々に遊ぶんでしょうか?
 いちばん何でも話せる相手というのは、夫(もしくは妻)ではないんでしょうか?
 こんなこと言ってるから私はいまだに…?
 

 「「女縁」を生きた女たち」 上野 千鶴子 ★★★
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